絹の変容(小説の話)

ホラー小説を読もう

SNSを斜めに眺めていたらこの作品が面白いよ、と紹介されていた。
ホラーらしいという前情報だけでPlayBooksで購入して読んでみる。
事にした、表紙は家のフレームに目を閉じた女性の姿が描かれている。
ホラーと絹、変容というワードから養蚕業の文脈で蚕を飼育する田舎のなんちゃらで人間が巨大な虫に変わってしまう的な話かな?
と因習村系のホラーを想像しながら本を開いた。

内容は大分違った、バイオテクノロジーによって蚕を改造、強化したら逃げ出しちゃって大変な事になる、いわばモンスターパニックだった。

あらすじ

地元、八王子の織物企業の跡取りである主人公が美しい絹織物を見つける所から話が始まる。
古くは養蚕、絹織物で栄えた地域で、戦前戦後の激動の時代を包帯生産に舵を切って生き残り今は忙しく働く包帯工場。という家柄だ。

華やかな時代の面影を残す家で育った主人公は包帯工場に思う所があり新しい事を初めては放り投げて来たが、実家の蔵で見つけた絹織物の美しさに心を奪われて初めて本気で「虹の絹織物」の再現に取り組むことになる。

母方の実家近辺では特別な蚕の情報を聞くことができるが、「よそものが手出しすると祟りがある」という定番の文句で警告を聞くことになる。
主人公は祖母がこの集落の出身なのでまぁ、よそものでは無い。

そして、「特別な蚕」を手に入れると今度はこれを飼育して増やすために
養蚕技術のスペシャリストを探す。
そうして、出会ったバイオテクノロジーの天才研究者が大問題を引き起こすことになる。

モンスターパニック(ネタばれ)

特別な蚕の飼育は難しい、理由は食性だ。
蚕はもともと偏食で好きなものしか食べない。
普通の養蚕は桑の葉を食べさせるが、この特別な蚕は山梨の奥に生えている特殊な変異をした木の葉しか食べない。
当初はこの木を増やして餌を用意する植樹計画で行くのかと思ったが、天才少女は力業で解決してしまう。

蚕の脳を弄って何でも食べるようにして、雑食にしてしまったのだ。
鶏肉を食べる蚕が登場したとき背筋が冷たくなった。

さて、餌問題が解消されれば虫なんてあっという間に増えていく。
訳ではなくめちゃめちゃ苦労して病気に対処しながら丁寧に増やしていく。
そうして十分な数を確保する過程でちょっとした事件で数匹が逃げ出してしまう。

雑食の遺伝子改造蚕が自然界に解き放たれる。

後はもう恐怖描写だ、周囲から虫の姿消え、あちこちで凶暴な芋虫の目撃証言が出て、ご近所のニワトリが襲われ・・・
折角完成した絹の着物も「呪い」としか言いようのない事件が発生して売り物にならず・・・

世界が滅ぶのではないかという程の恐怖演出で野生化した遺伝子改造蚕が描かれる。
まぁ、実際は街一つが滅ぶくらいだし、実際滅んでも自衛隊クラスが出てくれば解決関東一円に広がったくらいで鎮静化しそうな問題だったので多分に誇張されていたが主人公の主観的には世界が滅ぶ前夜くらいの絶望的瞬間だったという事だ。

最終的に序盤で提示されていた病気によって種を滅ぼす方法で解決を図ることになる。事前にキチンと出していたし、実行に相応の苦労があるのでご都合主義で急に出てきた解決策感が無くてすっきりした。

没入感のあるキャラクター


この作品は主人公と、天才研究者、同年代の実業家の三人がメインキャラクターとして登場する。
もし映画化されるとしたらこの三人を有名俳優が演じて舞台挨拶する立場だろう。

作中において主人公は何者かになろうとして、もがきながらも何も出来ずに大人になってしまった、そんな人物像で今回の特別な蚕の発見はラストチャンスだと思っている節がある。
しかし、ラストチャンスですら彼は及び腰だ。

