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03|就活中の親との付き合い方 ~僕の親子論~

「親と子の関係は、お互いがいくつになっても変わらないのだ」

という風にようやく心から思えたのは、実は最近のこと。

当たり前のことだけど、「親子という関係は永遠に続く」ということをもっと昔から正しく認識しておきたかった。

今回は、「就活中の親との付き合い方」について僕なりに述べていこうと思う。

もくじ
・(余談と前提)僕らは大人。でも子供。
・親は子に期待をする生き物
・子は親から与えられる「可能性」や「期待」を素直に受け入れられない生き物
・(本題1)僕ら”子”は、それでいい
・(本題2)親の意に背いた意思決定をしたとしても。
・まずは話そう。勇気を出して話してみると、案外ラクになる。

(余談と前提)僕らは大人。でも子供。

あなたは、自分のことを「大人」だと思いますか?それとも、「子供」だと思いますか?

20歳を超えた成人だから大人です、という人もいれば、肉体的には大人だけど精神年齢的には子供です、という人など様々だろう。

この質問に対しては、どんな答えも正解になる。それぞれの主観そのものが答えと言えるからだ。

では、あなたは”親からみて”「大人」だと思いますか?「子供」だと思いますか?と聞くとどう答えるだろうか。

さきほどの質問よりも答えに悩む人が多いはず。

大人⇔子供という主観だけで判断できたわかりやすい関係性の中に、大人であろう「親」が入ることで自分の立ち位置が不明確になったからだ。

実は、大人か子供かについては、「相対的なもの、客観的なもの」で考えるべきなんだと僕は考えている。

そして、「親」と「子」は”役割”であるということを、このnoteを通して理解してもらいたい。

親との付き合い方のヒントになるはずだ。

以前こんなツイートをした。

これは、人生における役割についてを述べたもので、”自分”という人間は一人だけど、”役割や立場”は一つじゃない、ということを伝えたくてつぶやいた。

親は、彼らがいくつになっても「父親、母親としての役割や責任」を担っていて、子は、いくつになっても「父親と母親の子」であり、この関係は死んでも不変なのだ。

僕らは、生まれながらにして”役割”としての「子」を与えられている。


まず最初に伝えたいこと。


それは、親と子の関係は、お互いがいくつになっても変わらないということ。

子が自分を「大人」だと思ったとしても、親からすると「子」なのだ。


親は子に期待をする生き物

親という生き物は何なのか。考えるにあたって僕のことも少し話していく。


僕の両親は大学に通っていない。

父は高校を卒業後、新潟の田舎を出て単身京都へやってきた。18歳から今までずっと、着物職人をしている。

母は高校卒業後、専門学校へ進学。これまで助産師一本でやってきた。

決して勉強が得意ではなかった二人は、長男である僕に期待をかけた。

「良い大学に行って、良い企業に就職して欲しい」

専門職に就いている二人だからこそ専門職であることのリスクを知っていて、それゆえに、僕に「可能性」を与えたかったのだと思う。

そしてなにより、「可能性」という言葉の裏に、多大な「期待」を込めていたに違いないし、それは親としてごくごく自然なことなんだと今では思う。


子は可愛い。だから、幸せになってほしい。

それゆえに、親は自分自身の経験や希望を、子に託す。

それが、子にとっての幸せになるに違いないと信じてやまないからだ。


子は親から与えられる「可能性」や「期待」を素直に受け入れられない生き物

「良い大学に行って、良い企業に就職して欲しい」

この言葉を聞いて、まっすぐにポジティブな感情を抱ける子は少ないんじゃないかと思う。

理由はシンプルで、進路を考える年齢にもなると、自分の人生を自分なりに考え始めるからであり、考える力もそれなりについているからである。

自分の実力を偏差値や学内順位などを通じてなにはともあれ知り始めるということも、前向きに捉えられなくなる原因として挙げられるだろう。


このとき、”大人”への一歩を踏み込んだ子と”いつまでも子供”だと思っている親との間にわずかな隙間が生まれると思っている。親の理想と子自身にしかわからない現実のギャップだ。


