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34歳会社員がラジオパーソナリティーに転職した話⑧フィジー編

会社員だった私が、34歳でラジオパーソナリティに転職するようになった経緯をのんびりと書き連ねている。かれこれ10数年前のことだ。

卵巣がんの可能性があるという事態から手術、そして病理検査の結果を聞いたところまでは前回以前の記事に書いた。
だいぶ詳しく書いたが、同じ病気で悩んでいる方の参考、とまではいかなくても、経験談のひとつとして読んでもらえたら。


フィジーってどんな国

前回の記事 の最後に書いたように、「病気が治ったら海外旅行へ行こう」という母の提案を受け、とうとう人生二度目の海外旅行へ出かけることとなった。
ちなみに初めての海外は高校の修学旅行で訪れたカナダ。飛行機嫌いの私はそれ以来、海外はおろか本州から出ることすらなかった。

行き先に決めたのはフィジー共和国
マニアックと言う人もいるが、公用語が英語であること、海と自然に触れられ、温暖な地域のため、ハネムーンやリゾートとしても人気の国。日本からの留学先としても注目を集めているとか。

南太平洋に浮かぶ大小様々な333の島々から成るフィジー共和国。
333!といえど、火山やサンゴ礁で形成された島々も含むので、総面積は日本の四国とだいたい同じくらいというから、決して広い国ではない。

2019年時点での人口は約90万人、日本だと世田谷区の人口が91万人ほどなので(総務省統計局令和2年調べ)同じくらい。
1870年代から約100年ほどイギリスの植民地で、この時期に同様にイギリスの植民地だったインドから多くの移民が移り住んでいる。

人口比を見ると、フィジー系が57%、インド系が38%、他5%という比率。(2007年政府調べ)

日本人留学生も多くいるとは聞くが、私が訪れたのはリゾートホテルとその周辺地域のため、一度も日本人に会うことはなかった。

と、基本情報はここまでとして、なぜフィジーなのか。

単純な話。今回の旅は心配をかけた母へのお礼を兼ねていた。
湘南生まれ、趣味スキューバダイビング、好物は干物、という海好きの母が楽しめるようにとの一心で選んだ。

フィジーへ到着

韓国仁川経由でフィジーナンディ国際空港へ到着。(現在は日本から直行便が出ている)
某旅行会社のガイドの方が笑顔で迎えてくれた。大きな体にアロハシャツをまとっていた。フィジー人だが日本語を上手に話す。
彼に連れられ、休む間もなく空港そばにあるマーケットへ向かう。
ここで記念写真。この旅のスタートの一枚だ。

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見よ、この疲れ切った私の顔を(左)。
「長時間フライト」という飛行機嫌いにとってはとんでもない苦行から解放された直後のこの顔。さらに絶賛すっぴん中のため眉毛がない。フィジーに降り立つスケバンか。隣の母のほうがよっぽど力のみなぎった健康的な顔だ。
マーケットには色とりどりのフルーツが並んでいた。しばし甘い香りに包まれ頭がボーッとしていた。はあ…フィジーへ着いたのか…無事に… 

続いてマーケット近くにある土産物屋に連れられ、お土産を買うように勧められる。フィジーに到着してまだ1時間も経っていないので、正直土産を買うテンションではない。
雰囲気を楽しもうと店をウロウロしていると、インド系だという気のいいお兄さんに声をかけられる。この店のスタッフである彼もまた簡単な日本語を使えた。ちょっとした世間話をしつつ、黒真珠を使ったアクセサリーを熱心に薦めてくれる。フィジーに到着してまだ1時間も経っていないので、正直黒真珠を買うテンションでもない。
Noの言えない日本人な私は、ひたすらニコニコと曖昧な対応をし続けて、最後の最後の会計時に小さな声で「黒真珠はいらないのです」と伝えた。すると彼は日本語を話すのをやめ、早口でまくしたてるように英語でなにか話していた。
気を悪くしたのかしら…とつい落ち込む私。隣では海外旅行慣れをしている母が笑っている。「はっきり断らないあんたが悪い!ガハハ」

その後、海の見える小さなレストランで何かを食べ、何を食べたっけ。
当時の写真がほとんど残っていなく、10年以上経ってしまったので記憶が抜け落ちている。もっと街や人の様子を写真に収めておけばよかった。そんな中で母が撮っていた写真を。

レストランの庭にて。

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到着直後と比べると、まだ疲れは見えるものの、少し生気が戻ってきた感もある。


さて、いよいよフィジーでの10日間を過ごすリゾートホテルへと車で向かうことになる。実はこのドライブが大変だった。約数十キロ、1時間もない道のりだが、私はワンボックスカーの後部座席でひたすら祈り続けることになる。

その前にフィジーの交通事情について。は日本と同じ右ハンドルの左側通行。空港の周りはバスや車が走っていたが、少し離れると車の数は減る。信号の数は少ない。
信号のない真っ直ぐに伸びる道が多く、ところどころ道路を横切るように段になっているところがあった。その段の手前でスピードを落とす、という想定で作られているのだろうか。街から離れると道路の整備も進んでいないのか、陥没箇所が多かった。

ドライバーはフィジー人の若い男性、助手席にはガイドの彼が座っていた。後部座席には私と母。あたりはすでに暗くなっていた。街灯もないのでヘッドライトだけが闇を照らしている。車の中は静まり返っていた。ガイドの彼も母も寝てしまっていたからだ。起きているのはドライバーと私のふたりだけ。

真っ暗の中、まあまあなスピードで走っているのが体感でわかる。
道路の段差や陥没にあたるたびに車が跳ねる。私はリュック・ベッソン監督の名作映画TAXiを思い出していた。まさにこの車があの映画のように跳ねながら猛スピードで走り抜けているのだ。
「邦人女性二人が旅行中に交通事故により…」という縁起でもないニュースが頭の中で再生される。

日本から遠く離れた南太平洋の島、初めて会うフィジーの若い男性が運転する車内。私は膝に載せた荷物を抱き込んで、ただただ無事に到着することを祈り続けていた。

頭の中を流れるBGMはもちろん、Dick Dale & His Deltonesのミザルーだった。



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