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Runnerの誕生秘話

爆風スランプのRunnerは応援ソングだと思っていたのですが、もっと深い意味があるそうなので調べてみました!


デビュー当初は過激な事をやっていたそうで、ライブで客席に向けて消火器を放射したり、スイカを投げたり、畳や戸板等を投げてその上で演奏したり、履いていた靴や火の付いた噴出花火を口にくわえたり、燃料を染み込ませた綿を頭の上に乗せて火をつけたり、放送禁止用語交じりの歌詞を作ったり、歌詞に合わせた着ぐるみを着る等していたそうです。


1986年にバンド活動に限界が見え始めてきた事から、グループは担当プロデューサーが社長を務める代官山プロダクションに移籍したそうです。
プロデューサーはグループに売れるような事をするよう要求しましたが、ベースの江川ほーじんは自分達のやりたい事ができないのは嫌だと反発し、脱退を決意したそうです。


サンプラザ中野くんが脱退する江川ほーじんへの想いを書いた歌詞がRunnerだそうです。
Runnerを音楽番組で披露すると大ヒットしたそうです。

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