いきざま2

『タレント ~あるnoterの生き様。2』



8月16日

noteというサービスに登録してみた。
なんだかいろんな『クリエイター』さんが集まってる、って聞いて、ここなら私の才能も認めてもらえるかな、って思ったから。

私は曲も作れるし、絵も描ける。
動画もいくつか作ってみたし、文章だって下手じゃない。

――まあ、ニコ動でもYoutubeでも再生数は伸びてないけど、でもそれはきっと露出が足りないからであって、こう言う場所に来ればきっとみんな見てくれるはずだし、『クリエイター』なら私の才能も認めてくれるはずだ。

よし、がんばろ。



8月17日

とりあえずおためし的に、幾つかのお気に入りの写真と自作のPVをアップしてから、とにかく手当たり次第に目についた人たちをフォローしまくってみた。
中にはちょっとこれはないわ、って感じの人も居たけど、ほら、もしかしたらそういう人でも私の才能を理解してくれるかもしれないし――って調子でランダムジャンプ?みたいなボタンを押してはフォローボタンを押して、またランダムジャンプしてフォローボタンを押して……ってひたすら繰り返していたら、スマホからメールの到着を知らせるベルの音が聴こえてきて、私は慌てて自分のnoteを確認した。

やっぱり、って感じだった。
アップした2つのnoteに、スキとコメントがたっぷりついてた。

――まあ、コメントはほとんどが『ふぉろーありがとうございます!』だったけども、それでも中にはPVの感想を書いてくれる人もいて、その数だけでもニコ動やYoutubeのそれをはるかに上回ってて。

うん、やっぱりここは、私の才能を認めてくれるんだ、って思った。
ここでやっていこう、って。



8月26日

noteを始めて10日が過ぎた。
フォロー数は今のところ700近く。フォロワー数は300くらいかな?

あんまり一気にアップし過ぎるとネタがなくなるから、一日に一個ずつPVとか写真とかアップしていて、あとはとにかくフォロワー数を増やすことに一生懸命になっていた。

どんなものでもそうだと思うけど、始めて10日も経ったら、さすがにnoteという場所がどういうところか解ってきた。
まず、自分がキモいと思った人はフォローしちゃいけない。
タイムライン上にキモいnoteが垂れ流しになるのは、見ててホントキモいからだ。

そして、フォロバしてくれない人はさっさとフォロー解除すべき。
フォロバしてくれないってことはその人は『つながる』気持ちがないってことで、そんな人をフォローしていても何のメリットもない。

そんな2つのことを肝に銘じながらひたすらフォローしたり解除したりしてたら、今日ももうこんな時間になってしまった。

――何やってんだろ、私。



8月29日

なんだかひたすらフォローとかしてる自分がバカらしくなって、この二日間はnoteに行かなかった。

代わりに――ってわけじゃないけど、暇つぶしに曲を作っていた。

私の曲作りは、至ってシンプル。
まず気分でリズムを作り、そのリズムパターンから浮かんできたイメージをメロディにして、あとはそこに自分の声を当てはめていく感じ。

詩を書いたり、絵を描いたりするときも私は、思いついたままをカタチにするのが好きだ。
それが理路整然としてなくても、その雑然さが今の私だと思えば、それも悪く無いと思うし。
だから、ついさっきなんとなく出来た曲も、自分的には悪く無いと思う。

『Last Summer』とか名づけて、アップしてみようかな?



8月30日

びっくりした。
昨日の夜アップした『Last Summer』に、思った以上のスキやコメントがついたから。

『これステキです!』
『夏の終わりってこんなかんじだよなぁ』
『ダウンロードしました!』

――なあんて、嬉しいコメントがいっぱい付いてて、一人ずつコメントに返信しながら、思わずパソコンの前で泣いちゃった。

だって、嬉しかったんだもの。
自分がカタチにした想いを、たくさんの人が解ってくれたんだから。

ほんと、noteやってて良かった。



9月14日

noteを始めて、そろそろ一ヶ月になる。
なるんだけど――なんとなくイマイチな感じ。

あの後も私はひたすらnoteをアップし続けた。
曲を思いついたら曲を、詩が浮かんできたら詩を、絵が描けたら絵を。
一日に最低一個はnoteをアップしてきた。

でも、あの『Last Summer』の時のようには、コメントが付かない。
もちろんスキは相変わらず付けてくれるんだけど、あの時のようにわあっとコメントが付くようなことは、気がつけばもうこの2週間ほど無くなっていた。

――何でだろう?


9月22日

とうとう私のnoteに、コメントが付かなくなった。

どうして?
何が悪いんだろう?



9月23日

自分の何が悪いんだろう。

タイムラインを流れていく他の人のnoteには、沢山のコメントがついてるじゃない。

なのに、どうして私のnoteにはコメントが付かなくなったんだろう?



9月24日

――悔しい。

私よりも下手くそな曲をアップしてるのに。
私よりも下手くそな絵をアップしてるのに。
私よりも下手くそな詩をアップしてるのに。

どうして、他の人にはコメントが付くの?
どうして、他の人には共感してくれる人がいるの?

