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琵琶湖 神に斎く竹生島

ずっと気になっていた 竹生島《ちくぶしま》
日本三大弁財天の1つで最も古く、
戦国武将との関わりも根深い。



西国札所第三十番 宝厳寺(ほうごんじ)
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)
今は分離しているが
元は神仏習合で古くから島全体が信仰の地だった。


そして、豊臣秀吉公が築いた大阪城唯一遺構《唐門》がここ、竹生島に移築されているという。

唐門は大阪城の極楽橋の入り口として慶長元年(1596年)に建築された。
秀吉公が崩御(1598年)後は一度、京都東山の豊国廟へ移築されるがその2年後(1600年)に竹生島へ移築されている。


平成18年にオーストリアにあるエッゲンベルク城で豊臣期大阪図屏風が発見され、絵中には竹生島にある唐破風様式の唐門と酷似する唐門が描かれていることからほぼ間違いないと言われている。


この唐門、秀吉公らしく豪華絢爛!!
艶やかな黒漆塗り、煌びやかなに金鍍金で飾られ、鳳凰や松、兎、牡丹などの彫刻が鮮やかに彩色されていて、
お見事!!でした。

2022年春


竹生島へ向かったのは秀吉公がこの唐門に
何故3羽の白兎を彫刻したのかが気になったのがきっかけ。


どうも、竹生島は兎との関わりがあるらしく…
調べていくと面白い繋がりが見えてきた。


《竹生島文様》
これは波間をかける兎を図案したもので波兎文様ともいうらしい。
その由来は 謡曲(能)『竹生島』  の一節に由来すると言われている。

『 緑樹影沈んで 魚木に登る気色あり 月海上に浮かんでは 兎も波を奔るか 面白の島の景色や 』


謡曲「竹生島」は醍醐天皇の時代の物語。 廷臣一行が竹生島明神に参拝するために琵琶湖の湖岸まで来たものの、どうやって島まで渡ろうかと思案していた所へ、翁と海女の乗る一隻の釣り舟が通りかかり、一行は同乗を許され竹生島へ向かうことになる。 その島へ向かう舟から眺めた湖畔の景色を歌ったのが上の一節。



『島の緑豊かな木々の影が湖畔に映り、魚たちが木を登っているように見える。 月も湖面に映り浮んで、月に住む兎も波間に映る月明かりを奔けて行くようだ なんとも不思議な島の景色よ…』と歌っている。


舟が島に到着すると、翁は竜神に、海女は弁財天に変わり、 この不思議な体験から一行は、改めて竹生島の神々の霊験あらたかなことを思い知る。。 という内容の謡曲(能)で、中でもこの一節は特に江戸時代初期に好まれたそう。


竹生島文様

バッジが販売されていました。



《波兎》
今や日本人の生活の中に広く浸透している。
現代ではその湯呑み茶碗などにも描かれているほど一般的な図案となっているが、歴史的建造物や絵画にもみられる。その一つに島根県出雲大社の八足門にも波兎が彫られている。


出雲大社 八足門

  

出雲は兎との関わりのある場所。

よって、先程波兎の彫刻と記述したがこの波兎は
古事記の因幡の白兎を連想させられる。
出雲の地ならば因幡の白兎をモチーフにしたのではと考えるのが著明のようにも思う。


因幡の白兎の神話は簡単に…
隠岐島にすむ兎が本土に渡ろうと和邇(サメ)を騙して和邇の背中をつたって渡ろうとした。渡りきる直前に兎が「騙されたな」と呟いてしまい和邇に皮を剥がされ丸裸になったところを大国主命に助けてもらうという話。


このことから
この因幡の白兎は泳げない兎ということが分かる。
これはとても重要なポイントではないだろうか。

一方、竹生島の波兎は

琵琶湖に映った《月の光》と《波》を描写している。


日本人は古来より比喩的表現に長けていて
《月の光》は月に住む兎

《波》は兎が飛び跳ねる様

実在しない兎をどちらにも関連性のある言葉で置き換えて換喩している。


こちらの方が波兎を容易に思い描ける。

このことから分かるように神社などに彫刻されている波兎は竹生島の波兎を題材としていると思われないだろうか。


また、月自体も琵琶湖に映った月の光というように素直に月と描写するのではなく敢えて間接的に表現している。何故直接的に表現しなかったのだろう?
月自体に趣はなく、月の光に何か意図があるということなのだろうか。考えすぎか…。

月の光は暗闇に当たると銀色に輝くという。
足利義政によって建立された京都にある銀閣寺は月明かりに照らされることで銀色に輝くことから銀閣寺と言われているそう。

ということは琵琶湖の水面も波立つことで銀色=白く輝き、それが白兎の飛び跳ねる様に見えていたのかもしれない。


日本人は自然の中に美徳を感じ追求していったというが
私にはそれだけではない何か秘めたものがあるように思えてならない。


では何故月は兎が住んでいると古来より言い伝えられているのだろう。謡曲「竹生島」が歌われた時には既に兎は月に住むと周知されていたことは確かだ。

その由来とされているのは
平安時代成立『今昔物語』巻五《月の兎》であり、その物語は、紀元前3世紀の終わりに成立した仏教思想の『ジャータカ』〔本生譚(ほんじょうたん)〕に由来している。
兎、猿、狐の3匹の善行を帝釈天は試し、結果兎の行いに感銘した帝釈天は兎を月に上げ、不老不死の若水を作る役目を与えたという物語である。
若水を作る。私は全く知らなかった。しかし、とある月信仰のある宮司さんが教えてくださったことなので事実なのだろう。


今の所の繋がりとして…
① 歴史的建造物の波兎は竹生島文様が
    用いられてる可能性。

② 月=兎   波(流水)=兎  月=波(流水)
    であり、 月の光=白波=白兎 

③ 月には不老不死又は若返りの薬を作る兎がいる。

2000字を超えてしまっていたことに気がついてしまった。
まだまだ面白そうな繋がりがあるので深掘りして私の独自の感性で綴っていきたい。
これはシリーズものになりそうな予感…。











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