自分が子どもらに注げる愛情は他のお母さん方のそれよりは薄いという自覚は余るほどある

「普通のお母さんみたいにもう少し子どもたちに愛情を注いだらどう?」
と義母に言われたことがある。
上の子のため学校に特別支援学級を開設しようと、学校と協力して四方八方走り回ってうんうんうなっていた4年前の冬だ。

正直めたくそショックだった。
でも、言われる日が来たか、とも思った。
可愛い、愛してる。その感情はあるが子の寝顔を見た時に発露するもので、起きている時はすぐ癇癪を起こしトラブルのない日はない長男と、まだ2才の次男に最低限の世話をするだけで、そこに愛や優しさはなく。
愛情を示すだけの余裕や彼らの愛を受け止める器もない。ただただ実務。
ハグや愛ある言葉をかけることは形だけならできる、が、中身が空っぽのままそれをするのは子らに失礼だし、気持ちを隠せるほど器用でもないから、ただただ、自分の愛情の薄さを責めながら生きている時期でもあった。

そんな時に特別支援学級の開設に諸々問題が噴出。
普段や学校での姿を見るに、これ以上子を普通級に居させるのは限界で、当時通ってた学校に支援級がなく、新たに開設しないとならなかった。子自身や同級生、教員、兎に角皆に悪影響がかなり出て、悪い方向にしか歯車が回らないのは想像に難くなく、何をしてでも為さねばならぬ、という使命感で動いた。
私の頭と足をフルに使い、壁にぶち当たっては悩み、策を練り、時に理不尽に怒りながら生きていた。
そんな状態で最初に義母から放たれた言葉は、私を打ちのめすのに十分だった。
これ以上支援級の開設に関与するのをやめ、子に密接に関わろう、とも思った。
が、やめることができなかった。
何故か。
私の空虚で薄い愛の言葉や仕草より、子が今後学校で過ごしやすくすること、将来自立できる道筋を立てる一歩を作る方が、余程愛情表現に値するという気持ちが根底にあったから。
母の愛情が子の情緒に深く関わり大人になっても影響する、知ってる。
そんなん犬に食わせとけと思っていた。
最終的に夫も加わり、保護者・医療者・学校で協力しあい支援級は開設に至る。
自分の努力と、愛情からくる使命感が形になった、と思った。子への愛情表現の原点はこれからきている。

子がよりよく成長するために支援者の手を借りながら育てよう、自分の愛が足りなければ皆で注げば大丈夫。そんなことを続けながら今日に至っている。
母の愛は唯一無二だとしたらどうしよう、と毎日揺らぐ。特に下の子からはひしひし感じる。
同時に、自分の愛情は子らの環境調整や支援者への要望を伝える、そのために走るのは揺るがずにいる。
仮に子らが成長し私からの愛が欲しかったと言うのであれば謝るしかできないけど。でもまた更に成長して、子らがもしかして、私がやったことに気づきそれを肯定的に捉えてくれたら、常につきまとっていた罪悪感が消えるのかもしれないな、とも思うが、期待はしていない。してもいけないし。


で、だ。
これTwitterに書いたののコピペなんだけど。
書いたきっかけいうのんが、発達障害を持つ子のお母さんが、医者やら教師やらだって人間で、それを思うと我が子のためだけに手間を取らせたり支援をお願いしたりするのが辛くてできなかった、というツイートへのアンチテーゼだったんですよ。
医療者や教師が人間だってなら我が子も人間なのに、発達障害者支援法に基づいた合理的配慮をぶっちぎってるよね、自分ができなかったと振り返ってることが子どもさんの機会損壊だって気付いてるんかなあ?とぐるぐるして、もう本名も実像もわからん他人様に怒り狂った。でも一応大人だし、もしかして、できないのが通常なんかなあと思ったから、半分体験談、半分自慢話として書いた。怒りの対象が読んだか知らんけど。


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