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波を起こす風

ことばひとひら

その視線が、頁をめくる指先の滑らかな動きが、いとおしさを伝えていた。これでもか、というほどに。こんな風に育まれてきたのだとおもった。誰かにとって、いとおしくて、大切で、そうっとそうっと両のてのひらの間に抱えてきた、そんなふうな。工房からの風の、ほんとうにちいさなたねだったときから、可憐に咲くいまの時代までが、わたしのなかですうっと繋がっていった。はじめからそれを見たこともないのに、ふしぎと誰かのこころに灯されたあかりのなかで、はっきりとひとつの時代を、受け継がれてきたものの核が、わたしのてのひらにぽこんとのせられていたのだった。尋ねもしないのに、溢れるようにして、そこにそれはあった。祝福のたねだった。

Anima uniさんより

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Anima uniという名で金属装身具を制作する長野麻紀子さん。
2012年に出展されて以来、翌年から風人さんを続けてくださっています。
「私は風人を通してたくさんの経験やつながりや想いをいただいたので、他の作家にも体験いただきたいから、その席を譲りたい」
と毎回終了後におっしゃるのですが、その都度私の方でお願いをして続けていただいてきました。
今となっては、風人さんであると同時に、その役割を超えて、「工房からの風」を構成する大切な要素、粒子のひとつになっていただいているのだと思っています。

近年の風人さんには、そのような方が数名加わってくださっています。
それは、慣れあうということではなくて、この活動に対して「役に立つ」「ヘルプ、サポートする」ということを超えて、自身が粒子、要素となって活動の一部になってくださっているのだと思います。
それはまさに、先日の松塚裕子さんからのブログ記事に書かれてあった

『つなぎたいと思う手があるのならば
すこしの時間であってもいい、しっかり握っていないと。』
(いしいしんじ著「ぶらんこ乗り」より)

に通じているのではないでしょうか。

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冒頭の長野さんの文章は、私宛の私信でしたので、わかりにくいかもしれませんね。でも、とても美しい文章なのでそのままお載せしました。

「工房からの風」の前身の活動から30年が経ち、今年の「工房からの風」にも、前身の活動時から来てくださっていたお客様もたくさん「文庫テント」に寄られたのだと思います。その方々が話す言葉、振る舞い、佇まいから伝わってきたこと。それを、

『はじめからそれを見たこともないのに、ふしぎと誰かのこころに灯されたあかりのなかで、はっきりとひとつの時代を、受け継がれてきたものの核が、わたしのてのひらにぽこんとのせてられていたのだった。』

と長野さんは捉え、言葉に昇華させてくださったのでした。

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波は繰り返し寄せては返す。
強い弱いを変えながらも続いていく。

続けていく時の中には、荒ぶることも鎮まることもあって、
むしろそうだからこそ続いていくのでしょう。

そして、荒ぶる時の波も、鎮まった時の波も実は一緒の波なのだということ。
区切られたものではなく、ひとつのつながった水の流れであって、その時々で強弱の姿を現しているのだということ。
そんなことを想います。

波頭(なみがしら)ばかりに気を取られずに、水が動いたということ自体に、目を気持ちを向けて行きたいと思います。
動き、かきまぜられたことで、きっと濁りはほどけていくでしょう。
「工房からの風」の風は、そんな波を起こす風なのかもしれません。

すべての出展作家の方々へ、そして未来の出展作家の方々へ、愛を持ってそう伝えたいと思います。
そして、その手から生まれる佳き果実が、来場者の方々の喜びにつながることを願って。

2018/11/01 工房からの風director's voice初出 2019/06/28加筆修正


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