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むかし〜むかし〜浦島がぁ

浦島太郎伝説って全国にありますよね!

香川にもあるんですよ!
香川県の西の上に角が生えたような半島(荘内半島)がありまして、
一角獣🦄


ここ!

あちこちに浦島太郎にゆかりのある地名や神社やお墓があるんですね。

詫間という町
ここ、ずっと行きたかったんです。
浦島太郎伝説の調査としてではなく、別件なんですけどずっと気になってたので今回は土地の雰囲気を知る為に行ってみました!


何にも計画はなし😙ただ、美味しそうなパン屋兼カフェ屋さんがあるのは知ってたのでそこめがけてGOー!


外観はレンガを基調とした可愛い建物。
ここで女心鷲掴みです!
お店周囲は植物に囲まれていて、お花が沢山咲いています!
毎週オモウマという番組を観てる私は
『あっ!お花!』と心の中で叫んじゃいました😁

店内も明る過ぎずダークグレーの塗り壁が落ち着くし、梁もナチュラルで好き!
お店のスタッフもおしゃれだし、テキパキしてるし、
サービスも満足!

そして何と言っても美味しかった😋

選んだのはエビッシュバーガー!
えびがぷりっぷり!
でかっ!どうやって食べよう〜ってはじめは悩んだんですが…あっという間に胃袋へ。笑
そして、ここのチーズケーキが美味しかった〜!
コーヒーとラムレーズンが新メニューで出てて、
ラム酒が大好きな私にはド・ストライクー!
もっかい食べたいです。

次の日用にパンもしっかり買って帰りました🍞

ここはオススメですー❣️


また行きたいな😚

お腹も満たされて、さてさて出発〜るんるん♪
取り敢えず半島をぐるっと一周してみよう!


カフェ屋さんで調べ物中にちょっと気になってた神社がありまして、行けたらいいなぁ。まぁ導かれるところに行くだろうから直感にまかせよーと思ってランチしてたのですが、

適当に走らせてたらここなんだ?気になるな!
で停まった場所がなんとその神社でした!


浪打八幡宮

推古天皇の時代から御鎮座されていらっしゃいます。
約1400年前ですって!ほぇ〜😳
記紀と同レベルな歴史価値!

浪打八幡宮HPより

浪打八幡宮の由来を詳しく調べてみると、文武両道に優れた31代天皇である敏達天皇(注1)の皇子である高村親王(注2)が、その勇気と優れた人柄を見込まれたことから、敏達天皇の命令で東国の夷狄退治(いてきたいじ)に向かい成果を挙げ、続いて推古天皇の勅命で南海の大乱を平定させ、その後は讃岐三野郡詫間(注3)に御殿を造営し、安居されていたことに遡ります。
推古12年(604年)8月14日の夜、高村親王は夢の中で高波の中に浮かぶ光る物を見つけ驚き、それを手に取るとその金色の木像がこう話しました。

「我は敏達天皇(父)が彫った八幡神で、敏達天皇崩御(585年)の後、内裏の宝蔵の中に納められ誰にも見向きされなくなってしまった(注4)。 この度は子孫である高村親王を懐かしく思い、難波の港より青々たる海を移動して詫間の入江にやってきた。これから先はこの地に留まろうと思う」とのことであった。 親王はこの託宣に驚き、八幡神を浪打八幡宮の主祭神として祀ることを都(推古天皇)に進言、詫間荘の霊験あらたかな守護神(注5)として祀られることになった。 また、高村親王は浪打八幡宮の建立に合わせて、都より中臣氏の宿禰(すくね)職である宝寿彦を別当として呼び寄せ、敏達天皇がお造りになった八幡神像を大切に安置してお祀りした」 


先ず出会ったのは神の使いでした。

檻があったので飼われているようです。
もう一羽居たので夫婦かな?
伊勢神宮内宮にも、同じ鶏をめおとで見かけたことがあります。
気持ちいい風が吹き抜けています。


両サイドの奥は竹林で囲まれていて風が吹くので
竹がぶつかり合ってカラカラカラと
綺麗な音色が聞こえてきます。


かんながらの道
神功皇后!ジャンヌダルク!
竹内宿禰とできてました。その子が応神天皇。
秀吉も同じルートで朝鮮へ向かいました。

この神社。どうも数年前火災により本殿が全壊したそうで、数年前に再築したとのことです。本殿は煌びやかでした。

参拝中、一番何かを感じたのは本殿の右裏にある社。
4社並んでいて、小さいけれど何か大きなものを感じた。

その祀ってある名前は
宇禮姫社(うれひめしゃ)
久禮姫社(くれひめしゃ)
松童社(しょうどうしゃ)
竈社(かまどしゃ)

誰?て思ってその日はこの神社を後にしました。
だけどなんか気になって…

家に帰って調べるとそういうことかと自分で納得。

ウレヒメとクレヒメを調べてみたら
応神天皇の子なんですね。
で、応神天皇にはもう2人子がいて、
その1人はあの有名な天皇陵に祀られている方。

仁徳天皇!!

ということはこの4つの社は応神天皇の子ということになるのではと思ったんですね。

そしてもう1人は
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ/うぢのわきいらつこ)

うさぎさんが出てきまして💦💦
驚きです!!🐇


《菟道稚郎子》
コトバンクより。

父の応神に特に愛され,兄たちをさしおいて太子になったが,父の死後,兄(のちの仁徳天皇)に位を譲る。しかし兄も固辞して受けず,譲り合いが3年にもおよんだので,ついに自殺して兄を位に就けたという。

という説があるそうです。

そしてウジ、ウヂという音ですが、
Wikipediaより。


名前の「ウジ・ウヂ(莵道/宇遅)」は、京都府南部の地名「宇治」と関係する。「宇治」の地名は古くは「宇遅」「莵道」「兎道」などとも表記されたが、平安時代に「宇治」に定着したとされている[2]。『古事記』では母・宮主矢河枝比売が木幡村(現在の京都府宇治市木幡)に住まっていた旨が記され、郎子と当地との関係の深さが示唆される。なお現在も「菟道」という地名が宇治市内に残っているが、読みは「とどう」である。


京都の宇治はうさぎからきていたんですね。


二十歳の頃、平等院鳳凰堂が見たくて宇治へ行ったことがあったんですがそこの近くに最古の神社というところがありまして、凄!って驚いたことがあります。
若者ながら厳かになった場所でした。

でで、今調べてみたら
そこの祭神は菟道稚郎子だった‼️

何とも感慨深い。

そして、この平等院鳳凰堂のひと話。

阿弥陀様が丸窓から見えるのですが、
実はちゃんと顔がぴったりと見えないのが謎とされてきたそうです。
ですが、豊臣秀吉が伏見城を建てるために行った宇治川の護岸整備。

その影響で宇治川の水位が上がってしまう事態に。そこで「平等院」を宇治川から守ろうと、江戸時代になってから「鳳凰堂」と宇治川の間に盛り土を行うことに。

だから対岸の地盤が150センチも高くなったそうです。
地面からから阿弥陀様を眺めると丸窓とお顔がピッタリとあうそうです。

秀吉、これは計画的にだったのか?
秀吉というより、築城場所を占った人物かもしれない。


今回も終わりませんでした。
浦島物語続きます。。。

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