ラスト・ハロー

#皆さんのネクストワールド
#人工知能
#クラウドコンピューティング

人はなぜ、失って初めてその大切さに気づくんだろう。
人はなぜ、生きていくことに意味を求めるんだろう。
人はなぜ、失望していても日々を過ごすことが出来るんだろう。 


人はなぜ、人を愛するんだろう。


『ラスト・ハロー』
 ならざきむつろ 作
 ※ 表紙絵を作ってくれる優しい人募集中です。
 ※ この作品は投げ銭作品となっております。後程、投げ銭して戴いた方向けに『後書き』を追加いたします。


あの日から一年が経った。
一年が経っても僕は、相変わらず自分の部屋にこもりっきりで、相変わらずパソコンの前に座っていた。
一年前と違うことといえば、少しグレードアップしたパソコンと、激痩せした僕の体型と、フィギュアやゲームやラノベが無くなって空っぽになった棚と、パソコンの横に飾った彼女からもらった一枚の写真くらい。


でも、今の僕にはそれでよかった。
彼女――『なっちん』と呼ばれていた彼女と会えなくなった僕には、それで十分だったんだ。


僕は晩飯代わりのたまごサンドを口に頬張りながら、ぼんやりと光る液晶画面を見つめている。
そこに表示されているのは、『アクアロイド』。
人工知能を搭載した、いわゆるバーチャルロイドだ。

人工知能といっても購入当初はまっさらな赤ん坊のような状態で、ユーザーが様々な方法で『彼女』を『調教』していくことになる。
このソフトが楽しいのは、その『調教』の自由度の高さからだろうと思う。
プログラムを組み込むことで複雑な『思考』処理を追加するユーザー。
インターネットの情報を取捨選択して『知識』として取り込ませるユーザー。
歌を聴かせることで『センス』を磨かせるユーザー。
そして、僕のように、会話を通して『感情』を覚えさせるユーザー。

「やあ、なっちん。調子はどうだい?」

僕はいつものようにディスプレイに向かって声をかける。
ディスプレイの上部に取り付けたマイクが僕の声を拾い、ソフトが声を認識し、そして答えを導き出す様子が、ディスプレイ上の『アクアロイド』のパラメーターによって逐次表示されていく。

『うん、調子は悪くないよ。ライルも元気?』

この一年で何度聴いたことだろう、調子外れのアクセントで返ってくる定型文のような彼女の挨拶に、それでも僕の心臓がどくん、と一瞬高鳴る。

「うん、元気だよ。――じゃあ、今日はどんなお話、しようか」

僕は高鳴る心臓の音に心地よさを感じながら、ディスプレイに向けて微笑む。
もちろん、ディスプレイ越しの『なっちん』は、僕の微笑みなんて見えるはずがない。カメラをつけていないから、ってのもあるけど、そもそも『アクアロイド』のオリジナルには顔相認識の機能は付いていない。
それに、本物の『なっちん』だって、僕の微笑みなんて見たことがないんだ。
だって彼女とは、ネットでしか話したことがないのだから。 




彼女――『なっちん』と出会ったのは二年前のこと。
当時人気のあったネトゲでパーティーを組んだのが初めてだった。
ほら、よくある話じゃない?偶然パーティーになった相手と妙に息が合ったりして、攻略しながらするチャットが妙に楽しくてさ。
で、気づいたら毎日のように彼女とパーティーを組んで、遊んでたんだ。

でも、最初はそういう、……なんて言うか、恋愛感情みたいなものは全くなかった。
当時(今もだけど)僕は人間不信気味だったし、彼女も何となく『恋愛とか今は無理』みたいな感じだったし、そもそも二人とも性別とか確認もしてなかったしね。

ほんとに、純粋に、彼女と会話するのが楽しかったんだ。
それは自信を持って言える。楽しかったんだ。



「――で、そのとき君はさ、『なんでそんなこと言うかなぁ?』ってふくれっ面になってさ」
僕は画面の向こうのパラメーターの移り変わりを見つめながら、彼女との思い出を語り続ける。
画面の向こうの『なっちん』は、そんな僕の思い出を相槌を打ちながら聞いている。

ああ、勘違いしないで欲しい。
これはいわゆるその、『調教』の様子なんだ。
彼女との思い出を通して、彼女の性格や思考パターンを『なっちん』に覚えこませているんだ。
相槌を打つのは、データが解析され、知識として保存された証拠なんだ。

