見出し画像

バルト旅行記2019 パート1: エストニア

前書き

これは、私が2019年秋に学校で地理歴史部部誌用に執筆した夏のバルト三国旅行記を一部再編集したものである。


ヒン科の何人かはご存じの通り、私は推薦落ち前期入りである。そして、推薦入試はヒンディー語科ではなくポーランド語科志望で受験した。その理由となったのはこの旅行を通して特にリトアニアに強く惹かれたからである。


なぜ初めてのヨーロッパ旅行でバルト三国を選んだのか。さかのぼること2年前、地理のK先生が授業でホロコーストについて触れ、カウナスに行ってみたいと思ったからである。これをきっかけにバルト"三国"とひとくくりにされがちなエストニアとラトビアについても少々調べてみると、「行くしかないっしょ」という感じになった。

さて、どうやって行こう。名古屋発ならばフィンエアーを利用したヘルシンキ乗り継ぎ一択だろう。機材は最新鋭のAirbus A350-900で魅力的です。しかし少しお高い。そこで登場したのが"古き良き"ロシアのアエロフロート・ロシア航空である。まあまあ安いし、タイムロスも少ないモスクワ経由に決定です。

出発

7月26日金曜日

台風6号の襲来です。津からセントレアまでは高速船で移動する予定なのですが、「明日の6時の便は欠航します」と電話がかかってきました。成田までたどり着けません。しょうがないから前日入りです。

7月27日土曜日

0:15分名古屋駅発のバスで新宿に向かいます。夜行バスの最大の敵はエンジン音ではなく隣の人のいびきです。6時前にバスタ新宿に到着、駅に移動することすら放棄して空港行のバスに乗ります。後ろの席のロシア人親子がにぎやかです。空港のマックで朝食をとり、第一ターミナル北ウィングでめちゃくちゃ並んでチェックイン。さすがはロシア、人種が多様です。白人、モンゴル系、コーカサス系、そして安さにひかれた日本人。

結構いいぞ、アエロフロート

アエロフロート・ロシア航空SU263便モスクワ経由ロンドン行に搭乗します。機材がAirbus A330-300からBoeing 777-300ERに大型化され、プレミアムエコノミークラスが新設されました。コーポレートカラーのブルーとレッドタンジェリンで彩られています。アニメティキットには丈夫な青いスリッパと耳栓、アイマスク、ハンドクリームが入っています。このアイマスクがとても便利で片側にはDo not disturb、もう片方の面にはWake me up for mealと書いてあります。歯ブラシはトイレに積んでありました。離陸後にイヤホンと機内食のメニューが配られます。
サービスがひどいだのなんだの色々聞きますが、とても好印象。食事は(絶対成田積み込みだからだけど)おいしいし。一食目はキノコのリゾットを、二食目はビーフシチューを選択。

きのこのリゾット

降下を始めるとベリーをペーストにしてペーパー状にしたあまりおいしくないお菓子が配られました。ボルガ川やルイビンスク湖、モスクワの摩天楼を見ながら着陸、シェレメーチェヴォ国際空港ターミナルDに到着しました。結構いいぞ、アエロフロート。

モスクワで乗り継ぎ

モスクワ・プーシキン・シェレメーチェヴォ国際空港(SVO)に到着しました。ユーラシア大陸最初の一歩を歩みます。私はビザを取得していないので乗り継ぎの保安検査へ向かいます。300人弱に対して係員は1人しかいないので文字通りの長蛇の列。しかもシャッターが閉じたり開いたり。姉さんが電話をしながら搭乗券にガチャっとハンコを押してくれました。ガムをかんだおばちゃんが黙って荷物をスキャンし、"Да"と一言。偏見ですが、想像していたロシアって感じで興奮。出発フロアのモニターは壮観です。ヌルスルタンやモンテゴ・ベイ、テヘラン、リュブリャナなど様々な便がある。
さて、乗継便はEターミナルの予定でしたがFターミナルに変更されています。端から端まで歩かねばなりません。SVOはアエロフロートのハブ空港なのでどこを見てもロシア国旗が描かれた垂直尾翼がいます。上下移動付きで15分くらい歩くとFターミナルに到着です。モスクワ・オリンピックの時に建設された古いターミナルで、Cターミナルの完成を待って取り壊される予定です。トイレ以外はきれいでした。空調はめちゃくちゃ弱いです。

