名曲658 「悲しみがいっぱい」【林哲司】
ーー師匠の渾身の名曲を夏の終わりにーー
【悲しみがいっぱい 林 哲司(’86)】
林哲司はこれまで何曲も紹介してきた。えっ、1曲もない? それは失敬。林哲司自身の曲は今回が初めてである。作曲・林哲司の名曲はもうそれはそれは。ぜひ遡っていただきたい。
「悲しみがいっぱい」は1986年に自身が発表した名曲。私の年配の知人の方はこの曲を「悲しみ三部作」と言っていたのを覚えている。ひとつが杏里の「悲しみが止まらない」。もうひとつが上田正樹の「悲しい色やね」。そしてこれ。どうも林哲司の中でそういう三部作があるらしく、いずれも作曲は同氏。ググってみるとヒットしたので、有名のようだ。
そういうわけで?三部作は初めての紹介になる。1986年というとシティポップが思い浮かぶ。林哲司としては6年ぶりのシングルになるようで、これは意外だった。そう、シティポップで検索してみても、どうも自身の曲がなかなかヒットしないのである。1980年から1986年の間にもっと発表していれば、いまの評価はさらに高まっていたのではないだろうか。
この曲はほかの2曲と比べると極端に知名度が低い。以前にこの曲をカラオケで歌おうとしたのだが、収録されていなかったのには堪えた。また、歌詞を検索しようにも同名の及川光博の曲が先に出てくる。
これはこのnoteで取り上げなければならないと変な使命感に襲われた。恐らく、私より下の世代の知名度は2%くらいだろう。シティポップの枠にも微妙に外れているのか、それとも発掘が進んでいないのか、ほとんど目にしない。ぜひ拡散を願うばかりである。
さてちょっと話題を変えて。
林哲司は曲の提供者として有名なわけだが、なぜこの曲は自身で発表することにしたのか。安直に思うのは傑作中の傑作ができたからではないかと思うのである。まさか断られまくったなんてことはないだろう。これはぜひとも自分で、と。私ならそう考えてしまう。
そう仮定したときに、一層この曲が光って見えないだろうか。私は林哲司を普段「神」と呼んだり「人間の形をした音楽」と呼んでいるのだが、そんな存在が自ら歌うわけである。崇める以外の行動はできない。
というわけで皆さんも林哲司教に入信……おっといまはそういう話題がしづらい。私のはそういう怪しい宗教ではないから。だからぜひこのCDを買ってくれんかね。
【今日の名歌詞】
悲しみがいっぱい こんなに淋しいふたりに誰が変えたのか
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