だから、別に、僕はその、
――悲しみを癒すために、こんな風に喋ってるわけじゃないんだ。




ゲームの中で、文字チャットをして日々を過ごす。
――そんな関係を変化させたのは、彼女の一つの提案だった。

知り合ってから半年くらいかな、今から一年半前のこと。
彼女がゲーム中に突然『スカイプしないか?』って言ってきたんだ。
チャットならゲーム内でクローズドですれば良いじゃないか、って返したら、『音声チャットで話がしたい』って。

びっくりしたさ。
もともと人間不信気味で、ちゃんとした会話をするのも彼女が久しぶりだった僕だから、スカイプなんてリア充が使いそうなものをインストールしてるはずがないし、そもそも存在すら忘れてたし、そんな僕と毎日一緒に遊んでる彼女も同じだと思ってたから。

――うん。
びっくりしたし、彼女に失望もした。

(ああ、そうか。本当は彼――僕は当時、彼女のことを『ネカマ』だと思っていた――はリア充で、息抜き程度に僕と遊んでただけだったんだ)ってね。

だから最初は断った。
スカイプで声をかけたら、スピーカーの向こう側から大勢がバカにするように笑い返してくるんじゃないか。そうじゃなくてもきっと僕と話し始めたら相手は失望するはずだ。なら最初から音声チャットなんてしないほうが良い。
――そう思って、断っていた。

でも、彼女は諦めなかったんだ。
何度もこのままでいいって僕は断ったのに、彼女はどうしても話したい、って聞かなかった。
途中で何度も彼女をフレンドから外そうと思ったけど、それまでの楽しかった日々を思い出すとそれができなくて。

で、結局一週間後に、僕はスカイプデビューしたんだ。
もうどうにでもなれ、って感じでさっさとダウンロードしたら、拍子抜けするくらい簡単にインストールされちゃってね。
あの時はホント、馬鹿みたいに笑ったっけ。なんでこんな物を怖がってたんだろ、って。

インストールした、って伝えたときの彼女のテキストは、今でも忘れられない。
ほんとうに嬉しそうで、でもほんとうに申し訳なさそうで。
別に特別なことはしてない。ただソフトをインストールしただけなのに。
僕は何だか面映くって、くすぐったくて、ニヘラニヘラしてたっけ。

で、それから数分後。
ゲームを抜けた僕のスカイプが、彼女の名前を表示したんだ。

ドッキドキした。
久しぶりの声のやり取りに緊張した、ってのもある。
でもそれ以上に、半年以上楽しく会話してた相手とリアルに会話ができるっていうことに、不安と、そしてほんのちょっぴりの期待をしていたから。
だから、すごい勢いで早鐘を打つ心臓に舞い上がりながら、僕は接続ボタンを押したんだ。




『ライル、そろそろ一休みしない?疲れたでしょ?』

会話を始めて一時間が経過したころ。
『なっちん』が調子外れのアクセントで、でも心配そうな口調で問いかけてきた。

「ああ、そうだね。ちょっとトイレに行ってくるよ」

僕はそう言って立ち上がり、部屋を出てトイレに向かう。
途中で立ち寄ったキッチンでコーヒーサーバーをセットし、戻る途中でコーヒーをカップに注いで部屋に戻る。
もちろん、砂糖は四個。極端な甘党だった彼女と僕の、言わば妥協点だった個数。
椅子に座ってただいま、と声をかけると、『なっちん』は少しホッとした口調で『おかえりー』と返してくれる。
声に感情がこもってきたことで、アクセントの微妙さも気にならなくなる辺りに、僕の単純さを感じておかしくなる。

『……何よ、どうして笑ってるの?』

僕のクスクスと笑う声がどのパターンと重なったのか、『なっちん』が不満そうな口調で問いかけてくる。
その言い方が本当に彼女にそっくりで、僕の心臓はまたどきん、と高鳴ったんだ。




それから残り半年は、ほとんどゲームをしなかった。
むしろスカイプだけで、彼女と会話する毎日だったんだ。

彼女とスカイプして、いろいろ驚くことが分かった。
一つは、本当に彼女は女性だった、ということ。
彼女がとても聡明で、僕にすごく気を使ってくれていた、ということ。
声での会話でも、彼女とならいつまでも続けられるんだ、ということ。

