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安楽死について


2024年現在

日本では安楽死制度が法制化されていない現状にあります。

それは何故か結論から申し上げます。
死に対する考えに仏教的な観念が日本に根付いていることや、これまでの日本の経済状況を踏まえて、私達が生かされているのは社会の経済を回すためであり、政治家や国のトップに立つ者達の搾取的な政策ばかりが目立つ現状により、考えが遅れています。

現実において死に対して様々な方がセンシティブな内容として扱い、映画やアニメ漫画などの表現の自由があるコンテンツでは死がコミカルに描かれることも少なくありません。生きることを前提とし、本能に従って人は生き続けています。

表現の数ほど思考の自由があり、死への尊重が生き抜くことだけではないと私は考えます。

スイスで行われている安楽死制度について

安楽死を受けられる対象者は痛みを伴う進行性の不治の病であったり、寝たきりの状態の方に対しての重症者における方達への安楽死であるものとしています。

スイスで実施されている安楽死制度では厳重な二人の医師による精神鑑定などが行われるそうです。

私の持論では、精神鑑定はあってもいいものの病気や精神疾患に限らずに死にたいと思える時に楽に死ねるという希望を残しておく事によって、より良い世の中になるんではないかと思っています。

いい世の中とSNSの影響

生きていると少なからず、生存本能では補えないほどの苦しみや辛さを抱えて、毎日死にたいと考える人達もいます。勿論、その死にたい欲求から抜け出して生きたいと思えるようになった人もいます。それならその気持ちに従い、生きていけばいいと感じます。

昨今、当たり前のように死にたいと思ってしまうほどのストレス社会に私達は生きています。テレビやメディアからの影響や情報で得る知識から、平成の後半から令和の現在までSNSを使い有りふれた知識や情報、否定も肯定も嫉妬も憎しみも、全てSNSに詰まっているような気がします。その影響で病気になっている人も沢山います。SNSが制限され、廃止になると平成初期の頃のような雰囲気になり少しは平和になるのではないかと予測しています。SNSやネットに毒されずに現実の世界で生きることによって生きやすくなると信じています。

色んな楽な生き方がある

日本人の年間自殺率は2万人とされています。それも人に迷惑をかける形で最後を迎える人が後を絶ちません。痛みを伴う苦しい死に方が大半で、死に方にも色々な名前が付きます。溺死、飛び降り、飛び込み、首吊り、などあげればキリがありません。
そんな野蛮な死に方しか私達には残されていないのでしょうか?よく、死ぬ勇気があるなら何でもできると言っている方がいますが、それは人によりけりです。死に対してのエネルギーを変換できない人も存在します。迷惑をかけずにこの世から卒業をする方がよっぽど綺麗な死に方だと思います。

安楽死をしたいなら人のせいにしてはいけない

死ぬ事はどんなカタチであれ、誰かのせいにしてはいけないと思っています。いじめられて自尊心を傷つけられた、誰かの後追いをしたい、心を殺された、愛されなかった、だから死にたいんだというのは責任転嫁であり、その原因を作った人達のために命を終わりにするなんてあまりにも愚かな事です。自分に対しても人に対しても納得できる尊厳死の実現が私はよりよい生活を育む希望の光となっていくことと信じています。人のせいにして死ぬくらいなら、生きることに飽きたから死にたいと思える死に方の方が理由としては真っ当で健康的に思えます。

生き抜くことが正義で死にたいという気持ちは悲観であり悪という風潮に対して…。

誰でも生きる自由があります。そして皆いずれ死んでいきます。自分の人生の幕を自分で下ろす事もそれもまた自由だと思うのです。

さいごに 


死ぬことが他殺でない限り、もっと自然なものであるようになればいいと思います。生きやすい世の中というのはいつでも逃げられる世の中だと思っています。逃げてはいけない、辛いことをしなければならないという、強迫観念で息の詰まる社会生活をしている我々に安楽死という希望があってもいいのではないでしょうか?また生きてみようという希望を御守りに健やかに生きていけるようになると、いい世の中になると思っています。日陰にいる人達だけが辛い思いをする必要なんてないのです。

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