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 フランスへ渡る前に携えていったドビュッシー『映像第2集』は、そこで過ごした4年間、共に多くの時を過ごした存在です。第1曲「葉ずえを渡る鐘の音」の空間美、第2曲「そして月は廃寺に落ちる」の詩的なまでの清閑さ、第3曲「金色の魚」の伸び伸びとした煌き。この「金色の魚」を弾くと清涼感が呼び起こされて、文字通り“風が吹く”ように感じられます。とても不思議。その風と一緒に、“白い光”に包まれたような幸福感を味わえるのです。強すぎず寂しすぎない心地よい塩梅の陽光に、水面が美しく輝く-その光です。

サン ジェルマン アン レーのドビュッシーの生家にて

 今日8月22日はドビュッシーの誕生日。毎年意識する日です。彼の音楽にはたくさんの文化芸術が詰まっています。詰め込もうと必死になったわけではなく、それらが自然に彼を形作っていたものだから、力の程よく抜けた音楽に仕上がっている-そのように思います。「金色の魚」は金色に光る錦鯉の絵巻からインスピレーションを得ていると言われています。万博によってジャポニズムは広まったわけですが、ガムラン音楽や中国文化、シルクロードの織物などもまた、大きな人気を博した時期です。クラシック音楽における19世紀後半から20世紀初頭というのは、なにか新しい風を求めて渇望していたような時代です。その燻ぶった時代にクラシック音楽に鮮やかな風を吹き込んだのがドビュッシーです。

ドビュッシーのコレクション

 彼は音楽では天才だったかもしれない。文学者と高い精神性で渡り合ったところも見ると、頭も良かったのかもしれない。人はどこかでバランスを取らなくてはいけないように出来ているのでしょうか。彼はとにかく、女癖が悪い。冷静に理性が勝っていれば、恋愛のいざこざなどと他人は思うでしょう。ただどんなに冷静沈着でも、理性が吹き飛んでしまうのが恋愛に潜む魔物なのかもしれません。彼はその癖の悪さで、少なくともふたりの女性を狂わせてしまったのです。命にかかわるレベルで。人生-とても重たい。

 ドビュッシーの天才性はいつも風通しが良いこと。私は彼の音楽を聴いて息苦しくなったことがありません。大人になるほどに重たくなる人生に、その重さや苦しさを他人に見せつけるのではなく、ほかにはない色合いと香りを纏っていける-そのようなある種の“軽やかさ”こそ、大人なのだと思っています。必要以上に見せてしまううちは、まだまだお子様なのかなと。

 その“軽やかさ”があるから、私はドビュッシーが好き。

 9月13日、日暮里にて「金色の魚」を久しぶりにリサイタルに取り入れました。ぜひ一緒にドビュッシーの風を感じていただきたいです。

深貝理紗子ピアノリサイタル〜抽象と色彩のコンポジション | 大久保音楽事務所 (okubocmo.com)

19世紀後半から20世紀の音楽家によるプログラム

 MCを挟みながら演奏するので、ぜひリラックスしていらしていただけたら嬉しいです。ご予約は上記サイトからか、私の窓口メールに【お名前、一般または学生、人数】をお送りください。

窓口メール

musiquartier@yahoo.co.jp

何卒よろしくお願い申し上げます。

クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/