サイモンとガーファンクル「水曜日の朝午前三時」第11曲「時代は変わる」The Time They Are A-Changin'
ファースト・アルバム「水曜日の朝、午前三時」は完成しました。収録12曲中ポールのオリジナルはわずか5曲。しかし、ゴスペル、伝承曲、ディランの作品などを交えたこのアルバムの選曲は当時としては無難なもので、フォークファンを魅了する要素を充分に秘めていました。とりわけポールの歌は輝いていて、アルバムそのものの販売数はわずか三千枚であったものの、その三千人の人たちはこのデュオの歌に満足していたはずです。
「時代は変わる」は、ボブ・ディラン三枚目のアルバムのタイトル曲でもあり、プロテスト・ソング(もはや日本語になっている? 主張、抗議、反抗、反対のための歌、という意味だろうか、、)の象徴的存在です。私はディランについてはフォークの神様と呼ばれ当時名前だけは知っていたもののリアルタイムでアルバムを聞いてこなかったたため語る資格はありません。
しかし、この「時代は変わる」という歌が放ったパワーは大きく、当時の音楽界、いや社会までもかなりかき乱したかもしれません。
第3番では政治家(自らの手を汚さず戦争を操る人々)へ、第4番では父母へ(若者へ自分たちの価値観をおしつける人々)の切実なメッセージ、そして第5番での
サイモン&ガーファンクルがこの曲をカバーしてファースト・アルバムに収録した目的はどこにあったのか?
コロンビア・レコード制作者の「水曜日の朝、午前三時」の制作ポリシーは、アルバムジャケットの記載キャッチフレーズのとおり「斬新なサウンドで伝統的フォークに息吹を与える、、」でした。そのためにも当時の問題作、ボブ・ディランの「時代は変わる」が必要不可欠だと、制作者は判断したのでしょう。他のカバー曲はいずれもサイモン&ガーファンクルのハーモニーが栄えるまさにうってつけの作品、違和感が全くありません。むしろデュオの歌のうまさを実証しています。でも、その美しさだけではアルバムに今ひとつパンチが足りない。そこで、パンチ力としては最適のディランの歌を収録作品として加えることにした。あくまでも私の推測ですが、、、、。
ここまで書いたところで、改めてリマスター版CD「水曜日の朝、午前三時」に付いている「ニュー・ライナー・ノーツ」(バド・スコッパ筆 対訳:内田久美子)には、S&Gを見い出したプロデューサーのトム・ウィルソンは
「当時新進フォーク歌手であるボブ・ディランのレコーディングを担当し好評を博していた。」との記載があるのを発見しました。
真相はともかく、ディランの作品のカバーの提案をポール・サイモンとアート・ガーファンクルがどう受け止めたかが大変興味深いのです。やはり時代の流れの中での音楽シーンと周囲の環境の中、彼らは提案に従った、、、ということでしょうか。
はっきりとしたギターのストロークによる前奏、しっかりとした三拍子のリズム、ポールの低音(こちらがリード)、アートの高音によるハーモニーが終始変わらず、熱唱しているにもかかわらず、彼らの声が美しいだけに、まるで感情を殺し淡々と歌ってるようにも聞こえるのが不思議です。他のゴスペル作品同様、彼らのカバー曲としてのクオリティも高く、アルバムしめくくる最後の歌「水曜日の朝、午前三時」の前を飾るにふさわしいできばえです。
ただ、ひとつ余計なコメントをひとつ、、。
この作品をレビューするためにここの「時代は変わる」を何度も聞いてみているのですが、これも私の想像ですがS&Gはこの歌をあまり練習していなかったのではないかと思うのです。ハーモニーもぎこちなく、いつもピタリと合う歌詞も時々ずれます。本番前に数回合わせるだけで録音にのぞみ、うまくいかなくて何度もテイクを重ねたのではないかと。珍しくアートの声がひっくりかえる箇所もありますし。
サイモン&ガーファンクルを描いた書籍はどれも、この「時代は変わる」について好意的なコメントがありません。ボブ・ディランの歌にひそむ皮肉っぽさが(プロテスト・ソング的特徴とでもいいましょうか)薄められているというのです。確かにディランのオリジナルと聞き比べるとそんな印象も感じます。でも、こちらはサイモン&ガーファンクルのカバーですからね。事実私などは、ディランのオリジナルを聞くまで、全く違和感なく聞いていましたし、、、。
ボブ・ディランという時代の申し子のようなシンガーの歌と、サイモン&ガーファンクルという新時代のデュオの組み合わせ。まさにフォーク・ロックという洋楽の世界も変わりつつあったあの頃をこの「時代は変わる」が伝えていたのかもしれません。
ボブ・ディランの原曲はこちらで
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