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高校の卒業式,あれから25年

先日、ある方にこのnoteの文章を褒められてめっちゃ嬉しかったのでまた書いてみる。

とりあえず、その時は、めっちゃくちゃ嬉しかった事を自分の中では隠してたんやけど、間違いなくそれが隠し切れてなかった事を自分でも認めてる。
僕は「ホンマですかー?」と満面の笑みで言ってたけど
初めて逆上がりが出来た少年くらい興奮してた。

そう。僕は人から褒められる事がめっちゃ好きなんだ。あんな風に、何気なくでも褒められてまだテンションが上がってる。こんな余韻がに残っている時はすぐに文章が書ける。

昨日、2022/03/01は公立高校の卒業式だったようだ。友人のSNSの投稿を見てハッとした。
僕は、高校を卒業してから知らぬ間に25年も経っていた。
ちなみに、僕の長男は来年に成人式を迎える。

あれから、25年も経ったけれど、自分の高校の卒業式の事を僕は鮮明に覚えている。
高校の卒業式が終わっても、クラスで僕だけ進路が決まってなかった。
めっちゃくちゃ不安だった。
あの頃は進路の決まってない事を「遠回り。」と言われてた。
今、想うことは人生に遠回りはない。
すべてが大事な経験だった。

卒業証書をカバンに入れて下校しているヤツの横を高音の鳴るチャンバーが付いたNSRでダブルクラッチをしながら邪魔する様に走り抜けたりしてた。
あの時は、いつも調子に乗って馬鹿げていた。どれだけの人に迷惑を掛けただろう。

僕は高校在学中にオーストラリアに1か月間だけだったけど留学に行った。その資金もアルバイトをして自分で貯めた。
その時の思い出が強烈過ぎて海外に住みたいとずっと思ってた。

進学するにしても就職するにしても、僕にはその道を辞めると言う選択肢はなかった。
一度その道に進んで辞めたら「遠回り」と言われる事を恐れてたんだ。
「遠回り」=「無駄なこと」
ずっとそんな風に理解をしてた。
でも遠回りをしないとそれは浅く狭い。遠回りをするから深く味わい深い人生なる。

その当時、決して僕は勉強が出来なかったワケではなかった。高校3年の時の成績は4が4つで、他はそれ以上だった。高校の卒業式を迎えても、僕にはやりたかった事がなかった。それをいつも環境のせいにしてた。「散髪屋の子どもに生まれたら美容師がやりたくなるやん。せこいわ。やりたい事を見つける方がムリ。」とか、ずっとそんな事ばっかり言ってた。

毎晩の様に両親には「あんた進路どないするんやな。」と言われていた。僕は頑なに「あんたらには何も言わない。」と決め込んで無視してた。

海外に行きたかったんだ。それを両親に否定されてずっと拗ねてた。
ワーキングホリデーの事とかも調べた。
それも自分で全部を調べるワケでもなく一度だけの海外留学をした時のホストファミリーを頼りにしてた。

あの頃は、今ほど外国の人と連絡を取るのが便利ではなかった。不慣れな英語を辞書で調べながら時間を掛けて英文で書いて、それをオーストラリアまで航空便て送ってた。

18歳の時の僕は、いつも計算高くいた様な素振りを見せてたけど実際は不安しかなかった。
結局、進路にはつまずいてずっとイライラしてた。

だけど、僕にはアルバイトをして貯めた貯金があった。僕は高校在学中はめっちゃくちゃアルバイトをしてた。その時の貯金は100万円弱あった。
小学校3年の時から家の都合で新聞配達をしてた。その経験から貯金の虜になってた。
部活をやりながら、終わりのチャイムが鳴れば毎日急いで自転車を漕いで布団屋にバイトに行ってた。

春、夏、冬の、まとまった長い休みには布団屋のバイトをしながら土建屋にアルバイトに行ってた。
毎日、怒鳴られながら遅くまで頑張った。
そうしたら、そこの土建屋の社長が僕の事を気に入ってくれた。
ワザワザ、僕の家にまで社長ご夫妻で来られて、僕に「建築の好きな学校に行け。ワシが学費を出すから。その代わりうちに就職してくれ。」とただ若いだけの僕に言って下さった。
両親もめちゃくちゃ喜んでた。
でも、僕はその有難いオファーすら断った。

もう、自暴自棄だった。


今日は眠いしまた近いうちにこの続きは書く。





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