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逃げ道じゃない 感傷でもないんだきっと。

確か今からちょうど三年くらい前、
地元のコピーバンド限定イベントに出演した時にamazarashiのコピバンと出会った。
その時僕はアジカンのコピバンをやってたと思う。昔から大好きでアジカン好きの友人とも大学で出逢えた縁があったからしょっちゅうお互いの好きな曲を出し合ってセトリを決めていた。
その日は、自分らがトリだった気がする。ライブハウスさんのブッカーさんがノリでよくそんなタイテを組んでたから可能性は高い。

amazarashiのコピバンは確か自分らの一バンド前、つまりトリ前。
今でも忘れられないのは入場のSEがワードプロセッサーだったこと。セトリの詳しい内容は忘れてしまったけど入場のSEととある一曲だけ三年以上脳みそに刻まれている。
ワードプロセッサーの選曲がとっても渋くて自分好みで、それが期待感を膨らませ、その期待通りの演奏だったからよく覚えてるのかもしれない。
綺麗なピアノの落ち着いたコードから、ノスタルジィな空気感を漂わせるシンセの音色が響く。うっすらと後ろで響くエレキのアルペジオが曲の情緒を際立たせる。ゆったりめなテンポ感に生活のワンシーンを思わせながら、ふと思い詰めて、色々思い出して思考の海に浸ってしまう。そんな曲だ。大好きな曲だ。夕方にふと聴いて泣いてしまいそうになる。
そう、大好きな曲だ。だから悔しかったんだ。
そのバンドの完璧な演奏が終わり、あまりのクオリティに次の自分の演奏を気にする余裕すらないほど唖然としていた。
そんな中ふと一言

「amazarashiそっくりだったね!」

と、聞こえてきた。悔しかった。
何故か悔しかった。

あのすごいボーカルと同じくらい、いや、きっとそれ以上にamazarashiを好きな自信はあった。

ただ、なにか劣等感を覚えてしまった。
あの人より上手にamazarashiを演奏できなければ、あの人より安定して歌えなければamazarashi好きを名乗っちゃいけない気さえした。

結局、その後自分のライブはと言うと、
いつも通りの勢いごり押しで終わった。
優しいお客さんと空気感で一応トリらしくはなった。

ただ、そんなことどうでもよかった。
僕の中にはずっと

「俺のがamazarashiを上手く歌えるのに」

ずっとその言葉が木霊した。
他のお客さんは知る由もない、ましてや、アジカンしか歌ってない僕と、amazarashiしか歌っていないあの人を比べようがない。

ただ、僕の中では僕がいちばんamazarashiを歌えるのだ!そうだ!という確固たる自信があった。

その人を打ち負かしたいわけじゃない。
ただ、自分の好きを誰かの好きと勝手に比較してしまっただけだ。これも比較と言うほど正確なもんではなくいつも通りのくだらない被害妄想に落ち着く。

上手い🟰好き とはならない。

別に、あの人の演奏と自分の演奏がどうだったかという問題ではない。
ただ、しょうもない凝り性のような。
完璧じゃない完璧主義のような発想だ。

好きなバンドなら全曲知らなきゃ。
好きな漫画なら最新刊まで知らなきゃ。
好きなゲームなら全クリして裏ボスも倒さなきゃ

あのころの自分は、好きと名乗るためには
完璧さを伴わないと納得できてなかった。

好きの感情はあくまで生理現象のようなもんだと思う。

好きな絵を見たからかっこいいと思った
好きな音楽がよくわかんないけど胸に響いた
好きな漫画の伏線とか知らんがなんかワクワクするから好きだ。

そんな感じがベストなんだ。

あのころの僕はそんなくだらないことに囚われていた。だからこそ無駄な嫉妬をしてしまった。

ただ、あの歪んだ捉え方の好きも熱量は凄かった

好きなバンドを語る時も、
好きな漫画を語る時も、

いつだって100パーセントの熱量だった。

そう、すきの質よりも勢いの方が大事なんだ。

音楽をやりながら生活をしていきたい。
そのための障壁があることに悩んでる自分には
かなり引っかかる思考だった。

別にそこまで熱量が無いんじゃないか
程々の感覚で取り組めばいいじゃないか
今の現実を見たくないが為の逃避じゃないか
音楽以外のものに使う時間が多くないか
仕事を頑張るには仕事の勉強をしなきゃ
ただ、音楽を頑張るには音楽の勉強も必要だ
心の平穏には娯楽も必要だ。
頭を休める娯楽も必要だ。

言い訳 言い訳 言い訳

何を述べても、暖簾がふわっと舞うようで
思わず転びそうになる。

今は好きの考え方も変わった。
生理現象のようなものなんじゃないか
だとしたら熱量こそが全てを物語るんじゃないか

今の僕の熱量はどんなもんなんだ。
足りてるのか、それとも。

昔のことを思い出しながら
将来の不安に追いつかれて
車窓の流れゆく景色に意識を戻し
大好きなamazarashiを聴きながら
電車に揺られていた。

不安と車両の躍動に振り落とされないように
縋るように吊革に捕まっていた。
聞き覚えのあるフレーズが流れてきた。

「 誓った夢 理想も
今じゃがらくたみたいに
時の流れに錆び付いて
それでも信じたいよ
なんにも終わってないよ
知らん顔で過ぎてく
日々に強がったりして
この街で生きてる 」

あの日、あの人はきっと立派な生活をしている。
自分よりも何倍も偏差値の高い大学を出ている。

一方、中小企業のその中でも平均以下の会社員である自分。音楽に対しても中途半端な自分。

そんな僕をよそ目に
いつもと同じように夕焼けは過ぎていく
あの日の方が本気で音楽に対して好きをぶつけられていたのかな。
僕の悩みは全て、赤い空白に吸い込まれた。

取り敢えずこの街の夕景が綺麗だ。
今日はそれだけでいい。
悩み出したらキリがないこと
自分がいちばんよく知っているんだ。
明日、笑おう。今日を忘れて。

どんな日でも美しさが変わらない夕焼けに
日に日に色褪せていく気持ちを抱えている自分は
嫉妬した。

考えてもしょうがない。
またamazarashiを聴きながら
不安になりながら
取り敢えず明日も生きます。
出来れば、笑って。

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