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人生の最後がこんなことでいいのか?!心残りはその時々で解消しておかないと大変なことになる、という話①

とても大切な話だと思うのだけど、今精神的に落ち込んでいる人は、元気になってから読んでね。父と母の話ではなく、母の妹の話。

人の人生をとやかく言うほど私はエラソーな人間じゃない。
でも、これだけは残念過ぎて、同じ轍を踏まないように自分にも言い聞かせている。そんなふうに思う私は意地悪な人間なんだろうか。

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私の母は三人姉妹の長女。真ん中の叔母は3年前に病気で亡くなった。
亡くなったのが急だったので、私が駆けつけた時、一番下の叔母は痛々しいほどにげっそりとして落ち込んでいた。

真ん中の叔母は一人娘(私のいとこで3歳年下)がまだ幼稚園ぐらいの頃に離婚し、娘と二人で生きていく生活基盤を固めるために、娘を関西の児童養護施設に預け、父母(私の祖父母)の故郷である九州に引っ越した。
施設に預けられたいとこのことは、たびたび会うことはできないので、祖母や下の叔母に頼んでいたそうだ。

祖父母もほどなくして故郷へ引き揚げ、真ん中の叔母と暮らし始めた。祖母は58歳で亡くなり、そこからは真ん中の叔母と祖父の生活が始まる。

いとこは、中学に入学するのを機に、九州の叔母(母親)のもとへ引っ越すことになった。関西に近いからと、私と母で迎えに行ったことを今もよく覚えている。いとこは九州の家に、真ん中の叔母(母親)と下の叔母と祖父の4人で暮らし始めた。祖父が亡くなってからは真ん中の叔母、下の叔母、いとこの3人暮らしが10年以上は続いた。

下の叔母は若い頃から洋裁をしていて、デパートのオーダーメイドのコーナーに勤めていた。今82歳だから、キャリアウーマンのさきがけのような人で、姉御肌で後輩から頼りにされていた。私も小学生の頃から九州には数年に一度しか遊びに行けなかったけど、「自分で仕事を持っているカッコいい叔母」には良くしてもらった。

バリバリ仕事をしていたから叔母は42歳で初めて結婚した。

いとこが結婚して隣県に嫁いでからは、一人になった真ん中の叔母が下の叔母の家を週に一度訪ね、いとこに子どもができてからは帰省する度に下の叔母夫婦も加わって、あちこち遊びに行き、自分の孫のように面倒をみてくれた。下の叔母には子どもはいなかった。

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真ん中の叔母の葬儀が終わってから私は3泊ほどそのまま残り、香典の整理や仏さまを下の叔母の家にひとまず祀らせてもらう段取りや、真ん中の叔母が一人で暮らしていた家の片付けを手伝った。

下の叔母は少し落ち着いた様子にはなっていたけど、「もう、頭がおかしくなってしまって・・・」と何度も口にしていた。
急に自分の姉が亡くなったのだから混乱するのも無理はない、と思っていたのだが、この直後から、いとこの大変な日々が始まるとは私も全く予想していなかった。

(つづく)

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