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マーラー 交響曲第9番(1) ~命への想い、憧れ

マーラーは晩年、死の予感を日々感じながら過ごしていた。自身の心臓の病。愛娘の死という哀しい出来事。妻アルマへの強烈な愛情と裏返しの嫉妬や猜疑心。こういうストレスが強くのしかかり健康悪化にさらに拍車をかけた。

熱血指揮者と呼ばれ、オーケストラや歌手達と共にオペラと闘い精力的に活躍した。だが、その彼が自身の死とわずか50歳で向き合わなければならなかった。ショックははかり知れない。ちょうど娘の死後ショックが消えない頃に、異国の地でメトロポリタン歌劇場の音楽監督としての活動という「新天地」へ向かう時期と重なったのも悲劇である。

彼自身「死」というものは決して遠い存在ではなかった。
14人もいた妹や弟が次々と死んでいく家庭環境にいたマーラーだから「死」への意識は人一倍強かっただろう。考えてみると耐え難い日々だ、共に育ってきた兄弟たちがが次々亡くなるのだから。そのような成長期を経た人間の心境とはどのようなもものだろう、私たちには計り知れない。

「死」と直面しながら生きてきたマーラーの音楽にはすべて「死」のイメージが強いと言われている。マーラーの音楽を語る時、彼の「死生観」に触れずにいられない。若い頃書いたカンタータ「嘆きの歌」をはじめ、以後の作品のふしぶしにそういう雰囲気は感じられるし、歌曲「亡き子をしのぶ歌」などは子供を失った親の哀しみが深くあふれている。交響曲も後期になればなるほど、その傾向は増している。

多忙な指揮者としてのシーズンの合間、夏場の長期休暇を利用して作曲にとりくむのがマーラーのスタイルだった。メトロポリタン歌劇場時代にも、夏には必ず帰国し、チロルの山に囲まれた自然豊かな環境で作曲にはげんだ。そこで生まれたのが交響曲「大地の歌」、「交響曲第九番」、そして未完の「交響曲第十番」だった。この晩年の傑作3作品はいずれも不幸にもマーラー生前には演奏されなかった。


ここまでの解釈は一般的なもので、評論家たちの書いてきた内容を参考にかいつまんで私なりにアレンジしたもの。

マーラーはこの世に「さらば」といいたくてこの三曲を書きたかった。
生に対し郷愁感を漂わせるも、あきらめの境地にあった。その境地を音楽で表現したと。これが諸子の考えである

だが、天の邪鬼の私は「本当にそうなの?」と疑っている。若い頃からの、疑い深い性根はそうやすやすと変わりはしない。歳をとった今もそうだ。歳を取ったいまだからなおさらそうなのだろう。笑

率直に言おう。「交響曲第9番」を聞いて
「ああ、これでワシは、もう死んでもいい。もう思い残すことはない」と思えないのだ。まあ、私がまだ死と直面していないからかもしれない。

マーラーはこの曲に「生への想い」、それもむしろ「生への憧れ」の気持を込めたのではないだろうか。

生きたくて、生きたくて、もっと自分の愛する人々と会話したり、談笑したり、時には泣いたり、怒ったり、食事をしたり、散歩をしたり、そういう他愛のない日々を、もっと過ごしたいと思っていたのではないか。人間ならば当然だろう。

「交響曲第九番」は命への憧れと感謝の気持ちを歌う音楽
私はそう信じている。


【第1楽章】
冒頭の弦楽器とホルンのフレーズはほとんど聞こえないほどのピアニシモで始まるため、ハープの低音の「ボーンボーン」という音が始まりかと勘違いしてしまう。このハープが強く印象に残るだろう。渇いたホルンの音色が色を添える。ここまでそれほど長い時間ではない。でもここまでの間で充分にこの交響曲独特の世界へ聞き手は引きこまれる。

そして…。そして語る言葉さえ失う美しい弦楽器の調べ。「うわーっ」って感じ。本当にそうなのだ。主和音と微妙に外れた音程を伴う不安定なメロディラインを、こんな神秘的な和音の中で、しかも第二ヴァイオリンに担当させるなんてお主も悪よの~、だ。メロディはホルンのサブメロディ、低音弦楽器とハープの伴奏的メロディが伴われる。ホルンがとてもいい。

やがてクラリネットやイングリッシュホルン(オーボエの親玉のような楽器)が加わり、第一ヴァイオリンに主メロディをバトンタッチ。彷徨うメロディはそのまま受け継がれていく。

ホルンの合図で、嵐の前触れとも感じ取れる幻想的メロディを弦楽器が奏で、木管楽器金管楽器が徐々に加わり、雨嵐が訪れる。が、すぐに晴れ渡りトランペット高らかな調べと共に、冒頭のあの神秘的メロディをオーケストラ全体で謳歌するように歌う。弦楽器だけでなくホルンや他の管楽器のメロディラインを耳を澄ませながら聞くと一層楽しい。管楽器の活躍し第一部分のフィナーレ。これがまたすごい。

第2部は戦争を予感させる不気味な音楽。ティンパニーの足音が怖い。ホルンの渇いたメロディも効果的でますます怖い。クラリネットの低音メロディも悪魔の手先のよう。ハープのこれまた低音メロディの足音も「頼むからこないでくれ~」と逃げたくなるのである。

が、音楽は徐々に冒頭の神秘的メロディへ転化していく。美しい音楽が再びやって来る。

が、またもや軍隊が登場。金管楽器とティンパニーの独壇場。トランペットのけたたましい叫び!などなど細かく書いているときりがない。終盤近くのフルートのソロ、ラストのホルンとハープの清らかな音色、そしてヴァイオリンソロなど余韻たっぷりのエンディングがたまらない。

静と動の極端なコントラスト。美しい弦楽器、管楽器の見事なファンファーレ、そして不気味な低音の調べ、そしてなんといってもハープが効いてくる。主役はまさにハープと彷徨うメロディ。等々、詳しく語るだけ野暮なこの第一楽章は、これだけで充分音楽の素晴らしさを堪能できるだろう。なにしろ演奏時間約30分と長丁場なので、心して聞く覚悟を必要とされるだろう。でも、意外と短く感じるかもしれない。後半は映画のような光景が目に浮かぶ。SFにも使えそうだし、アルプスの山々の四季の表情を重ねてもいい。

初めて聞く場合は、無理をせず、第1楽章だけで止めておくのもいいかもしれない。もっとも、貴婦人の顔をした喜劇役者の第2楽章とせっかちで神経質な小心者的第3楽章は、本当に笑っちゃうほど楽しいので、きっとあなたは止められないだろう、きっと。そして第4楽章は絶品。ね?早く聞きたいでしょ?
(続く)


グスタフ・マーラー
交響曲第9番 ニ長調 第一楽章~四楽章
シカゴ交響楽団
指揮:ピエール・ブーレーズ
※緻密で楽器の動きがよくわかる名演。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

※帝王と呼ばれどちらかといえば私自身毛嫌いしていたカラヤンの存在感を再認識させられた至高のライヴ録音。素晴らしい演奏。私の永年の宝物。

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