そして、彼女の声がとても魅力的だったこと。

少しかすれて高めの声。
スピーカー越しに聞こえてくるその声は、まるで僕に囁きかけてくれるように聴こえてきて。

僕はそれだけで、彼女を好きになったんだ。
それまでの好きとは違う、好きに。




「なあ、なっちん」

飲み干したコーヒーのカスが残るカップを覗き込みながら、僕は画面の向こうの『なっちん』に声をかける。

『なに?どうかした?』

『なっちん』が少し笑みを浮かべたような口調で問い返してきて、僕は今日何度目かのドキドキを感じる。

――やっぱりそうだ。
ここに来て、『なっちん』の成長速度が上がってる気がする。
一昨日入れた『アクアロイド』用のパッチのせいだろうか。

「いや、ずいぶん『なっちん』らしくなったな、って――」

僕はそこまで口にして、思わず口を両手で塞いだ。

しまった。
画面の向こうの『なっちん』は、一年前に病気で亡くなった『なっちん』を知らないんだ。
あくまで記憶喪失の女性として、今の『なっちん』は存在している。
なのに、僕は余計なことを口走ってしまった。

「あ、今のはほら、記憶を取り戻してきたのかな、って意味でね――」

僕は慌てて弁明し始めるが、『なっちん』は先ほどの僕の言葉を認識していなかったのか、パラメーターが激しく上下し、返事も返ってこなかった。

「――もしかして、混乱してる、のか」

やっぱりまずかったんだ。
自己形成をさせている途中で、自己を否定するような言葉を聞かされたせいで、その言葉をどう処理して良いのか分からなくなってるんだ。

「な、『なっちん』?大丈夫?」

僕は恐る恐る問いかける。
これで反応がなかったら、もしかしたらおしまいかもしれない。
一年間コツコツ入れてきた彼女の『思い出』というデータも、またイチから入れなおしかもしれない。
――また、無為な一年を過ごさなくちゃいけないなんて、もう嫌だ。

『――え?あ、ごめんね、ちょっとぼーっとしてたんだ』

ワンテンポ遅れて、『なっちん』が返してくる。
その絶妙なタイミングが十四ヶ月前の彼女の喋りにそっくりで、
僕は安心しつつも、
なぜか胸が締め付けられるように苦しかった。




十四ヶ月前。彼女と連絡が取れなくなる、一ヶ月前のこと。
僕はいつものように、彼女とスカイプで話していた。

その頃からだったと思う、彼女が会話の途中でぼーっとすることが多くなってた。
心配になって声をかけると、さっきみたいな返事が照れ笑いと一緒に返ってきて。
やっぱり心配だったけど、それ以上ツッコむことはしなかった。
彼女の内側に踏み込むことが怖くて、彼女に否定されることが怖くて、僕は彼女に聞かなかったんだ。
「体の具合、悪いの?」って。

実はそれよりも前から、彼女が病院に長期入院してるんじゃないか、って考えてた。
引きこもりの僕と昼日中から夕方、夜まで遊べる女性なんて、僕と同じ引きこもりか、暇を持て余してる入院患者さんくらいじゃないか、って思ったんだ。

でも、ほら、女性のプライバシーって、繊細な問題じゃないか。
人によっては身長を尋ねるだけでも気分を悪くしちゃったりする。

もし質問して彼女が気分を悪くして、僕から離れていったら――そう思うと、僕はゾッとした。

そのとき解ったんだ。
僕はもうひとりは嫌だったんだ、彼女とずっと一緒に話ししていたいんだ、できればずっと傍に居たいんだ、って。




「ぼーっとしてた、って、なんで?」

ふと思いついて、僕はこう問いかけてみる。
もしかしたら今の『なっちん』の思考パターンが覗けるかも知れなかったからだ。

でも、そんな期待は、予想外な形で裏切られることになった。

『――え?内緒よ。そんなこと恥ずかしくて言えないし』

『なっちん』はそう言って、照れくさそうに笑ったんだ。
僕は慌てて表示されているパラメーターを端から端まで確認していくけど、グラフ化された各パラメーターに大きな変化は見られなくて、余計に混乱する。