僕も同じだ。

明らかに自分の実力以上と思われる神戸大学への進学を期待され、「金融」や「大手有名メーカー」、はたまた「教職」といった俗に親世代が好みそうなところへの就職を熱望してきた。

子である僕からすると、これを「親からの可能性の提示」とは捉えられなかった。「期待」はただのプレッシャーでしかなく、天邪鬼な僕は反発する行動を取ることもしばしばあった。


子は親から与えられる「可能性」や「期待」を素直に受け入れられない生き物なんだと思う。


(本題1)僕ら”子”は、それでいい

なぜ、子が親からの「可能性」や「期待」を受け入れきれないのか。理由はもう一つある。

それは、僕ら子には見えないことが親には見えているけど、親はそれをうまく言語化することができないまま、表面的なところ、結論とも言えるところだけを伝えてしまっているからだと思う。

親は、予知はできても予言はできない。さらに言うならば、予言はしない。言葉にすると「可能性」を狭める可能性があるからだ。

そして、言語化できない理由に、そもそも子に対する理解が追いついていないこともあると考える。子の成長に親が追いついていないのだ。

僕が大学生のとき、親から「今も将来の夢は、英語の先生なのか?」と言われたことがある。中学1年生のときにはじめて英語に触れて、親に「英語が楽しい!」と言ったことをずっと覚えていたからそう尋ねたようだった。


僕ら子は、そのままでいいと思っている。

親の「可能性」「期待」を受け入れようとする努力は大事だけど、受け止め切れなくていい。

ときには対立することもあると思うけど、それでいいと思う。むしろその方がいい。

そうやって、親と子は、一度広がった隙間を埋め始める。

その営みこそが、子が大人になるための”次の一歩”なんだと思う。

(本題2)親の意に背いた意思決定をしたとしても。

とはいえ、なかなか親との隙間を埋めきれないまま、お互いに歩み寄れないまま自分ひとりで半ば強引にファーストキャリアを決めてしまうこともあるだろう。

それでもきっと、親は子を見捨てたりはしないはずだ。

ただ、そのときはもう一度、隙間を埋める営みをしよう。

「親と子の関係は、お互いがいくつになっても変わらないのだ」

子の不幸を願う親はいない。

いつだって、君たちの味方になってくれるはずだ。それが彼らの役割なのだから。

そして、君たちが将来結婚して子を生んだとき、同じように味方になってあげられるように、親から教わろう。

これが、子が大人になり、「親」になるための”大きな一歩”なんじゃないかと僕は思う。

まずは話そう。話せないなら、聞いてみよう。

どう話せばいいかわからない人のために、ひとつだけアドバイスをするなら、逆に聞いてみるのがいい。

親の職業選択の背景を聞くことで、自分自身が話せることもきっとあるはずだ。

自分から話すよりは、いくらか気がラクだと思う。


僕は、親の気持ちをあまり考えずに、親の職業選択や価値観を聞くことなく、独断でファーストキャリアを選んだ。

僕の意志決定に対して親から特に意見はなかったし、ファーストキャリアに後悔もないけど、「もっと話しておけば」「隙間を埋める行動を自分から取っていれば」という後悔は今もある。

最近、母親に言われたことがある。

「親が知りたいのは”結果”じゃないんだよ。

どこに勤めたって、最後は応援するのが親の務め。

あなたがどこにいこうとしていて、何に悩んでいるのか、

私はそれが知りたかったなぁ。」


伝えたかったこと
・親と子の関係は、お互いがいくつになっても変わらないということを知ろう
・親は子に期待をする生き物。無碍にはしないでほしい。
・子は親が与えてくれる可能性や期待を受け入れきれない。でも、それでいい。対立を通してでもいいから、相互理解を深める努力はしよう。
・親の意に背いた意思決定をしたとしても、親はきっと心の底では応援してくれている。だからこそ、意思決定のプロセスは丁寧に説明しよう。





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