サンドウィッチ

搭乗時刻が近づいてきたのでゲートの周りに行きますが、係員の姿が一向に見えない。後発のウィーン便に乗る人も集まってきました。むはは、遅延じゃ。1時間15分の遅れです。カフェでサンドウィッチをつまんで時間が過ぎるのを待つ。
20:00を過ぎて搭乗が始まりました。やっとだ、と思ったらバスゲート。巨大なバスに乗客を詰め込んで滑走路二本を超えた北側まで走ります。30分ほど経ったでしょうか、ロシア空軍のイリューシン76などを横目にBターミナルのオープンスポットに到着。

この便の機材はスホーイ航空局設計のスホーイ・スーパー・ジェット100。そうです、5月5日にここSVOで全損事故を起こしたやつです。離陸直後に被雷して計器・通信が機能停止、機長は即座の緊急着陸を決意した。しかし燃料はほぼ満載で最大着陸重量を上回っており、激しい接地でバウンドした衝撃でタイヤが外れて燃料タンクに直撃し、燃料が発火して40人以上が亡くなった。


シートピッチは相当狭いが、飛行機の乗り心地自体はいたって普通。本来ならタリンについている時刻である20:50に離陸しました。日の入りが信じられないくらいきれい、と言いたいところですが西に飛行しているため常にサンセット状態でお腹一杯。爆睡していてドリンクサービスはスルー。軽食は味の濃いチキンバーガー。果物っぽいお菓子はやっぱりおいしくない。
タリン空港は市街地から近い場所にあって、旧市街の教会の塔が美しいシルエットになっているのが見えました。当然折り返しの皇族便は遅延しているし、入国審査のおばちゃんはこの便のせいで勤務時間が伸びたと推察されるので不機嫌。パスポートにシェンゲンスタンプをもらってエストニアに入国です。

タリン旧市街

7月28日

今年のヨーロッパはものすごく暑いらしいですが、昨晩はエアコンがないのがとてもつらかったです。
このホテルは旧市街の中にあって非常に便利な立地です。しかしとても安い。おそらくうるさいからです。中世の建物をそのまま使っているので通路がくねくねだったり途中に梁が張り出していたり、ああもちろんエレベーターはない。朝食はビュッフェシステムです。ピクルスがとてもおいしかった。若い配膳さんはいつかのスカイマークを軽く超えるミニスカートを履いていた。

トームペア

初日はガイドのEvaさんと町に出る。
トームペアに向かいます。タリンの旧市街は山の手と下町に二分されています。山の手はトームペアといい、中世は貴族の生活の場でした。現在は国会などがある、エストニアの政治の中心です。国会の裏側にあるのがトームペア要塞で、タリン最後の要塞でした。鮮やかなピンク色の国会の目の枚にあるのはアレクサンドル・ネフスキー大聖堂で、ロシア帝国時代に建てられた正教会。エストニアが独立したときはこの教会を壊そうとする運動が起きました。
アレクサンドル・ネフスキー大西欧の奥には大きいが目立たない聖母マリア教会があります。ルーテル教会で、貴族が通っていました。地下に多く貴族が埋葬されているので床には墓石がたくさんあります。ある女たらしだった貴族は入口の近くに埋葬され、教会を訪れる人々に踏まれまくることで許しを得ることを願ったらしい。