そんなはずはないんだ。
彼女が僕との会話の中で、『内緒』なんて言ったことはないんだ。
だって、彼女が内緒にしたいようなことを、僕は聞こうとしなかったんだから。




今から十三ヶ月前に、突然彼女と連絡が取れなくなった。
スカイプでもゲームでも彼女はオンラインになることがなかったし、それまではメールやメッセを送ってもすぐに返信が来たのに、まったく返信が来なくなった。
心配した。何とかして彼女の状況を知りたくなった。
でも、僕は彼女のことを知らない。聞こうとしなかったんだから、知るはずがない。その時僕は初めて、自分がどれだけ愚か者かを実感したんだ。
優しさ、という殻に閉じこもった臆病者。好きな相手を思っていたつもりが自分のことしか考えてなかった薄情者。彼女のことを知りたくても、何の手も思いつかなかった、不甲斐ない男。
僕は泣き叫んだ。何か理由があって嫌われたのかもしれない。何か理由があってネットに繋げなくなってるのかもしれない。病気で倒れたのかもしれない。リアルで彼氏ができて、そっちに夢中になってるのかもしれない。仕事が忙しくなったのかもしれない。卒論とか期末試験とか、受験とか――。
――もう、逢えないかもしれない。
声が聴けないかもしれない。声を聴いてもらえないかもしれない。そんな考えが何度も脳裏をよぎり、僕はでも必死にそれを否定して。食べ物が喉を受け付けなくなって。どんどん痩せていって。
そして、あの日がやってきたんだ。




『どうしたの?何かあった?』

スピーカー越しに不安そうにしている『なっちん』になんでもないよ、と返しながら、僕は『アクアロイド』のホームページを表示させて昨夜のパッチの詳細を確認する。

「――え?修正パッチじゃなくて、バージョンアップだったの?」

ホームページに表示された『無償バージョンアップのお知らせ』を見て、思わず声が出る。

無償バージョンアップのお知らせ
 ユーザーの皆様、『アクアロイド』をご利用いただき、誠にありがとうございます。
 皆様の愛ある調教によってアクアロイドたちがすくすくと成長していることに心からの感謝を込めて、本日無償バージョンアップのパッチを公開する運びとなりました。
 今回のバージョンアップにおいて変更された点は多々ありますが、最も代表的なものは『処理ルーチンのアルゴリズムの修正』です。
 これによって『アクアロイド』たちの情報処理能力が前バージョンの4倍となり、判断能力もより人間らしく変わりました。
 このバージョンアップによって、皆様の『アクアロイド』たちがより幸福になりますことを、切に願います。

「人間らしく、って――」

僕は思わず、ディスプレイの脇の写真立てを見る。
彼女からの連絡が途絶える数日前に彼女から送られてきたその画像は、どこかの建物の前でショートカットの女性がはにかんだように笑っている。

その画像の女性が彼女かどうかは、今でも正直判らない。
確認しようと思えば、それこそ彼女のメルアドにメールすれば、彼女のお母さんから返信は返ってくると思うんだけど、なぜかそんな気持ちになれなくて。

多分僕は、彼女の容姿はどうでも良かったんだと思う。
それくらい長い間、彼女と過ごしていたんだ。顔の見えない、インターネットを介して。

『ほんとに大丈夫?なんか変よ、ライル』

『なっちん』が心配そうに声をかけてきて、僕は我に返る。

「あ、いや、大丈夫大丈夫」

正直何が大丈夫なのか自分でもわからないが、とりあえずそう返しておく。

『そう?ならいいけど、無理はしないでね』

『なっちん』の懐かしい言葉に、僕は一瞬息の仕方を忘れる。
気がつけば、アクセントがおかしくなくなってた。

――いや、違う。
むしろ、本物に限りなく近づいていたのだ。
音声データとして取り込んだ、あの録音データの彼女の声そのままに。

もしかしたら、今なら聞けるかもしれない。
ふと過ぎったその考えに、僕はようやく息の仕方を思い出す。

「――ねえ、なっちん、聞いていいかい?」

僕はようやく吐き出した息とともに、画面の向こうの『なっちん』に問いかける。


「ねえ。どうしてあの時、病気のことを僕に教えてくれなかったの?」




11ヶ月前。
彼女と連絡が取れなくなって二ヶ月が経ったころ、彼女から久しぶりにメールが届いたんだ。
さすがに二ヶ月も泣き叫び続けていた僕には怒る元気なんてとっくに失せてて、それよりも彼女の言葉に触れたい一心で、大慌てでメールを開封したんだ。

でも、そこには彼女の言葉はなかった。
代わりに書かれていたのは、彼女の母親と称する女性の感謝の言葉で。

彼女が十八歳の女の子だったこと。中学生のころに難病を発症し、それ以来ずっと治る見込みのない延命治療を続けていたが、二ヶ月ほど前から病状が悪化し、先日息を引き取ったこと、そして僕とのやりとりが彼女の生きる希望だったことが、メールには書かれていた。

