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1週間

※写真は小学校三年生の娘が葬儀場前の駐車場で走り回っているのを18歳になる姪(次女)が撮ったもの


<1週間>

6月8日(月)に亡くなってからちょうど1週間が経ちました。慌ただしいままに過ぎたこの1週間、振り返ってみて改めて「ああ、1週間が過ぎたんだ」というのが実感で、慌ただしい1週間も、何事もない1週間も、同じ1週間ではあるのですが、父が亡くなってからの1週間というのは初めての体験であり、妙な時間性です。いろいろあったような、無かったような、夢のような、雲のような、手にした砂が指の間からさらさらとこぼれおちていくような、とらえどころのない時間に思えます。

ちょうど1週間前の今(22時前)は、息を引き取った父が看護師さんたちに運び出されていき、病室で家族が待っていた時間だったでしょうか。そのうち呼びに来る、でもまだ呼びに来ない。いつまでなのかわからない。どうやら息をしていた父が息をしなくなってしまった。頼りにしていた人が不在になっていったことの覚束なさ。そこにいる家族でどんな会話をしたかを、今はもう覚えていません。

昨日も書いたのですが、病院の職員さんに「準備ができました」と連れられて向かった霊安室。エレベーターでの会話の無さ。こちらです、と導かれた霊安室の扉を前にして、入りたくないなと一瞬思った感じ。でも結局入って、横たわる父を目にし、母と兄と僕は何かを言うわけでもなく、おそらく2、30分くらい部屋に居て、静けさの「静」がより一層で。もうすぐ死ぬとわかっていた父、徐々に弱っていく父を見ていたのだから、その時を迎えるのはわかってはいたはずですが、いざその時が来て、亡くなって、霊安室に横たわっている姿を目にするのはさすがに厳しいものであり、かといってそこで泣きじゃくるようなことも自分には訪れず、なんだかむしろ冷静に、「そうか父は死んでしまったんだな」ということを、目の前にある父の遺体を目にしながら、その実感を確かめていました。その捉えきれない感覚は、1週間経った今でも続いています。


<1週間>

葬儀屋さんとの打合せ、お寺さんとの話、葬儀の準備、役所の手続き、実際の葬儀、火葬、それらは次々と訪れたと思ったらあっという間に終わってしまいました(それらの細かいところはこれから書いていきたいと思います)。そして1週間が過ぎようとしている今、それらのひとつひとつが徐々に記憶から遠くなっていることを実感しています。

忘れてしまう、忘れてはいけないのではないか、ほぼ忘れてしまうだろう、もうすっかり忘れてしまった。たった1週間過ぎただけですが、お経をあげていただいたお坊さんより、初七日はお不動さんのところで修業をする、みたいな話を聞き、そうか1週間経ったのだから修業が一段落なのかなと思ったり。あるいはまったく信心の無かった父のことですから、そんなのは全く関係なくて、魂とかそういうものも無く、ただ「無」なだけ。「死ねばゴミ」と言ってた父の遺骨はまだ家にあって、四十九日法要を経て海に散骨する予定ですが、そうすれば海になる、それが少なからず父の望んでいたことだったりします。


<1週間>

リモート勤務が続いているおかげで、今も私ひとりが実家に居て、残された母と一緒に過ごしています。1週間が経ちましたが、今でも母は何かの折に父のことを言います。それは当然のことです。1週間がいくつも連なった年月を母は父と共に過ごしてきて、おそらくは自身の生涯の半分以上を父と過ごしてきて、その喪失は私では計り知れないことです。折に触れて「お父さんはこうだったね」と言うのを聞きますが、それを聞くだけでも大切なことと思います。まもなく私は住まいのある東京に戻りますが、そうしたら母は誰にそのことを言うのでしょうか。直接父に話しかけるでしょうか。きっと話しかけるでしょうし、自身で対話するでしょうし、まるで独り言を言うでしょうし、そうやってもういない父のことを思いながら日々を過ごすことでしょう。

誰しもに訪れるであろう喪失が、今こうやってやってきたことにより、いろんなことがあらわになり、その現実に向かわねばなりません。少なからず私に今できることは、自分の妻子のことをきちんと守ることをしながら、できるだけ母のそばにいてやることであり、ひとり残された母がより過ごしやすい環境を作ることだったりします。

(今も食卓の目の前で母が父が残した手帳を読みながら、ああこの日はこんなことが書いてある、と反芻しています)

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