下町

さて、今度は下町に下ります。登りは"長い足(Pikk Jalg)"という通りを歩きましたが帰りは"短い足(Lühike Jalg)です。前者が馬車用のなだらかな坂であるのに対し、後者は庶民の生活路の階段です。
下町は職人、商人の居住地域です。旧市庁舎広場(ラエコヤ広場)にはレストランとカフェがたくさんあって、見ているだけで楽しい。近くには1422年に開業した薬局があって、今はごく普通の薬局としても機能している一方、昔の秤や怪しげな薬の展示もされています。長い通りに出ると精霊教会があります。八角形の塔が象徴で、正面上部の時計は17世紀後半に作られたタリン最古の公共時計です。パステルカラーに彩られた建物や、かわいらしい小径に中庭。タリンの旧市街はどこを切り取っても"映える"。

トームペアから見た下町

教会がたくさんあって、現在のエストニア人はほとんどがプロテスタント教徒ということになっていますが、日本人と似ていてなんとなくの信仰らしいです。

中世料理

エヴァさんと別れてホテルで休憩したのち、再び街へ出ます。中世料理の店「オルデハンザ」で昼食兼夕食をとります。ラエコヤ広場のはずれにあって、抜け道を通ればホテルから一瞬で行けます。まあ観光客向けのお店なので日本語メニューもあるのですが、かなり難解。前菜とスープは難なく理解できますがメインのお料理から先は意味不明。「注文すると称賛される最高級のトナカイのフィレ肉」はまあよし。「マーチャントのハーブ園産」に「ハクチョウはガチョウではありません」。謎だ。
Are you very hungry?と聞かれたのでso soと答えたらおすすめされた名物の盛り合わせプレートとキノコのスープを注文。塩漬けのニシン、いくら、ピクルス、パンなどが入っていておいしかった。キノコのスープは格別でしたが量が多すぎて飽きちゃった。
この建物は15世紀のもので、世界遺産に登録されているらしく、雰囲気もとても良い。パンフレットを引用して紹介します。「私たちの豊かな商人の家の限界を超えると私は中世の時代に到着するでしょう。私たちの召使は中世の食べ物と飲み物。彼らは常に暖かく、友好的な笑顔を提供します。」

食後は再び街を歩きます。クルーズ船が出港したので観光客がかなり減りました。日没が遅いので実感がわきませんがもう20時を過ぎています。水を大量購入してからホテルに帰着し、寝ました。

リトアニアへ移動

7月29日

今日はさっさとチェックアウトを済ませて旧市街から出てしまいます。北西へ進むとタリン駅の向こう側にバルティ・ジャムという市場があります。ウィンドウショッピングし甲斐があります。市場の先はさみしい雰囲気。カラマヤ(魚の家)という漁師町だった地域です。完全に地元の人のエリア。フィンランド湾沿いを歩いて大きな道を通り、旧市街に戻ります。『テネット』で爆逆走していたのはどこの道なのでしょうか。
ふとっちょマルガレータの塔という丸いずんぐりした建物の門から旧市街に入ります。この塔は1529年に建てられて砲塔として使用されていましたがロシアは占領後、監獄や倉庫として使いました。マルガレータはこの監獄の食堂の小太りのおばちゃんの名前だそうです。

ふとっちょマルガレータ

お土産店にきました。エストニアのパスポートっぽいデザインの表紙をした、歴史などが少し載っているものを購入。国旗の青はエストニアの真っ青な青空、黒は占領時代の暗い過去の記憶と国土、白は希望を象徴しています。

レナルト・メリ・タリン国際空港

タリン空港へやってきました。今から搭乗するエアバルティックはラトビア国営のLCCです。ヴィリニュスではなくヴィルニュスと発音するらしく、一発で聞き取れなかった。チェックインカウンターの横にあるのはかつて独立運動の指導者として活躍したレナルト・メリ大統領のレリーフです。
地下にあるトイレはとても親切。鏡にはネクタイの締め方が、扉には社会の窓を閉めましたか?とプリントされています。

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?