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フォトグラメトリをした3Dモデルから意味を見出したい。 ー道標をデジタル拓本 その0ー

 私はフォトグラメトリで生成した3Dモデルを単に愛でるのも好きですが、その3Dモデルから何らかの意味を見出したいとも思っています。このシリーズでは私が作成した3Dモデルのうち、石塔や石仏、石碑の3Dモデルから私なりに読み取れたこと、そこから仮定したことを綴っていきたいと思います。

 このシリーズの1回目では「廃仏毀釈」を取り上げました(その1その2その3その4)。そこそこ重いテーマでしたのでnote記事の執筆が大変になり、最後には結論を急ぐあまり内容が雑になってしまいました。その反省を踏まえて今後は執筆が重荷にならないような書き方をしたいと思います。

 今回のテーマは「道標をデジタル拓本」です。


■やりたいこと

 このテーマでやりたいことは「道標をデジタル拓本」して「古い地図と見比べ」て「何か考えてみる」です。

□「道標」とは

 ここで「道標」というのは概ね江戸時代など近世以降に街道の分岐点に造立された石造物で、例えば下の写真ようなものがあります。この道標は東京都西東京市にあります。この道標の場合、正面にお地蔵様のようなレリーフが彫られていますが左右側面と裏面に方角と行き先を示す案内の刻印文字が刻まれています。

道標の石造物の例

□「デジタル拓本」とは

 「デジタル拓本」とは石造物などの刻印文字を読み取るため近年使われるようになった技術で、私の場合はフォトグラメトリの技術を使います。デジタル拓本の実践例が以下の文献で紹介されています(後者については、70ページの「3D 技術を活用した石材刻印の可視化手法 ―CloudCompare で見えない線刻を鮮明化する― 」(高田祐一先生 / 奈良文化財研究所)が参考になります)。

□何を考えるのか

 石造物の道標に刻まれた刻印文字とフォトグラメトリ技術で読み取って、石造物が置かれた場所と道標が指す道を現代の地図や古い地図と見比べてみようと思っています。今のところ「廃仏毀釈」のときのように明確な目的はないのですが、行き当たりばったりで何か気付いたことや考えたことを綴っていこうと思っています。

■本題の前に練習

 道標の前に、意図したわけではなかったのですが、いくつかの石造物でデジタル拓本の練習ができました。以下は埼玉県日高市にある石造物でデジタル拓本を試みた例です。いずれも同じ地区の公民館の敷地内やその脇にあります。

□倶利伽羅不動尊

 下の写真の石造物です。苔がついた部分の刻印文字が読みにくくなっていました。Sketchfabにフォトグラメトリ技術で作成した3Dモデルも掲載しています。

倶利伽羅不動尊の外観
2024年4月6日 @musimarusan撮影

 下の画像はRealityCaptureでこの石造物の3Dモデルを作成し、CloudCompareでデジタル拓本を行った結果です。画像をクリックすることで高解像度の画像を表示できるようにしています。画像は左からテクスチャー付モデル、ソリッドモデル、そしてCloudCompareのEDL処理、SSAO処理を施したモデルです。一番右の画像は刻印文字の読み取り結果です。このように龍のレリーフが彫られた石造物は一般的には「倶利伽羅不動」と呼ばれるのだろうと思っていますが、この石造物には「瀧不動」と刻まれていました。また、「宝永七庚寅」と刻まれているので西暦1710年に造立されたのだろうと推測できます。造立年の下には「施主向江村中」と彫られています。この地域は向江村という集落だったのでしょう。

倶利伽羅不動尊のデジタル拓本
Reality Captureで生成した3DモデルをCloud Compareで可視化
左からテクスチャー付モデル、ソリッドモデル、EDL処理、SSAO処理、刻印文字の読み取り結果

