迷曲11 「鉄道唱歌」【ボニージャックス】

ーー先人の努力とセンスに、出発進行ーー

【【北海道~九州まで】鉄道唱歌】

 知る人ぞ知る長ーい曲を紹介。もちろん迷曲入りの理由はその信じられない長さにある。だが、それをただの色物曲と同じにしてはいけない。

 ちなみにこの曲はクレヨンしんちゃんで知った。黒磯がカラオケでこの曲を歌ってしまい、周りがうんざりしてしまうというオチだった。そんな曲本当にあるんかいなと調べてみると、実際にあったのだ。しかもカラオケで歌えるというのも本当で、30分弱かかるという。クレしんスタッフ、11分45秒で黒磯の名を見てその話を思いついた説。

 上記の動画は間奏も含めたので1時間近くある。うーん鈍行列車で旅するBGMとしては優秀かもしれないが、ちょっと真剣に聴こうとするとくたびれてしまう。だが絶対に無理かというとそうでもない。曲のメロディーが非常に秀逸で歌いやすく耳障りがいい。そしてちょっと曲調が変化していることや、ボニージャックスの色とりどりの歌い方が素晴らしいのだ。

{汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として}

{右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても消えのこる 名は千載の後までも}

{窓より近く品川の 台場も見えて波白き 海のあなたにうすがすむ 山は上総か房州か}

{梅に名をえし大森を すぐれば早も川崎の 大師河原は程ちかし 急げや電気の道すぐに}

{鶴見神奈川あとにして ゆけば横浜ステーション 湊を見れば百舟の 煙は空をこがすまで}

 なじみの多そうな東京部分を抜粋したが、延々とこんな感じで全国各地を回る。ところどころに「へえ」と思うような地理の描写があり、それでいて「ステーション」というカタカナも使われていたのかと膝を叩きたくなることもある。じっくり聴いてみる価値は高い。

 私としてはその大作を作るにあたった制作過程を知りたいものである。並々ならぬ苦労があったのではないか。決まったメロディーの中に字足を整えるのは大変。そして全国各地の知識も必要だし、上品な日本語の質も求められる。詞の構成が単調でもいけない。

 この曲は1900年に作られた。時は明治時代。ちょうど鉄道が発達してきた時期で、それこそ唱歌(賛歌?)を作りたくなる時期だったはず。あまりにも古いとそれこそ現代じゃ化石扱いになるのだが、この曲はいまでも歌いやすいという点で一層深みを増しているのだ。先人のセンス、恐るべし。そして全国まで作り上げたという努力に敬意を表したい。

       【今日の迷歌詞】

なし

 

 


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