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夢のとおりみち①

前回の記事では
カフェ店主が
カフェを始めようと決意した夢のはじまりについて
書きました。

今回は20歳で決意して、32歳でお店を開くまでのとおりみちその①を綴っていこうと思います。


さて、中国留学で夢を見つけたわたしに
次のステップへのきっかけをくれたのが
父方の祖母でした。


両親が共働きで
ほとんどおばあちゃんに育てられたわたしは
おばあちゃんの唯一の理解者でした。


そんなおばあちゃんが末期の肺がんで
余命3カ月と言われたのは、
中国留学あと数ヶ月で終わるという時でした。


最後まで留学期間をおわさせて帰るべきか悩んだけれど、おばあちゃんがその間に死んでしまったら後悔する、そう思い、途中での帰国を選択。


当時北九州の大学に通っていたので、
しばらくの間、
おばあちゃんの介護のため、
授業のある日だけ北九州へ新幹線で通い、
ない日は広島に帰る、という生活が始まりました。

同時に就職活動も始まり、
東京大阪福岡といろんなところに
出向きながら
飲食業サービス業中心に
就活に励みました。


おばあちゃんはなかなかの難しい気質の人で
わたしにだけは甘えることができたので
最後を看取るのはわたしだと覚悟は決めていました。


大学、就活、介護で
移動距離もあったこと、
毎日おばあちゃんの横で寝て、
夜のトイレに連れていくことや、
お話し相手になること、
おむつのケアをすることなど
なかなかハードな日々でした。

大学3年生の冬、
たくさんの会社を受けながらも
ついに1社も残りがなくなったとき、
おばあちゃんが亡くなりました。


いろんなことが終わって
わたしはこれからどうしよう、
と迷った時、
原点になる
「目の前の人をしあわせにすることで
 しあわせの循環をつくる」
という自分の行動指針から
カフェはもちろん将来やりたいけれども
今すぐにそれをしなくてもいいのでは?
飲食業にこだわらなくてもいいのでは?
と思う瞬間がありました。


わたしに向いていて
人を笑顔にできる仕事。


おばあちゃんの介護を通して、
介護を仕事にするのもいいのかもしれない。
オレンジカフェ(お年寄りの集まり)のようなことも
カフェでしたいと思っていたので、
勉強になるかもしれない。


そう考えて
就活を再開すると
みるみるうちに
選考を通過でき、
内定をいくつかもらうことができました。


結局、
わたしは
新卒で大手の介護の会社に入社し、
東京で社会人デビューをしたのです。


その会社では
初めは支社の介護事業で
すべての施設を少しずつ回るなどして
介護には携わることができましたが、
すぐに
語学スクールの運営管理の事業に
異動になり、
2年半ほど
スクールの運営に携わりました。


初めての会社は
とにかく人に恵まれすぎなぐらい恵まれて、
社会人として大切なことを教えてもらったり、
とにかくプライベートでは
遊びに遊んで
東京生活を満喫していました。
好奇心旺盛なわたしにとっては
東京は最適な場所でした。


仕事もうまくはいっていたし、
大好きな先輩や上司に囲まれて
楽しかったけれど
次のステップへ行きたい!と思い
3年を迎える前に
転職してしまいました。


会社には大変申し訳なかったのですが、
入社前にすでに抱いていた夢計画で
ながくて3年働いて
次は店舗運営が学べるところに転職しようと決めていたのでその計画どおりになりました。
会社で働きながら、勤務先の近くでやっていた
市民講座「コミュニティカフェをつくろう」という
講座を受講し、着々と準備を進めました。
ちなみにこの講座をきっかけに
いまの夫(miさん)に出会います。


そして、次なるとおりみちは
大学のころに出会った憧れの会社へのチャレンジです。
まだ次回夢へのとおりみち②で
綴ってみようと思います。




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