蚕への改良を始める研究者を見て嫌悪感を露わにしてこんな事は辞めた方がいいのではないか。と悩み
量産の為に土地が必要だと父に頼み込む際にも自分の行いが夢見がちでバカげた事なのではないかと悩み。
同世代の実業家に金を借りるときも悩み。
なのに、大きな問題が発生したときは即座に中止して全部諦めるという決断を下して行動しようとする。

夢見がちなのに消極的でいっつも不安に苛まれている。
でも、過去に多くの事業に手を出してきた経験が必要な所で人に頼る
という事業者にとって重要なスキルを身に付けさせていて、「虹の絹織物」というクリティカルなアイデアを実現させるために必要な人材を揃えてしまった。

正直この主人公大好きだ。
結果的に人生全部裏目に出ているような男だけど、人間味があると思う。
小心者なのに大胆で夢に熱狂するのに問題に直面すると冷めてしまう。
共感してしまうところがある。

相方の研究者も良いキャラクターをしている。
自称飛びぬけた天才、若い女性でありながら養蚕の為のバイオ研究に確かな知見を持っている。
主人公とは真逆で幼少からずっと努力して、才能にも恵まれて相乗効果で天才として完成している人物だ。しかし、その才能と努力を活かす場所が無くて腐っていた所で主人公と、いや、虹色の絹と出会ってしまった。

論理観0で生物の遺伝子を弄ることや、脳神経に改造を施すことを何とも思わない。他人に頼るのが苦手で何でも自分で作業しないと気が済まない。(これらも主人公と真逆だ)
自分がヤバイ事やってる自覚をきちんと持っているが、自分で制御していれば問題は無いという自信家な所が事件を引き起こしてしまった。
ラストで責任取って何とかした上で裁きを受けたというようなタイミングで退場するので「悪人が幸せになってはいけない」論信者の私としては◎。

そして、最後のひとり。主人公と同年代の実業家。
こいつは拝金主義者で常に冷静に金勘定をしながら動いている。
虹の絹織物が金になると判断すれば専用の建物を建てる出資を行い
マネタイズ出来ると判断すれば最高の舞台でお披露目する算段を立て
問題が発生したら最小の傷で手を引く手段を提案する。

切れ者で実業家としての正しい判断を提示する役回りだ。

主人公の「夢」、研究者の「好奇心」、実業家の「金」
三者三様の目的で動いているからイベント毎にそれぞれの対応が分かれて面白い。そして、主人公の「夢」だけが曖昧で揺らいでいるのでいつも自信の無い行動を取ってしまう。
そこがこの作品の魅力だと思う。

最後に

ホラー作品として読んだけど、内容的にはモンスターパニックだった。
超常的な力は出てこなくて作中で出る死者は蚕に対するアレルギーとして表現された。
特別な蚕を探しに行った際に地元の老婆に言われた「よそ者が手を出すと呪われる」というセリフが特殊な蚕の持つ毒性、耐性の無い人間に対する過剰なアレルギー反応を示唆していたという点。

祖母の代から素晴らしい布が作れる事をしっていたのに量産しなかった理由もアレルギー耐性を持っていない、集落の外の人間が触れた際に恐ろしい症状の出る特別な布だという認識があったからだろう。

疑問が一通り解決するからこそこの事件は恐ろしい。
最後に、病気による全滅作戦を潜り抜けて次世代の蚕が生まれる可能性を残して作品は終わる。

最初に数匹の脱走から始まったこの事件が、山に広がった虫の全滅という幕引き以外に受けつけないのに、全滅を確認する手段を人は持ち合わせていない。

バイオテクノロジーの禁忌感と、外来生物によって日々変化する自然の生態と、一度やったら不可逆な人と自然の関わりに警告を発するような話だった。

電子書籍で100P程度だったので短くて読みやすかった。
この本を読む直前に『山形県でニジマスとサクラマスを掛け合わせた「ニジサクラ」という養殖品種を増やし過ぎたから川に放流した』というとんでもない事件が報道されててタイムリー過ぎた。
幸い繁殖出来ないタイプの遺伝子改造だから1世代で終わるようだが、餌を取り合うニジマス原種やサクラマス原種が大きく数を減らすだろうからそれが心配だ。

ホラー小説の癖に現実の問題への解像度を上げてくれる稀有な小説だった。
楽しかった。

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