私のスピリチュアリズム
今回紹介していくのは長年スピリチュアルに携わり、理解を深めた私が自動書記によって綴るスピリチュアルの世界です。
生命の循環
私たちは呼吸をする度にナノレベルの素粒子を吸い込んでいます。息をする度に私たちは物質を体内に取り込み"何か"の情報を身体や神経といった至る部分に取り込み、違う元素にして吐き出します。
この循環を繰り返し私達は生きていくことができます。全ての生き物の"おかげ"で生きていられます。花や草木が全て無くなれば、命の繋がりが絶たれ動物は呼吸を止めて死にます。
全ての死は"私達"であり、全ての生でもあります。
自分の無力さを知った時
呼吸を止めて何秒生きられるでしょうか、酸素を取り込まないと人は10分も生きられません。私達は"無力"です。誰のおかげで何があって呼吸ができ、生きていけるのかを考えなければいけません。
呼吸をする口で何を吐き出し言葉にするのか、皆それぞれが決めていることです。私のスピリチュアリズムではここで感謝を強要したり、生かされている素晴らしさを提唱する気は全くありません。
ですが、生命は巡り繰り返し生まれ滅びの運動で成り立っているということ。これを知り何かの糧にする事こそがスピリチュアリズムなのです。
人類が生きる意味とは
定義付けるのはいつだって自分です。
生きる意味も死ぬ意味も、他人から何か言われてそう感じたならそういうことです。そう思うならそうとしか答えられません。意味があると思うなら意味があるものになります。それが"生きる"ということです。
私達はこの世界を自らの持つ色で描き彩るしかないのです。そこに良いも悪いも存在しません。
その程度の次元にいるのが私達"人間"なのです。
"概念"と言葉の重要性
"言葉"の不思議ですね。
"概念"なんて表現を持つ言葉が存在するのは、その感覚が生まれた時代から引き継いで私達の言葉としてずっと残り続けています。感情や感性を音や文字などを依代とし具現化したものが"言霊"となります。
私達は日々言葉に囲まれて生きています。そして言葉は意味を知った時に生を得ます。言葉なき世界では進化し続けられない存在が私達人間なのです。
宇宙は無限であるのか神はどこにいるのか
宇宙の果ては空間があり行き止まりがあると"有限"という証明になりますが、今も認知できないほどの場所で計り知れないほどのエネルギーでこの宇宙は膨張し続けています。ですが無限とも有限とも言えません。
広がっているという事はどちらにも定義することができないからです。膨張する速度よりも速いスピードで宇宙の果てに行けたとしても、そこに無が存在した時点で有となるからです。すなわちどこの行き場もない"無限"は無ということに近いのかもしれません。
宇宙の海を漂う情報のすべてが神とも言えますが、宇宙は私たちの生きる世界だけに留まりません。私達が認知できないほどの可能性と無限性に存在します。神は私達の世界にはいません。空間や時間という概念にすら影響されません。それが神という存在なのです。
あなたは何者か
私達は情報であり、あなた達です。
あなた達は私です。そして私もあなたです。
製作者 リヴ
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