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 あまりに知られているものを例にとってしまうが、プルーストは紅茶につけたマドレーヌから記憶の旅に出、ボードレールは群衆のなかに静けさを、静けさのなかに賑やかさを見てこその詩人だった。邦人の詩では茨木のり子の「ひとりでいるとき 一番賑やかであってくれ」というものがあり、この詩に出会った中学生のときから、どれだけ支えになったかわからない。たった一瞬にして自分だけのイマジネーションの旅に出る-傍から見たらただ酔いしれている変な人間かもしれないそれは、経験の深まるほどに愛に溢れ、痛みも優しい光に包まれて、独特な幸福感を醸し出すエッセンスになることと思う。

 私は殊更に深刻ぶってみたり、明るさは浅さの表れだなどと言ってみたりすることから一線を引いている。たしかに思考を極めていけば、そうなのかもしれない。ただそれだったら、そこまで極めたいとも思わない-もし、幸福から遠ざからなければいけないような“呪縛”が、そこにあるならば。考えることは良い。人間の頭で、正しいとか間違っているとかさんざん考えて、決してわかることはないが、自分はこう信じて歩いてみよう、とそれぞれが思うことも良い。ただ、わかった、などと思うことがないようにしていたいとは思う。同じことを年を重ねるごとに考えて、そこになにか愛おしさのようなものを感じることがあったなら、それなりの痛みを知ったということかもしれないし、それなりの波にもまれてきたということかもしれない。

 よく思うのは、ただひとりの人間である自分が、こうして生かされていることにどれだけの恵みがあったのか、ということだ。とてつもなく哀しいとき、なぜ自分は陽の光をこんなにも眩いと思ってしまうのか-その軽薄さに気付きながらも、私は今、この陽光に守られているんだと感動してしまう。「一隅を照らす」という言葉を、私は傲慢にも履き違えて“自分はそんな人間になりたい”などとつい最近まで思っていた。こんなにも一隅の一隅である自分にも陽光は温かく差し込むのだと思ったとき、この言葉は自分に向けられた恵みだったのだと心底感じ入った。

 時に思うのは、そっけないと感じてしまうものの後ろに、実は自分が気付くことの出来ないだけの奥行きがあるのではないか、ということだ。もちろん、ただそっけなかっただけのことも多くあるかもしれない。言われてみないとわからない、察してくれというのは面倒くさい、ということもあるだろう。しかしたとえば、自らが言葉を受け止めるだけの余裕がないほどに悲嘆の淵にあるときに、ただ寄り添ってくれる存在にどれほど救われるだろう。言葉を脇に置いておく瞬間というのは、こういうときではないだろうか。その深い優しさに気が付くことができるのは、それまた深い苦難を経験した者だけである。そうして重ねゆく経験が、素通りしていた道端の自然に鋭敏になり、流し読んでいた文字の上に留まる間を知り、これまで見てきたものと同じはずの景色のなかに、涙の隠れた愛おしさを生み出してゆく。

 これ見よがしのものを、私は厭う。飾り立てたものに、空虚を見る。目に見えるものに、なにかよそよそしい鎧を疑う。昔、「君のような不確かなものを追う人間を待っていられない」と振られたことがある。なるほどこの人はよく見ていると思った。私は不確かなものを追い、そこにこそ確固たるものが存在しているのではないかという想いで音に向かっている。そしてそれ以降、「待つ」という行為が果てしない信念と愛の基盤になるということも一層感じた。とはいえ私は人への執着と依存を捨てている。人が人に執着することほど悲劇を生み出すことはない。

 音、というのは抽象的でありながら核心に迫り得る。言い切ることのない存在という意味でも、言葉を越えて難解でありながら明瞭なこともある。とはいえ言葉も、"言葉を纏った"心である。なにものを纏っているのか、その本質に触れたいという心がなければ、私たちは温度のある会話ができない。心など、それこそ目に見えないものではないか。その目に見えない存在なるものが、完全に過去から未来において一致することなど自他ともにあり得ないという地盤に立ってみよう。”あのときの感覚を再び味わいたい”と願い、できる限り同じ状況、同じ環境に身を置くとする。果たして同一の感覚を得られるだろうか。良くも悪くも、時間を経てしまった自らの感覚は、そのぶんだけ細やかさに気が付けるかもしれないし、かつて心震わせた表現に、気恥ずかしさを感じることもあるかもしれない。

 辛辣に心を引き裂く存在に、不在というものがある。不在という存在の、なんと大きなことか。クリスマスの季節になると、仕事場の近くに「自分や大切な人に1年後に届く手紙」というコーナーがある。そこを通るたび、幸せそうに見える人々が幸せそうに見える笑顔や眼差しでなにかを記している。私はそこを、足早に立ち去る。1年前に、この不在を予想し得たか-?と思うことが、私の人生にはなぜか多い。誰もが無論、見えない悲しみを潜めていることくらいは慮っているつもりだ。そして羨むこともなければ自分を憐れむこともない。ただ1年前に能天気だった自分を、1年後の自分が受け止めきれるかと訊かれたら、それはわからない。

 永久に不在ということを、目に見えないものに確固たるものを求めている自分が嘆いているなど、本当に滑稽と思う。矛盾もはなはだしいところだ。その不在という存在を、消滅ではなく刻み続けるということを、もしかしたら歴史を受け継いだ人々が行ってきたことかもしれない。私が憧れて憧れてたまらない文化サロン《火曜会》の主宰マラルメは、残された数少ない"談話の記録書"のなかで「無名の宝」という言葉を用いている。無名の宝たちは、日常で目撃したものから"心"を受け取り、文化として発信されたもの-しかしそれは受け手がいなければなんの効力も持たない-に"心"を見出してきた。そうして受け継がれたのが詩であり音楽であった。不在を知った人間は、もしかしたらここからようやく、無名の宝として歩む力を得るのかもしれない。



クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/