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家庭と学校について🏫🏠

こんにちは。ムタこと西牟田です😊

今回は、noteに載せる予定では無かったのですが、思ったより沢山書いたので載せてみました!笑

普段より大分固い文章になってしまいましたが、読んでいただけると嬉しいです😂



〜記録〜

生きていくための大切なことを学べる機会が、もっとあれば良いのにと感じた。


例えば、人とのコミュニケーションの取り方とか、料理とか、性教育・ジェンダーについて、仕事について、政治、税金の仕組み、大人と話す機会…。自分って何だろうと向き合う時間や、好きなことの見つけ方、ストレスとの付き合い方など。

今までの若者のコミュニティはここまで小さくなくて、地域の人と関わる機会があった。もっと皆オープンだった。しかしインターネットの発達により、集団は分裂し、今では隣に住んでいる人が誰かも分からないという状況が多いのが現状だ。若者の多くは、家庭と学校ぐらいしか関わる場所がない。

現代の学校の多くは、決められたカリキュラムで勉強を教え込むことが多い。勉強はもちろん大切だと感じる。しかし本当にそれだけでいいのだろうか。今、この瞬間を生き抜くための手段をこれからどうやって生きていけばよいのかの指針のヒントを若者に伝えることも必要なのではないのか。

学校では勉強が主であり、関わる人たちも閉鎖的になりやすい傾向がある。学校という守られている環境だからこその日常や精神的成長があるのが確かだが、そこに溶け込むことができない、悩んだときに話せる人が他の場所で居ないという子も居る。閉鎖的な同年代しかいないプラットフォームでは、人間関係のごたごたや、いじめ、など多くの問題が生じる。毎日行かねばならない学校が苦痛でしかなくなった若者は、重い足を引きずって自分の悩みを抱えたまままた学校に向かうことになる。

そして家庭でも悩みは生じる。昨今の問題として挙げられるのが、貧困、身体的虐待、ヤングケアラーなどである。大きく問題として取り上げられるものもあるが、取り上げられなくても若者に大きく影響を与えているものもある。
例えば親からの精神的支配や、親子の不和などだ。親から進路はこうしなさいと言われたり、自分がやりたいと思ってもどうせ無理と否定される。あんたなんていなくなった方が良いと言われ、自分の存在価値が分からなくなる。親との価値観や考え方が合わずに一緒に居たくない。傍から見ると、大きく問題と認識されていないものも多い。しかし若者にとって問題が何であれ、世間的に問題の大小を見てしまう事でも、その子自身にとっては、とんでもなく辛いことだったりするのだ!(これは若者だけでなくどの年代でも言えること)

辛さというのは感情であり、物事の感じ方は人それぞれだ。特に若者は、この長い100年時代と言われる人生の2割しかまだ生きていないという事実を見るべきだろう。
若者のエネルギッシュさや、若々しさは素晴らしい。見ていて生の強さを感じる。しかし若いということは、経験や感情との付き合い方、問題が起きたときの解決手段など分からないことが多いのも現実だ。

ここまで読んでいくと、若者にとって家庭や学校が安心安全でなくなってしまった場合、どこに行くのだろうという疑問が生じてくるのではないだろうか。多くの時間を過ごす家庭と学校で居場所がない、自分の素の状態で居られない若者はどうするか。ある子は自傷行為としてリストカットをする。帰りたくないし自分の存在を確かめたくて売春をする。どうしようもなくなって人に暴言や暴力を振るう。またある子は誰にも悩みを相談できずに自殺をしてしまう…ect。

若者はこの社会の未来を生きる子たちだ。しかし、そんな若者たちが自分を傷つけ、他者を傷つけ、心に抱えきれない苦しさを一人で抱え込んでいるのだ。そんな状況に私は腹の奥底から怒りがこみあげてしまう。家庭や学校という固定化された社会システムや選べない環境だけしか与えられず、そこでの問題は自分で解決しなさいという状況になっているのだ。いやいや、人間が勝手に決めたシステムで潰れたしまう人がいることはおかしいのではないのだろうか。学校や家庭は、素敵なところも沢山あるけれど、影の部分も見て変えていかないといけないのではないのか?

そこで考えたのが、学校や家庭を一気に変えることは難しい。けれど他の若者の居場所を作ることは可能ではないだろうか。学校や家庭が悪いとなるのではなく、その二か所にしか若者を任せない仕組みになってしまったのが、現代の若者の問題を引き起こしているのではなかろうか。家庭でも学校でもそこで動いている人は必死で若者と向き合おうとしている人は沢山居る。何事に対しても100%完璧なものなんてないのだ。人間が作ったものが、どの視点から見ても100点満点なわけはなく、見る人が違えば100点にも0点にもなる。私たちがすべきなのは、沢山の若者の視点を固定化した環境だけに留まらせるのではなく、広げることのできる、受容できるものが必要だと考える。

なので私は、家庭や学校で苦しくなった若者に対してのアプローチする術として「居場所」を作るのが良いと考えている。勿論アプローチ方法はもっと沢山ある。何がより良い方法なのかは、まだまだ模索中だ。しかし、どんなアプローチ方法でも言えることは若者の安心安全を確保することが一番大切であると感じる。それに加え冒頭で述べた、生きていくために大切なもの(特に文化資本)を享受できる空間を作っていきたい。


途中から投げやりになった気もするけど、こんな感じで終わります!ここまで読んでくださり、ありがとうございました😊!
(ここまで読んだ方、すごい!)


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