良かれ良かれ

最近、自分でお弁当を作るようになって、自分でお買い物をして、メニューを決めて、休みの日に下準備をする、という日常を送るようにしている。

「明日はこのメニューにしよう」

ご飯を炊くことだけは、実家で炊飯器が一つしかないため母親に前日に確認することにしている。

「明日お弁当にご飯が必要だから、お願いします」

それだけ話して、私は他の準備をして、寝る。

朝起きて用意をしようとすると、タッパーに入ったご飯がそこに置いてあった。

『・・・正直、自分でやるということに意味があるから、ご飯を炊くということ以外しないでほしい・・・』

家族にはメンタルが崩れたことも、今自立しようとしているということも言葉では伝えていない。

おそらく理解させるのに時間がかかるだろう、という家族だからだ。

急ぐようなことでもないだろうからゆっくり、こうやって自分で自分のことをこなしていく姿を見せて、徐々に理解させていこうと思っている。

弁当を作り始めた最初、母親はあまり手も口も出さず、ただ見ているだけだった。

自立することを認めてくれているのかなと勝手に思っていた。

ただ、最近になって色々と手出しをしてくるようになった。

おそらく、最初の段階は変化についてこれず、触れることができなかったのだなと気付く。

少し慣れてきて、触れられるようになると、干渉してくる。

それがうちの母親なのか。

やっぱりわかってない。

また次の朝、ご飯がタッパーに入れられていた。

前日「明日、お弁当にご飯使うのでお願いします」と言っていた。

タッパーに入ったご飯には、ふりかけがかかっていた。

前々日はふりかけおにぎりを作った。

前々日のふりかけも、私がやろうとしていたのに母親が勝手にかけてしまった。

その流れで、また母親がふりかけが必要なのだろうと勝手に判断し、かけてしまっていたのだ。

その日は、白いご飯に混ぜる具を用意していたので、私は少し怒る。

「え・・・ふりかけかけちゃってるの?」

「かけたけど」

「・・・・あ、そう・・・」

何かを察して「白米まだあるけど」と2回ほど言ってきたが、もうめんどくさくなってきたので「いらない」とだけ言って、予定が変わったふりかけおにぎりの弁当を作った。

本当は「準備してくれてありがとう」っていう感謝をしないといけないことはわかる。

でも、今の私にそういうことは必要じゃないんだよ。

こんな小さなこと、と他人は思うのだろう。

でも、私にとってはとても必要なこと。

母親も過干渉になりすぎないよう、過保護になりすぎないよう、と考えていることはわかるのだが、なってしまっているんだよ。

母親がよく自分の母親、所謂私の祖母に「必要と言っていない心配を勝手にして、勝手に手を出すのは良くない」と言っているが、結局その連鎖が断ち切れていない。

私は「ご飯炊くなら、私の分もお願いします」といっただけだ。

それを勝手にタッパーに詰めて、ふりかけまでかけてしまうのは、私にとって「必要と言っていない心配を勝手にして、手を出す」ということなんだ。

更にたちが悪いのが、それを良かれと思ってやっている、ということだ。

母も祖母も同じで、二人とも優しいのはわかるんだ。

でも、それが子供にとって良いかは別。

それと、もう私は子供ではない。

だからこそ、何も言わずに放っといてくれればいいのに。


「良かれと思って」というのは、別に優しさや愛情ではない。

自分が勝手に押し付けたことを、正当化する言葉に近いと私は思う。


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