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どう生き(2023/07/17)

カヘッカヘッカヘッ!!!!!!!!


何がネタバレで何がネタバレにならないのかわからないので、視聴前に情報を入れたくない人は自衛をお願いします


といっても、私の感想も箇条書き程度です。
しかも、私が「こうだったらいいな」という気持ちで見ている宮崎駿映画なので、「それは違う!」と思う人のほうが多いかも~~!




いくわよ!





・高畑勲がいなくなった後、君たち(宮崎駿)はどう生きるか
・宮崎駿監督の「好き」を詰め込んだ内容。
・純度100%、まじりっけなしの宮崎駿監督作品。生まれたまんま…というか、高畑勲監督と出会う前、高畑勲監督の影響を受ける前の宮崎駿監督の世界
・どっかで、宮崎駿監督は絵コンテ(脚本)を描いている時に「こんな絵コンテ描いてパクさんに叱られちゃうな」みたいなぼやきをよくする…という記事だか映像を読んだ気がする。
「自分の中にはつねに高畑勲がいる(宮崎駿の内には「それでいいのか」と問う神、高畑勲がいた)しかし、高畑勲の逝去により宮崎駿の内なる神はいなくなった。

今までの宮崎駿監督作品にも、そこかしこに宮崎駿の「好き」があふれていたように思うんだけど、視聴者が置いてきぼりにならないように、常に理解できるような描写があった。
けれど、「君たちはどう生きるのか」にはほとんどない。
これまでの作品で一番近いのは「千と千尋の神隠し」だと思うのだが、メタファーやオマージュの数が半端なく多いように感じた。メタファーにメタファーを重ね、かつ宮崎駿監督の趣味も取り入れてているので、たぶん、この作品を「読み解く」と言う事が出来る人はどこにもいない気がする。
これから先、様々な資料が出てきて初めて理解できるのかも。その時、またみたいな。

一番最初に浮かんだ感想は「ダイアナ・W・ジョーンズの「9年目の魔法」に似ている」だ。あとは「不思議の国のアリス」とか。


・手仕事や人の営みの描写のアクションが多い、けど、戦闘アクションも多い。
・手仕事の多さ→着替える、靴を履く、自転車式人力車の降車、弓矢を作る、扉を閉める、魚をさばく、水を汲む。日常のちょっとした動作も丁寧に描いていた。こ~~~~いうの大好き!まじまじ見てしまう→なのに全然中だるみしない。生き生きと描かれている。
・画角の設定が、この日常動作のアクションを見るためだけのものって感じがしたんだよな~。そう思いませんでしたか?!私はそう思いました。
・シーンの切り方も独特だった。ぶった切るみたいな印象が強かった気がする。これはいったい何なんだろう、どこからこういう印象を私は得たのかな。
・アクション→アクションの多さもなんだか見どころだった気がする。何気にもののけ姫くらいにない?
・原画に亀田祥倫さん←!!!!!!
・すげ~~~びっくり。けど、皺の感じやシルエットの取り方で、「今っぽい」人の作画があったので、新しい人が入ったのかな~って思ってた。
・そしたら、亀田さんだった。
・アクションのシーンほとんど亀田さんじゃないか?亀田さん独特の皺の描き方、体の描き方があった。逆に言えば修正は顔だけってこと?

・おばあさんの不気味さ。最初人ではないのかと思った。
・渡り廊下を歩いている時に一瞬だけ見える老人(?)こういう一瞬だけ現れる不気味さってトトロみたい
・頭が大きなお婆さん、よくわからない老人、なんだか今回の宮崎駿監督の作品では「老い」の醜さみたいなものを描いていたような気がする。ばーさんたちの無遠慮なこの感じあるよね~。

・自分の頭を傷つける眞人。最初これを見た時、ほかの子供たちにやられたんです!と冤罪を負わせるために(子供たちを貶めるために)やったことだと思っていたんだけど…どうだったんだろ。「自分で転んだんです」と言う事で父親の同情を得ようとしていたのかな。親が「犯人を捕まえてやる」みたいに憤っていたし。ここまで考えていたのだとしたら策士だねえ。こういう小賢しさ、私は結構好きだな。
あのつっけんどんな感じは、火垂るの墓の清太を彷彿させる。この世の中の道理に気が付かないほど幼くはなく、理不尽や自分以外の事情を許容できるほど大人ではない年齢にある潔癖さ…というか。眞人の印象は「潔癖」に近いかな。
・第二の母のナツコ?(チナツ?)を受け入れたいけど、受け入れられない…みたいな描写あったっけ?と思った。
・「はやく良くなってください」←妊娠が何なのかわかってない?

・そこかしこに見える眞人の少年期にある潔癖さ……ッカ~~~!!!!!たまらんね!同時にアオサギといるときの幼さも見過ごせないな。成長の過渡期って感じだ。

・ナツコの放った弓矢。弓の音は穢れを祓うものだけど、実際の弓はどうなんだろう。ナツコが祓ったものは何?死への憧れ?


・今回の映画では、「人間のエゴ」みたいなものが描かれていたな~。後妻が自分のお腹を触らせて「子供がいるの。あなたと本当の家族になるのよ」みたいな事を言っていたのもなんだか生々しくてショックだった。眞人何歳か覚えてないんだけどまだ10~12歳くらいだよね?もうちょっと配慮できなかったんけ?父親ももうちょっと説明してあげなよ~…ていう感じ。

キリコ…?!キリコってだれ?!となってしまって、ようやくやっと、塔に忍び込むときに一緒についてきてくれた人か~…と思い出した。しかし、ずっと最初から死の国に居るって何だったんだろう。


やっぱり、私はそこかしこに高畑勲の面影を見てしまう。そういう風に見てしまうのは私が高畑勲に傾倒しているからだろうな。

最後の終わり方もよかったな。なんだか突き放す感じだ。この感じも、なんとなく高畑勲っぽいと感じてしまう。
高畑勲監督の作品のラストって一見すると「円満」なんだけど、どこか違和感があって、それを見逃しちゃいけないな…って気にさせられる。どう生きもそんな感じがあった。
いったい何に違和感を覚えたのか、全然明文化できない。

石を積み重ねていた王はいったい誰なんだろう。あれだけ集中して積み木をつみあげても、たった1日しか寿命が延びない。私はこの行いも高畑勲を感じる。アニメの、なんだろうな、可能性を、ちょっとだけでも延ばそうとしていた。どこかでそんな言及があったと思うんだけど思い出せない。



この二つを読んでもう一回考えてみたいな。
いい感想だなぁ。

あとさ~~~~~、やっぱ宮崎駿監督が描く男の子(男性)ってとんでもなく、かっこいいんだよなあ。
「宮崎駿は身の内に少女漫画家を住まわせている」っていうくらいに、女子の理想形を描いてくれている。
ああいう感性ってどこから生まれたんだろう。

まだしばらく考えたいので、もう少し感想を読んだり聞いたりするのは控えようかな。

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