見出し画像

俺はいいけどYAZAWAが何て言うかな?

これは有名な矢沢永吉さんの名言ですが、この言葉を思い返して最近面白いことに気づいたので書き残しておこうと思います。

俺とは?YAZAWAとは?

俺とYAZAWAを分けて語っておられるところに凄さを感じたのです。

普通、人って俺は俺であり、私は私であって、自分は自分と思っていますよね。いわゆる自我の意識がつよくあります。

ですので、俺の車とか私の家とかボクの家族、俺のスマホ、私のデスク、ボクの靴、私のワンピース・・・みたいに、自分の所有に執着したり、自分と他人を比べてみたり、とにかく「我」が強い(笑)

しかし、矢沢さんは俺と言う我を認めつつも、YAZAWAという我ではない無我の存在を認識しそれを確立されています。

なぜYAZAWAに惹きつけられ魅了されるのか?

70歳になられた今もなをファンクラブの会員数だけでも500万人とも言われる人たちを魅了し続けられるカリスマ矢沢永吉さん。私は大ファンと言うわけではないですが、歌はもちろん、その発言や姿勢、生き方に知らず知らず惹きつけられ魅了されて来ました。

それでふとこの名言「俺はいいけどYAZAWAが何て言うかな?」と共に気が付いたのです。

そうだ!YAZAWAは頭(顕在意識)で考えているのではなく、自我を無くし無意識の領域から降りてきた天啓でのみ生きておられるのではないかと。

自我(エゴ)を無くすと、集合的無意識の領域に響く

「俺はいいけどYAZAWAが何て言うかな?」と言うことは、俺(自我)ではなく、YAZAWAという無我の存在が歌い語ることは全て天啓からくるもので、元々みんながつながっている集合的無意識の領域に自然に響いているのだと思うのです。

そうそうこんな名言もありました・・・
「コンサートは、音を聴くだけのとこじゃない。何か気持ちをもって歌ってる男に、会いに行くものなんだ。」
つながっていますね。

ユング先生曰く「集合的無意識」にはみんなつながっているはずだから、天啓はもれなく私たちにも降ってきているはずですが、どうしても自我(エゴ)ってやつが邪魔して気づくことが出来ないのでしょう。

そこを、YAZAWAという無我の存在を確立し演じ切ることで70歳を超えられた今でも超カリスマとして君臨し続けておられます。

わたしたちも少しは見習って、自我を消し天啓と共に生きたいものですね。

最後にこの名言を・・・
「“お疲れさま矢沢さん。ところで… YAZAWAって役は、どうだった?”って訊かれたいね」

すべてはうまくいっている!

あなたも天才!

わたしも天才!

みんな天才!

これでいいのだ!

ありがとうございます(^^)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?