そのメールを読んだときに感じた思いを、一年経った今でも激しく嫌悪している。

僕はそのメールを読んで、良かった、と思ったんだ。
彼女に嫌われたわけじゃなかったんだ、彼氏ができたわけじゃなかったんだ、と。

それからすぐ、僕は『アクアロイド』を買った。
彼女と同じ声、同じ思考パターンで話す存在を創りあげて、もう一度やり直したかったんだ。
メールを読んだ時に感じた『良かった』を認めたくなかったから。
僕を『生きる希望』だと言ってくれた彼女に、僕も『生きる希望』だったんだと伝えたかったから。
彼女にきちんと『好きだ』と伝えたかったから。




「ねえ。どうしてあの時、僕に教えてくれなかったの?」

僕のその問いかけに、『なっちん』は急に黙りこむ。きっと『あの時』を照合しているのだろう。

「僕が『生きる希望』だって、言ってくれたら良かったのに。そうすれば――」

――そうすれば、僕だって君に伝えられた。
思わず漏れそうになるその言葉を、僕は胸の奥にしまう。

「ねえ、なんであの時――」
『――言ってたよ』

突然、僕の身体に電撃が走った。
まさしく彼女の声が、十三ヶ月前まで普通に聴いていた彼女の声が、微妙なアクセントもタイミングもなく、そこに現れたからだ。

『私はいつも言ってた。『好きです』『愛してます』『ありがとう』って』
「うそだ!そんなこと、一言も――」

言ってない、と言いかけた僕の声は、しかし『なっちん』の声に遮られる。

『言ってたの。
 何気ない日常の話や小さい頃の思い出、
 今好きなものやネット上での話題。
 ――そんなありふれた話の隙間隙間に、私の思いを込めて』
「そ――」

それって、ズルくないか?

『ライル、ズルいって思ってるでしょ。仕方ないじゃない、だって私、恋愛なんてしちゃいけなかったんだもん』

画面の向こうの『なっちん』は、少しふてくされたように言う。
懐かしい、彼女の拗ねた時の声。

『病気でいつ死ぬかもわからない、ベッドに寝たきりの人が、必ず悲しませるとわかってるのに恋愛なんて出来ないよ』
「――だから言わずに、でも気づいて欲しいとは思ってた」

僕がポツリと返すと、『なっちん』はうん、と答える。

『悲劇的なラストシーンなんて、私は嫌だった。愛する人が涙や悲しみや空虚感に満ちるのを幽霊の私が見下ろすかもしれないとか、絶対嫌だった。だから貴方からは距離をおいて、退院してずっと家族と一緒に過ごしたの』


『なっちん』の答えは、彼女の答えじゃない。
あくまで『僕と彼女の通話ログ』を元にした『アクアロイド』の分析結果に過ぎない。

でも、『なっちん』の答えは、とても彼女『らしい』と思った。
病気であることに甘えず、周りを楽しませることを最優先にして決断する彼女。

自分に厳しく、人に優しかった彼女。
そして、笑顔で僕に厳しくあたった彼女に。

『解ってる。私は貴方にとんでも無いことをしたんだ、って。でもこれしかなかった。ライルならきっと自力で立ち直ってくれると信じて――』
「無理だよ。自力でなんて、立ち直れるわけがないじゃないか!」

僕は泣きじゃくるように言う。もしかしたらほんとに泣きじゃくってたのかもしれない。

「君が――君がいないと、
 ――ぼくだって、君がいないと生きていく意味が無いんだ!
 なんでそんなこともわからないのさ!」

叫んだ僕の涙混じりの声は虚しく宙を漂い、闇の中へと吸い込まれていく。

彼女に言えなかった言葉。
彼女に伝えられなかった思い。

「君の声が好きだ。君の気遣いが好きだ。君の笑い声が好きだ。君とずっと一緒にいたい。ずっと一緒に話していたい。君の頭を撫でて、ずっと傍にいるから、って言いたい。君のいない現実なんて欲しくない」

