音楽に託されたもの-メシアン、ベリオ、レヴィ=ストロース
人間の解放
さまざまな方向から見た立体面をひとつの絵に収める-一風変わった面白い手法をパブロ・ピカソは試みた。彼の最初期のデッサンを見れば「普通の」絵もとんでもなく緻密に描けることがわかる。その彼が、顔があちこち向いているような不思議な絵を描くというのはなにか「実験」が行われていたのだろう。このような手法は立体派=キュビスムとして広まり(その衝撃と非難は凄まじかったという)、間もなくコラージュという技法も出始めた。いわゆる「切り貼りの作品」を作品と呼べるのかという論争も当然の如くあったものの、前衛的な(それは時にシビアに現状に危機を感じ一石を投じようとしてくれる)芸術家たちには「世の中の支配から、人間的な解放を訴える」ものとして映ったようだ。さらには「人生も感情も、完璧に美しいものなど存在しない」としてクルト・シュヴィッタースは傷ついた素材を集めたコラージュを発表した。
この手法を音楽に取り入れたひとりに、ルチアーノ・ベリオがいる。彼の『シンフォニア』はさまざまな要素が聴き取り困難なほど込み入った音楽のコラージュで、人種差別から戦争、厳しい社会情勢に対する意思表示である。作曲家からはバッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ベルリオーズ、ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン、マーラー、R.シュトラウス、ヒンデミット、ブーレーズ、シュトックハウゼンなどの楽曲が混ざり合う。そこにキング牧師の名に基づくモチーフ、人類学・哲学者レヴィ=ストロースの『神話論理』から「生のもの、火を通したもの」、『ゴドーを待ちながら』等で有名な戯曲家サミュエル・ベケット『名づけえぬこと』が重なり合うという、てんこ盛りの楽曲である。初めて聴いたときには思考停止してしまったが、いずれにしても人間の解放が根底にあるように思う。
自然と文化
ベリオの楽曲に自身の引用を知ったレヴィ=ストロースは「困惑した」と言ったようだが、彼が20世紀の音楽家に与えた影響も大きなものだった。彼は時おり音楽を引き合いに出している。大きな作品『神話論理』でも神話を語る時、音楽を「その機能を引き継げるもの」とみなしている。彼の語る神話は自然と文化、つまり天上と地上の交感であり、文明が進むことによって傲慢になり、自然の営みを忘却している昨今の世の中への警告である。そしてそれを今一度人々に立ち返らせることのできる文化として、音楽を挙げている。
天上と地上の交感-これはまさしくオリヴィエ・メシアンのモットーでもある。人間的な精神力を取り戻すことを掲げた「ジュヌ・フランス(若きフランス)」での活動の頃から、メシアンにとって天の全能者の恵みと、人間の文化的精神の共存は軸になっている。さらに「機械的で無機質に向かう世の中」に対抗するのは自然の音に還る耳であり、ここでも自然と文化の在り方について説いているレヴィ=ストロースの精神性と一致するように思う。
メシアンは自然の音が至る所に出てくるが、これは従軍の後に一層強まったようだ。彼は現実世界で間近に聞こえる人為的な破壊音-銃撃や鉄鋼の音-のなかで、深淵で色彩の香る鳥の声を描いた。それも、時の流れと移ろいゆく美しい海の色、空の色の描写とともに。メシアンが『鳥のカタログ』で描く海の和音は、本当に美しい風情をたたえている。
混沌とした『シンフォニア』で社会に「音楽による抗議」を訴えたベリオにも、自然を汲んだ作品がある。ピアノ曲『6つのアンコール』は水や炎、空気のほかに植物を描く。その根底に、私には「誰も踏み入れていない柔らかな土」があるように思えてならない。いつでも驕ることなく、生かされている時空に対して目を向けるようにと。
演奏会『メシアン音楽の神秘2』
6月24日、渋谷美竹サロンでの『メシアン音楽の神秘2』ではベリオの『6つのアンコール』から「葉」と「水のピアノ」をピックアップします。メシアンの自然の描写、光の傾斜をさらに醸し出してくれる効果があるのではと期待しています。神秘的な音響の妙を味わいながら、一期一会の時間と空間を皆さまと体感できますこと、今からとても楽しみです。ぜひ、応援しに来てください。
メシアン音楽の神秘2 ピアノ:深貝 理紗子 - Mitake Sayaka Salon
クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/