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予定調和に慣れすぎた私たち

7月末に参加予定のワークショップに向けて、何度かZoomでのプレ・セッションが催されている。ファシリテーターは同志社女子大学名誉教授の上田信行先生。なんと、高知に来てくださるのだ。

プレ・セッションには台本がない。上田先生の言葉を借りれば「UNCONFERENCE」な状況の中で進んでいく。上田先生の書籍『プレイフル・ラーニング』ではこれを「脱予定調和」と呼んでいる。

プレ・セッションに参加している大人も、多くはこの状況に緊張したり戸惑ったりしていた。私たちは予定調和に慣れすぎているからだ。


学生の間ではタイパ・コスパが重視されていて、SNSにもそんなキーワードがあふれている。しかし、「○○をやるための効率の良さ、リーズナブルさ」がタイパ・コスパなわけで、それらはそもそも「ゴールや結論ありき」であることに注意が必要となる。

しかし、タイパ・コスパを重視しているのは、本当に若い人たちだけなのか。プレ・セッションの様子からも、大人だってゴールや結論の見えない状況に放り出されたら戸惑うのである。

そこで重要なのは、そのゴールや結論の出どころである。そのゴールは自分で決めたものなのか、その結論は自分で導き出しているか。多くの人が日常的に、誰かが決めたゴールに向かい、誰かが決めた結論を正として動いているように思う。だから先が見えない状況に置かれると、それが安全な場(授業やワークショップ)で行われているにもかかわらず、戸惑ったり不安になったりするのだろう。


私は長らく参加者として、時にファシリテーターとして、Points of Youに関わってきた。これはイスラエル発祥のツールであり、コンセプトでもある。創始者の一人・Efratが創造するワークショップは常に、脱予定調和。何をするのか、何が起こるのか、タイムスケジュールすらも事前には知らされない。

私は国内外で、さまざまなPoints of Youのワークショップに参加してきた。そうすると時折、その非構成さに不安になるばかりでなく、不満や怒りをあらわにする人もいた(※Points of Youの場合、裏側では緻密に構成されているのだが、特に初めての参加者にとってはかなり非構成な場に映る)。

一寸先は闇な状況において大切なことは、場のプロセスを信じること。場に対して心を開いて、自分が取りがちないつものパターンを変えてみること。こうしているうちに、場にいる他者とつながる感覚が生まれてくる。この感じを何度か体験するうちに、脱予定調和の中でも地に足をつけていられる自分に、少しずつなってきた実感がある。

Points of Youではこれらを短い言葉で表している。

  • Trust the Process

  • Open Heart

  • Break Patterns

  • Sense of Belonging

これらは、言葉だけではピンとこない。体験しなければ。
表面をなぞるだけでは伝えきれない。自らの体験がなければ。
そして私たちはほとんどの場合、教育の中でこうした体験をしてきていない。

ただし、何度参加しても、脱予定調和の場から体得できない場合もある(※1)。経験が長けりゃいいというものでもない。表面をなぞるだけになってしまう人はおそらく、場に心を開ききれていない。裏返せばこれは、自分自身をも信頼できていないことにつながる。くわえて、自分のやり方に固執している。自分も周りも信じきれていないから、これまでのやり方を変えることが怖いのだ。だから結局、周囲とつながる感覚を持てない。単なる個人の感想だが、これまでたくさんの人を見てきて、そんな気がしている。

(※1)Points of Youの場合、公式プログラムに何度も参加すると、裏側の構成がわかった状態になるので、予定調和に変わる。その予定調和に浸ってしまうと、いつまでも体得できない。逆に、同じプログラムから何度も深い洞察を得られる人は、以前受講したときの自分と今の自分は違うことを認識し、異なる参加者の中に身を置いている自分の内面の変化をキャッチしている。ように思う。これにはかなりの集中力が必要。


上田先生のプレ・セッションに2回参加し、久しぶりに『プレイフル・ラーニング』を読み返した。上田先生がプレ・セッションで実践していることが、ちゃんと書いてあった。本質は、ずっと変わっていなかった。そしてそれは、私がPoints of Youで体験を通じて学んだことと共通していた。

初版2014年刊行。谷口が初めて上田先生にお会いしたのは2016年。


タイパ・コスパに気を取られ、他者が自分をどう見るかばかりを気にしている若い人たちに、私は「脱予定調和」から学んでほしいと思っている。

脱予定調和な場に身を置いたとき、最初にどういう感覚を味わうか。それは自分の内側のどこから湧いてくるのか。そういう場に繰り返し参加することでどんな変化が起こるか。場のプロセスだけでなく、自分自身の内側にわきおこるプロセスも観察することで、古くて新しい自分に気づくことができると確信している。ただしそのためには、心を開き、自分のやり方にこだわらないで、その場を信じることが大切だと思う。

これは一つの冒険だ。この冒険をエキサイティングだと思うか、怖いからやめておこうと思うか。それはもう、自分次第なのである。

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