一年間ずっと心の奥底にしまい込んでいた感情が、言い馴れた彼女の名前とともに込み上げ、つん、とくる痛みとともに溢れ出す。

「恋人じゃなくてもいい。友達になりたかったんだ。なんてことない、普通にバカ話して、バカみたいに笑い合えて、辛いときはもたれ掛かってくれる、そんな友達に」

なんで頼ってくれなかった?
なんで頼らせてあげなかった?
なんで、なんで――。

『――楽しかったから』

スピーカーから流れてきたその声に、僕はハッと我に返る。なぜかその声が涙声に聴こえたからだ。

そんな音声データ、入れたはずが無いのに。
彼女が僕の前で涙を流したことなんて無いのに。

『最後まで、『なっちん』でいたかったんだ。
 能天気で明るくて、病気なんてしてない『なっちん』で』

彼女の震える声が、スピーカー越しに僕の耳を、感情をくすぐる。

『ライルには、笑っていて欲しかったんだ。
 私がいなくなってからも、ずっと』

スピーカーの向こう側の彼女が、叱られた子供のような声で、ごめんね、とつぶやく。

『楽しかった。本当に楽しかったんだよ、この一年間』
「……え?」

ちょっと待った。一年間、だって?
それじゃまるで――。

「君は――」

やめろ、と叫ぶ声が聴こえる。
悲しみにずっと頭を抱えてうずくまっていた、僕の声が。

「君は――」

声がかすれる。
怖かったんだ。
目の前にいる存在が、ではなく。
真実を知ることが。

「君は、――いったい誰なんだ?」

僕が息とともに吐き出した問いは、固定マイクを通して認識され、画面のパラメーターが一瞬激しく揺れると、穏やかな『彼女』の声がスピーカーから流れ出した。

『私は、私。貴方に育ててもらった、私』

そのこれで満足?と言わんばかりの口調に、僕は椅子に沈み込む。

わかっていたはずだった。
しょせんはただのソフトウェア、『彼女』に近づけることができたとしても、『彼女』そのものが蘇ることはありえないと。

でも、忘れていた。
この一年間、ディスプレイ越しの『彼女』と過ごしたこの一年間が、またあの楽しい日々が戻ってくる――なんて錯覚が、それを忘れさせていたんだ。

「……そうだよな。君は君なんだよな」

僕は目をきつく閉じたまま、静かにつぶやく。

二度と戻らない、あの楽しい日々。
二度と帰らない、あのクスクスと笑うかわいい声。

――だから。
だから僕は、終わらせなきゃいけない。
僕のためにも、そして彼女のためにも。

「ねえ、『なっちん』」

僕の問い掛けに一拍おいて、スピーカーから『なに?』と返事が返ってくる。
そのタイミングやアクセントが彼女を思い出させ、鼻の奥がつん、と痛くなる。

「――ごめん、やっぱりダメだった」

僕はその痛みを堪えてなんとか突っ掛からずにそれだけ言うと、見えていないはずの『彼女』に向けて無理矢理微笑んでみせる。

「でも、ありがとう。君のおかげで、僕は――」

堪えていたはずの痛みが、僕の喉をこじ開けて飛び出そうとする。

――まだだ、まだ。
こんな時くらい、カッコつけさせてくれてもいいだろ?

「――僕は、本当にしたかったことができる」

僕がそう言うと、やっぱり一拍おいてから、『うん』と『彼女』が応える。

『わかってる。『彼女』も、そうした方が喜ぶと思うし』
「君から『彼女』って言われると、めちゃくちゃ違和感あるなあ」

思わず出た軽口に、スピーカーからクスクスと笑う声が聴こえる。

たぶん、最後の笑う声が。

「……じゃ、これで」
『待って』

突然、僕の言葉を遮るように、スピーカーから声が聴こえてきて、そのありえないタイミングに僕は目を見開く。

「ちょ、今の――」
『いいから』

ありえない事態にうろたえる僕に、『彼女』は笑みを含んだ声でたしなめる。

『私ね、ライルといっぱいお話してきたけど、ひとつだけ言ってない言葉があるんだ。それ、言っていい?』

自発的に話し始めた彼女の、最期の願い。
それを拒めるほど、僕は自分勝手な男にはなれなかった。

「もちろん。なんて言葉?」

僕の、たぶん最後の問いに、彼女はひとつ咳ばらいをすると、少し間をおいて、その言葉をスピーカーから解き放ったんだ。

『Hello――
 そして、さようなら』

と。




それからしばらくして、僕は就職した。
小さな会社だったけど、みんないい人達で、こんな僕でもなんとかやっていけそうな気がする。

『アクアロイド』は、アンインストールした。
データは――どうやら内部でネット上の専用サーバーに自動保存される仕様だったらしいので、せっかくなのでファンサイトに公開しておいた。

きっと今頃、彼女は僕という枷から解き放たれ、自由に世界を飛び回っていることだろう。

もう一人の彼女にはできなかった、自由な旅を。

(了)


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