見出し画像

書き込みのある本

古本を買うことがよくある。
古本を売ることもよくある。
某リサイクルショップでは、書き込みがある本は買い取り値がつかない。
その事実を知ったとき、少し驚いた。
書き込みのある本は、価値が下がるのか!
私は、書き込みのある本が好きだ。
これは、少数派なのだろうか。
辞書に線が引いてあると、ああ、この人はこの言葉を調べたんだな。どんなシチュエーションで出てきたんだろう、と思いを馳せる。
語学のテキストにメモが書いてあると、この人は、こんなことを学んだんだな、とか、これが大事なんだな、と使っていた人の息づかいを感じる。
だから、書き込みのある本が好きだ。

私の夫は、外国人だ。
日本語の勉強をしている。
本を買っては、横に自分の国の言葉で調べた単語をメモしている。
この本は、私にとっては宝物になるけれど、
リサイクルショップに持って行っても1円にもならないのだろう。
一生懸命勉強した、とか、新しい単語を覚えた、とか、買う人には全く関係のないことなのだ。
むしろ、目障りなのかもしれない。

某サイトで日本語の教え方の古書を買ったことがある。
本と一緒に、「おたがいにがんばりましょう。」というメモが入っていた。
顔も見たことのない人だけれど、うれしかった。
その人が大切だと思ったところに、線が引いてある本だった。

洋書を買うと、本の途中まで線が引いてある本も多い。
ここまで読んで、挫折してしまったのかしら、なんてうがった見方をしてしまう。
それもまた、たのし。
続きは、私が読みますよ、と決意を固くしつつ、そこまでたどり着けないこともしばしばある。

啓発本に線が引いてあると、ここが前の本の持ち主には刺さったんだな、と思う。その人と、会話しているような気がする。
ああ、ここね。わかるわかる。とか。
この場所がいいと思ったんだ~、なるほどね。など。
会ったこともない人だけれど、なんだか身近に感じられる。

書き込みのある本こそ、大切にされるべきだと思う。
私の勝手な願いですけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?