わかんない。
わかんない。



10月22日

気がつけば、もう10月も後半。
2ヶ月前に始めたnoteに、気づけば私は何もアップしなくなってた。

だって、意味ないし。
私の才能を認めてくれないのに、他の人の才能は認めてるこんな場所に、私の作品をアップする意味なんて無いじゃない。

だから、もうアップしない。
もういい。



10月30日

アップしない、って決めて、一週間が過ぎた。

どうせ意味ないならやめちゃえばいいのに、――何でだろ、アップしてないのに、私は今日もnoteにログインしてる。

タイムラインを流れていく、他の人のnote。
嬉しい事も悲しい事も、綺麗なものもカワイイものも、いっぱい流れていく。

まるで、太陽の光を浴びてキラキラと輝いてる川のようなそのタイムラインから、私は何故か目が離せなくなっていた。

――やっぱり、何かアップしようかな?でも――



11月3日

今聴いた曲。
弾き語りの曲をアップされてる人の新曲を聴いた瞬間、痛いほどわかった。

私の才能は、このnoteじゃダメなんだ。
だから私がいくらアップしても、コメントがつかないんだ。

共感してもらえないんだ。



11月14日

今日、一人のnoterさんのnoteを読んで、衝撃を受けた。
その人は『自分の身体の元気』をnoteで売っていた。
普通そんな『ネタもの』、誰も買おうなんて思わないのに、何故かそのnoteには、『ここで買ったおかげで、娘の眼が見えるようになった』だとか『あなたのおかげで足が動くようになった』とか、信じられないコメントが書き込まれていたの。

そんなことって、有るの?



11月22日

決めた。
私も売ろう。

何をって、才能を。

どこにアップしても受け入れてもらえない才能なんて、持っていても意味ないし、意味のないもの持ってて腐らせるくらいなら、あのnoterさんみたいに売ってしまえばいいんだ。

そうだ。
そうしよう。



11月22日


『私の才能、売ります』

私の絵を描く才能をお売りします。
どんな才能かは以下のnoteを御覧ください。
ご覧になったうえで欲しいと思われた方は、先着1名様限定でお売りします――



11月23日

……売れた。
5000円とか値付けしたのに、あっさり売れちゃった。

なんなの、ここ。



11月25日

私の絵を描く才能を買った人のnoteを見に行ったら――そこに私がいた。


――違う、私じゃない。
『私が書いたような絵』があって。
――そして、私はその絵を描いた記憶が無かった。

びっくりした私は、慌ててパソコンを閉じて、馴染みのキャンパスノートに絵を描こうとしてみた。

――描けなかった。
描こうと思っても、何も浮かんでこなかった。

……ほんとに売っちゃったんだ、私。



11月26日

気づけば朝になってた。
自分の才能がこんなにも簡単に売れてしまったことにびっくりしすぎて、寝るのを忘れてしまっていた。

私はぼんやりした気分のまま、閉じたままのパソコンを開いてブラウザを起動して、そして昨日の絵を見に行き――そこで思わず、声を失った。


その絵がアップされたnoteに、たくさんのコメントが付いていた。
それこそ、私が見たこともないような量のコメントが。


私はパソコンの前で、バカみたいに笑った。
今まで一度も出したことがないくらい大声で笑った。



――ほんと、バカみたい。



11月26日


『私の才能、売ります』

私の曲を作る才能をお売りします。
どんな才能かは以下のnoteを御覧ください。
ご覧になったうえで――



12月14日

noteを始めて4ヶ月が経った。
4ヶ月か……なんかもう、ずいぶん昔のことのように思う。

アレから今日まで、私は自分の才能を売りまくっていた。

曲を作る才能。
歌をうまく歌う才能。
ファンタジー小説を書く才能。
恋愛小説を書く才能。
詩を書く才能。
風景写真を撮る才能。
キャッチコピーを作る才能。

売れそうなものは何でも売った。
どうせ私が持っていても腐らせてしまうだけだとわかったから。

私の才能は、私じゃダメだったから。



12月23日

明日はクリスマスイブ。
去年までなら、明日に向けて何か
――そう、クリスマスソングとか詩とか絵とか作ってたんだっけ。
今の私には作れない、何かを作ってたんだっけ。

ついさっき。
最後の才能、『日記を書く才能』が購入された。

だからここまでずっと続けてきたこの日記も、これで最後になると思う。


――でも、なんかスッキリした気がする。

だってほら、見てみてよ。
私が売った才能を買った人たちのnoteを。

みんな生き生きしてて、そこにコメントする人たちも楽しそうで。

なんか――なんか、見てて嬉しくなるんだ。
なんでか分からないけど、嬉しくなるの。

だから、もう、良いんだ。
才能は全部無くなっちゃったけど、
――なんだか寂しくなっちゃったけど。

でも、やれることは全部やったもの。
だから、もう大丈夫。


――さあ、明日はなにしよっかな。

(了)


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