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受け取る側


私は長らく、自分は何かを受け取る側の人間だと思っていた。
というより、今も、そちら側の人間だと思っている。

誰かが素晴らしい作品を創り出す。
私はそれを受け取って、眺めて、甘受して、満たされていく。
その役割はきっぱりと分かれていて、二つの世界は交わりはしない。

ずっと、その作品たち、小説であれ、写真であれ、映画であれ
その素晴らしさを「どう」受け止めるかが私の課題であった。
それを誰かに伝えるための「言葉」が先にあった。

時折、また受け取る側に戻るべきなんじゃないかと
私の居場所はそこにあるのではないかと思うことがある。
その方が甘美であり、揺蕩う小舟に乗っていられるじゃないかと。

今、映像や歌を、真っ新な心ですっと取り込んでいる。
水を飲むように、息をするように、自然に心赴くままに。

反して、なぜだか、文章をしばらく読めなかった。
きっと何処かで、今自分が書けていないのに
言葉だけは、受け止める側に回りたくないと拒否するかのように頑なに。

そんな折、夢の中に連れて行ってくれるように
久しぶりの読書にいざなってくれた。それは、haccaノベル
心地よい風が流れて「ときめき」なんて言葉を思い出した。
忘れていた素直な気持ちが動き出す。

あなたの紡ぐ言葉がすきだ。

伝えてくれたその一言で、一条の光が射して、私は引き留められるんだ。
そんな矢文が来ると、はっとして遥か上にあった水面を思い出す。
何処かで「何かを書く私」が息を吹き返してみたりする。

どうしてかな。嬉しい。

微かな糸が私を掴んで離さないでいてくれるのだけど
本当の私は今、どうしたいのかまだ決めかねている。

でも、何か表現するということは、生きてる実感が湧くね。
勝手だな、私は。




いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。