□庚申塔その1

 庚申塔は下の写真のように3体が造立されていました。右と左の庚申塔は苔によりレリーフや刻印文字がかなり読み取りにくくなっていました。まずは右の庚申塔です。

三体の庚申塔の外観
2024年5月6日 @musimarusan撮影

 Sketchfabにフォトグラメトリ技術で作成した3Dモデルも掲載しています

 デジタル拓本の結果です。画像の説明は倶利伽羅不動尊と同じです。テクスチャーの状態では表面を覆っている苔により刻印文字がかなり読みにくくなっていますし、レリーフも分かりにくくなっていますが、デジタル拓本により、庚申塔によく彫られている見ざる、聞かざる、言わざるの三猿のレリーフの詳細が分かるようになりましたし、刻印文字も何とか読み取れるようになりました。刻印文字の読み取り結果のうち1行目の冒頭では「庚神」と刻まれているように見えますが「庚申」の間違いだろうと思っています。また、2行目と3行目の□と記した箇所は読み取れなかった文字を表していますが、年号が元禄で丁丑の年は元禄十年で西暦では1697年にあたると思いますし、造立された年月が刻まれているのだと思いますので「七月」と刻まれているのだと思います。

庚申塔その1のデジタル拓本
庚申塔その1 Reality Captureで生成した3DモデルをCloud Compareで可視化
左からテクスチャー付モデル、ソリッドモデル、EDL処理、SSAO処理、刻印文字の読み取り結果


□庚申塔その2

 こちらは真ん中の庚申塔です。

 こちらの庚申塔には三猿(下部)に加えて正面金剛象と悪鬼も彫られています。(私が見てきた中では)良くみる組み合わせの庚申塔です。こちらも表面が苔に覆われていてテクスチャーのままでは分かりにくいのですがデジタル拓本によりレリーフや刻印文字が綺麗に彫られているのが分かりるようになりました。正面金剛に踏まれている悪鬼の顔が苦しそうです。全体的に庚申塔その1に比べて丁寧に彫られていると思います。「庚申」の文字もこちらでは訂正された?ようです。享保十乙巳年と彫られていますので造立年は西暦1725年だと思います。像の下方には「向江施主十三人」と彫られています。この頃の向江村の庚申講の世帯は少なくとも13世帯はあったということでしょうか。

庚申塔その2 Reality Captureで生成した3DモデルをCloud Compareで可視化
左からテクスチャー付モデル、ソリッドモデル、EDL処理、SSAO処理、刻印文字の読み取り結果

□庚申塔その3

 最後に左の庚申塔です。

 こちらは左右の側面に刻印文字が彫られていました。こちらも表面が苔に覆われていてテクスチャーのままでは分かりにくいのですがデジタル拓本によりレリーフと文字が良く読み取れます。正面金剛増像は怒髪していて荒々しいですね。三猿も彫られていると思うのですが、デジタル拓本をしても猿たちの姿勢がよく分かりませんでした。よく見る「見ざる、聞かざる、言わざる」の形をしていないのかも知れません。
 右側面の下部の文字は私は「五穀」としていますが、実際に彫られている文字の1字目は「五」で良いのでしょうかね。2文字目はこんな漢字はなさそうですが「穀」に似ています。五穀豊穣を祈願したのだろうと考えると「五穀」で良いのかなぁと思っています。
 左側面には「文化九壬申」と刻まれていますので1812年の造立なのでしょう。造立年の左には「武刕高麗郡向郷村」(「刕」は「州」の異字体らしい)と彫られています。少なくとも1725年まではこの地区は「向江村」という名前だったのが1812年までに「向郷村」に改名したのでしょうか。歴史を垣間見た気がします。

庚申塔その3 Reality Captureで生成した3DモデルをCloud Compareで可視化
上からテクスチャー付モデル、ソリッドモデル、EDL処理、SSAO処理
庚申塔その3 刻印文字の読み取り結果

■次回から本題

 これまでの練習でデジタル拓本の作業フローは見出せたので次回から本題に入りたいと思います。ここでは私が何かと縁のある東京都西東京市(旧田無市、旧保谷市)に造立されている石造物の道標を対象にしていきたいと思います。