ありがとうございました
noteやめます。
やるべきことが見つかったわけではないですが、心境にはっきりとした変化が訪れました。
noteを始める前よりも、より詳しく、深く、自分自身のことが分かるようになりました。自分の長所も、短所も。特異性も、凡庸さも。
今の私が自分自身に対して何を思っているかは、ここでは語りません。大したことは思っていませんし、心配されるようなことも思っていません。
ただ、ある種の見切りをつけたという、それだけです。
こういう人との関わり方は、新鮮で、楽しいときもありました。日々の楽しみであったこともありました。でも、それももうおしまいです。そろそろここらで、自分を見せびらかすのをやめようと思います。
もう見せるものがなくなったというより、私自身が、もっとたくさんのものを知りたい、感じたいと思ったからです。
しばらく、静かに暮らそうと思うのです。今よりもっと、静かに、ただ観るだけの生活を、楽しもうと思ったのです。
いえ、本当はただ、元の生活に戻そうと思っただけです。一年と少し前の、本当に自由だったあの頃の私に、戻ろうと思ったのです。
世の中と完全に縁を切って、自分自身だけの世界にたち戻ろうと思うのです。
そうしていつか、私のような存在が必要になったときのために、準備を進めておこうと思うのです。
今は、私が現われる時代ではない。そんな時代はずっと来ないかもしれない。それなら、それでいい。
ただ私は、こういう場、こういう時期にまくことのできる十分な量の種を、まき終えたと思うのです。
将来の私はきっと、この一年と少しの間に、ただやみくもに推し進めたこれらのことが、なぜかその時の自分自身の計画を進めるのに大きく影響してくることに、驚き、困惑することでしょう。それは私の無意識や肉体の、粋な計らいだと言えるでしょう。
私は直感しているのです。理屈ではなく、ひとつのヴィジョンとして、私がこの一年でやったちっぽけな事柄は、時とともに、大きく価値あるものに変わっていく。そしていつか、私自身の元に帰ってきて、また別の形で、私を導いていく。
さようなら。お元気で。私はきっと、この一年であった全てのことを、数年のうちに全て忘れてしまうと思います。仲良くなった人たちのことも、傷ついたことも、救われたことも、全部全部、忘れ去ってしまうと思います。
きっと他の人も、私のことは綺麗さっぱり忘れ去ってしまうことでしょう。それでいいのです。
そして、まかれた種は、たとえ皆が忘れたとしても、ちゃんと育って、大きくなって、いつか、私たちの目の前に、新しい姿を見せてくれるでしょう。
無駄なことなんてなくて、全てはちゃんと繋がっている。記憶だけが、世界の全てではない。忘れ去られてしまったとしても、それがなかったことには決してならない。誰も見つけなかった花が、咲かなかったことになんて絶対にならない。
決して無意味なことではありませんでした。全てがちゃんと、意味のあることでした。
だから、さようなら。お元気で。
私は穏やかに、ひとりきりで、暖かい陽だまりの中、静かに人生を過ごすことにします。
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