古希
子どもたちに、これからどうするのと聞かれた。
退職後、少し気の利いたバイトはしたが、古希を迎えて働くことをやめた父に対する気遣いだろう。
しかし、特段何も考えてはいなかった。まだまだ頭も体力も十分だとは思っているが、雇う側からすれば自分の父の年齢を超えた祖父を使う身はさぞ辛かろう。ここは潔く身を引いたほうがいいだろうという判断である。
親はいつ死ぬかわからない。子どもたちは早く一人前にしてやりたかった。多少厳しく育てたかも知れないが、「敎育とは一人で食べていけるようにすること」だと即物的に信じていた。
また、自分が死んだら社宅を追い出されるのだから、後々の生活費までは蓄えられないが、せめて雨露のしのげる場所は持ちたいと思って、狭いながらも、不便ではあるが、自宅を手に入れた。
幸い定年まで無事に勤め上げることができた。退職金でローンを完済した。
やるべきことはすべてやった、と思う。
そこで、子どもたちの質問である。「これからどうするの?」
これには虚を突かれた。全くと言っていいほど何も考えてこなかったのである。自分なりにテーマを決めて調べ上げて多少まとまったものを書き上げたいとは思ってはいたが、上梓するつもりはなく全くの自己満足な目標だった。
天海僧正は、家康に仕えたのが70才のときで、享年108。篠田桃紅は107歳まで生きて矍鑠たるものであった。
古希ぐらいで、ぼーっと生きているわけにはいくまい。
人生100年なんて脅迫でしかないと思っていたが、健康に恵まれ健診でも異常はない。あと30年も生きるなんてとんでもないと思いながら、自分をごまかして過ごせるはずはなさそうだ。
なんとかせねば。そのおもいでnoteにたどり着いた。
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