判断をすぐにしないようになりたいね

三日坊主を続けることにしようと思う。(文章を書くことを継続的にできていないことへの言い訳)

今日は午後から用事があるからか、はたまた昨日の夜にやり残した作業が心残りだからか、割とすっと起きることができてうれしい。ゴミも捨てられて気分がいいので、近所のパン屋さんに行こうかと散歩に出かけた。月曜日が定休日だった。
行き先をなくして迷いながらも、引き返すのもあんまりうれしくなかったので、そのままずんずん歩く。商店街の少し外れの道だから、入ったことのない店もいくつかあり、その中にあったパン屋さんに吸い込まれるように入り、たまごとハムのサンドウィッチを買う。店員さんの笑顔が素敵で、得した気分になって帰宅した。
(こんくらい詳細な人生ゲームのテキストがあったら少しいいかもしれない。何が?)


不得意なこと、これまでチャレンジしてこれなかったことへのジョブチェンジを、やろうとしている。している?かもしれない。自分で自分に与えた謎の猶予(といっても、運が良いし、周囲の皆様のお蔭を多分に含む)を、好き勝手に使おうとしていて、27歳にもなって何やってんだろうな、とは思う。
自分のことを客観的に見てあげることを、考え始めてすぐにするのは、今は難しい。ただ、こういう友人がいる、と思えば、たぶんちゃんと励ますだろう。そのくらいの気持ちは持ち合わせていると思いたいし、そうあろうと思っている。


「判断をしないこと」が、ぼくが今身に着けたいことの最上位にあるものなのかもしれない。自分の行動についてもそうだし、人の話を聞く/聴くことについてもそうだ。判断とか結論って、あくまで仮のものでしかないし、その本人が狂気になって下すしかないものだ(未来について、何がどう転ぶか、どれだけ準備しても結局はわからないから)。そう考えると、自分が下せる判断・人が下す判断について、その領域に自覚的になることが、自立を意味しているのではなかろうか。


コンビニエンスストアに対する、個人店の人の気持ちって、いまどうなっているんだろう。多くの人に知られている、明らかに強くでかいものが、すぐ隣に見えるのって、芝生が青いどころの騒ぎじゃないだろうなと思う。
でもね、やりたいことも、それを実現するための手段も違うんだよねぇ。店というものがすべて規模拡大を企図しているわけではないのだもの。こういうことを、すぐに単純化して考えてしまうな。そうだね。


最近は、ずっとどうやって生きていくかに悩んでいて(考えてはいない)、こんなの簡単に結論が出ることでもないので、悩みつつも諦めている。
そういう状況だからこそ、書かなければならなかったな、と思う。
といいつつ(比較的)短いけれども、お風呂にも入りたいので、いったん終わります。またね~~~。

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