『シン・ウルトラマン』ウルトラマンは〝神〟だったー昔、映画が好きだった。そして今も好きなのだ 60s映画レビュー(25)
https://www.youtube.com/watch?v=2XK23KGM-eA
見て来ました!
何しろ私の少年時代のヒーローですから、楽しみにしてました。
冒頭のタイトルはあの懐かしいグルグル。そして昔のままのレトロなロゴ。「ウンウン。それでいいんだ」と心の中でうなずいてました。
じつは心配していたんです。気取った映画にされていないか?と・・・へんに気取られて〝平和主義〟のヒーローにされるのだけは勘弁して欲しかったんです。でも大丈夫。ウルトラマンは強くて、昔通りのカッコよさでした。
長澤まさみ演じる分析官・浅見弘子が思わず「きれい・・・」と口にしますが、成田亨の描いたウルトラマンのデザインってホントに美しいです。スペシウム光線を出す直前のフォームも動作一つ一つが絵になります。
やや気になっていたのは劇中に流れる「音楽」は昔通りのものを使うのか?「シュワッ」「ジュワッ」等のウルトラマン語は使われるのか?ってことです。結論から言うと「シュワッ」「ジュワッ」はありませんでしたが、音楽は昔のまま使われていて、これには興奮しました。ウルトラマンが怪獣・宇宙人(この作品では「禍威獣」「外星人」となっています)と戦うシーンにあの音楽が流れるとジーンとして「ああ、俺は少年時代にこの音楽でワクワクしていたんだな」と再認識いたしました。
ただし、私のようにのノスタルジーで見る人間は大満足なんですが、世代的にそうでない人はこの映画を面白いと思うのか?ちょっとわかりません。
なお私の好みで言うと、出てくる怪獣(禍威獣)と宇宙人(外星人)の設定やデザイン等についてはいろいろ言いたいことはあります。正直、最後に出てきたゼットンについてはガッカリ。これ以上はネタバレになるのでノーコメント。
ところで、昔こんな評論を読んだことがあります。
スーパーマンは宇宙人だが、地球人であるアメリカ人に育てられた。ゆえにスーパーマンが地球を救うのは必然。しかし、ウルトラマンは過失で地球人を死なせてしまっただけで、それについての謝罪は必要であるにせよ、一生を地球のために捧げるのは不自然。これは他力本願の戦後日本人の姿(つまりアメリカの軍事力に依存する姿)をそのまま映している。
これを読んだ当時はナルホドと納得してましたが、この映画を見てちょっと考えが変わりました。
西島秀俊扮する禍特隊専従班長・田村君男が、ウルトラマン頼みの状況の中でこう言います。
「この国は困ったときはいつも神頼みなんだ」
そうです。ウルトラマンは〝神〟なのです。
考えてもみましょう。スーパーマンだってクリプトン星の生まれの異星人です。地球の危機のために異星人の力を借りるのだから他力本願です。地球人に育てられた恩義ゆえに地球のために戦うのはじつに人間らしい理由と言えますが、ウルトラマンは〝神〟です。日本の〝神〟は特別な人間的理由がなくても、自分が気に入った善人ならば誰でも助けてくれます。だから全然、不自然ではありません。
ちなみに、シンウルトラマンのキャッチコピーは「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」だそうですが、ウルトラマンが好きになったのは「人間」というよりも「日本人」ですよ。だって「禍威獣はなぜかこの国にしか出現しない」のですから。
米津玄師の歌う主題歌「M八七」の歌詞にこうあります。
「君が望むなら、それは強く応えてくれるのだ」
これって〝人と神〟の関係そのものじゃないですか。
なお、日本では人も亡くなると〝神〟になって祀られます。世のため人のために尽くして亡くなった人の自己犠牲へのリスペクトが〝神〟という存在になります。そしてラストは明かせませんが、この映画のテーマは間違いなく「自己犠牲」です。