見出し画像

映画『12ヶ月のカイ』成長記録|2021/05/21

 こういう話が浮上する世界線にいる限り、『12ヶ月のカイ』の存在価値は上がり続ける。本当に不本意だけれども。カイを撮り始めた時の想定では、完成する頃には日本ももっとまともになってるはずだったのになぁ…。いとむげなり。

 あいにく物語を書き始めた当初はLGBTQのことはテーマとして想定していなかったけど、人間の女性とヒューマノイドの男性がメインキャラクターとなっている『12ヶ月のカイ』で、生物学的に「生み出せるもの」と「生み出せないもの」が出てくる物語という意味では少し今日のニュースにリンクするところが偶然見つけられてしまった気がする。不幸中の幸い…、いや、不幸か…。

 お偉方は常に「血」だの「種」だの「伝統的家族感」だのとおっしゃられるが、そう言ったものが平民の日常では現実問題もうすでに溶けきっている(だからこそ組み直しが必要)ということが伝わっていないのだと思う。溶けているから問題になっているのであり、すでに溶けてしまったものは覆水盆に返らず、私たちは散った水を掻き集める話をしているのに、彼らはもう何も入っていないコップを片手にあれやこれやと言っている。コップに入ってない水の話なんか誰もしてないんだけどなぁ…。あ、ごめんなさい抽象的すぎました。

 話を戻すと、今回彼らが言う「道徳」などというものはそもそも人間、しかも日本という狭い枠組みにいる人間が勝手に作り上げた「ひとつの概念」であり、人類が持つ数多くの概念の中の一つでしかない。ある国のある箇所にしか生きていない状態だと、そのことにはなかなか気づきにくい。何故なら普段、別の概念を持つ外側の世界と関わることがないから。市民の代表が市民の意見を全く汲み取っていない今、もうそもそも色々機能障害を起こしているとしか思えない。その障害に気付かないまま進んだら、果てにどんな国が残るのでしょうか…?

 そうか、これが分断ってやつか。恐れ入った。

 この機能障害、実はLGBTQ+の話に限ったことではなく、その昔流行った女性活躍やら、働き方改革なんかも見事にこれに引っかかっているように私には見える。だからこそ、『マイライフ、ママライフ』『12ヶ月のカイ』が違う立て付けの話のようみ見えて実は一緒…という、私の主張でもあるのだけど。どちらの作品も、声が届かなかったり、世界の見方の違いで悲劇が生まれてしまう、という物語なんでね。すごく、平民側の日常的な小さな物語に噛み砕いているから、政府が行政が国が云々というところは一切出てこないけれど、機能障害の結果起こることがこういう物語だよ、という因果はほぼほぼ正解でしょう。

 結局、隣人を愛せよじゃないけど、「お前の言う人間って、ちゃんと人類全員入ってる?」ってことが、ここ最近のお偉方の見方がなんか違うなーと思う一因なんだと思う。君のいう「我々」って、「あなたたち」のことであって、「私たち」のことじゃないよね?

 こんな状態でSDGsがどうこうなんて、ちゃんちゃらおかしいだろ。

 いっぺん頭冷やしてこいよ。


 と、久々にフロウをかましてしまったので、今夜は最後に、今最もホットなあのグループ、BTSの新曲「Butter」でお別れしましょう。もっと心をスムーズにしたいんだぜ、私は。

本文との温度差で風邪引くよ。笑

最後までお読み頂きありがとうございました! 「スキ」押して応援頂けたら嬉しいです🤘