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2週間/モノを捨てる

<2週間>

父が亡くなってから2週間が経った。当たり前だが日々はあっという間に過ぎる。2週間前に集まっていた家族は皆それぞれの生活に戻っている。亡くなって直後の時ほど色濃く父のことを思い出すことが少なくなってきた。四十九日という日にちをかけて、亡くなった人のこと、その人が亡くなったという実感が自分の中に形成されていく。

今日は久しぶりの出勤で、思えば6月1日以来だったので、およそ20日ぶりに職場に赴いた。コロナ対策がすっかり施されていて、変わっていないようですっかり変わっていた。

出社したらしたで現場でなければできない仕事も多く、同僚と普段リモート勤務だと交わさない雑談を交わしたり(その大切さを実感する)で、慌ただしく時間は過ぎた。ふと思い起こすと、父のことを思い浮かべることをしていなかった。それはなんだか申し訳ない気がしたが、むしろそれなりに仕事に没頭していたということで、父であればそうしろと言うだろう。


<モノを捨てる>

ゴミ処理施設に数週間前に運んだ160㎝×120㎝くらいの室内温室が、その後再びごみ処理施設に訪れた際、ガラス面が取り除かれて骨組みになった状態で取り残されていた(写真右下)。父が作ったもので私が幼いころからあり、最初は温室として植物が沢山入っていて、その後人形とか本とかの物入れになっていた。父が亡くなった後、母がもう使わないとのことで、兄と車でゴミ処理場まで運び、捨てた。

父の死後、3度ほど処理場に行き、きっとまだまだこれからも行く。父が本当にたくさんのモノを残しておく人だったので、家にはまだたくさんのモノが眠っている。今はひとり家にいる母がコツコツと片付けているのだろうが、父が残したものを片付けていく作業は途方もない。が、そうやってひとつひとつのモノと対峙しながら、時に思い出しながら捨てていくっていうのは、何だか大切な時間に思う。事情があって対峙できずに、業者に頼んでまとめて捨てる、というのはきっと多くされているだろう。そうやって捨て続けていれば、いつかすっきりモノも無くなっていくのだろうが、かといって全部を捨てきれるわけもなく、捨ててしまうこともなく、父を想起させるモノはじっとその場所で静かに居る。私の娘にとってそういうモノたちはどのように見えているだろう。

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