名曲599 「ドラえもんのうた」【吉川ひなの】[劇場版ドラえもん]
ーーかかってこい全国のアンチ諸君、この曲を批判するのは浅いーー
【ドラえもんのうた】
さあ禁断の話をしましょう。ドラえもんガチ勢の私にとって、戦わねばならない曲があった。それが「ドラえもんのうた」である。国民的名曲だろと思ったそこの皆さん、実は過去に「黒歴史」と言われていた過去があったのをご存知だろうか。
それが今回取り上げる吉川ひなのバージョン。1998年に放映された『ドラえもんのび太の南海大冒険』の主題歌で起用された。
まずは聴いてもらいたい。このバージョンはいままでの「ドラえもんのうた」史上、最も飛び抜けて評価が低いのである。理由は簡単。「下手だから」。
「なぜ芸能人を起用したのか」。「この辺りからドラえもんは終わった」。「天国の藤子さんが泣く」。いままで散々酷評を見てきた。わかったわかった落ち着こう。私が戦おうじゃないか。
この時期の「ドラえもんのうた」といえば泣く子も笑う「山野さと子」バージョンがお馴染みだった。私もそれで育ってきた。抜群の歌唱力を無理に表現せず、国民に愛されるような優しく一定の歌声でお届けしている。1997年の『ねじ巻きシティ』まではなんの問題もなく起用され続けていた。
そこに突然の芸能人の登場である。そりゃ確かに驚くのも無理はない。藤子・F・不二雄が亡くなられたその次の年というのもある。ファンは大いに批判した。エンディングの『ホットミルク』にまで波及し、いつしか98年の主題歌は黒歴史扱いされてしまったのである。翌年となる99年の『宇宙漂流記』では元の山野さと子バージョンに戻ったのも印象が悪かった。やはりなと大きな子ども達のニヤリと笑う姿が目に浮かぶ。
だが私は少なくとも駄作扱いにはしてもらいたくないと思っている。というのもこれはある意味最高傑作級のバージョンなのだ。
この吉川ひなのの歌唱力は正直に言って高くない。我々素人とほとんど変わらないといっても過言ではないだろう。というのも当時はまだ19歳。無理もない。だが我々とほとんど同じような歌唱力の持ち主が元気いっぱいに歌った姿があれだとしたら、なんて完成された曲だと思わないだろうか。あの姿は我々にとっての鏡なのだ。我々にとってはさらに親しみを感じる姿なのだ。出だしの大切な部分を「こーんなこーといーいな」とやる気なさそうに伸ばしてみたり、「アンアンアン」をリズムもクソもない歌い方にしてみたり。でもそれが我々の目線と一緒なのである。
我々というのは「子ども」に他ならない。
その芸術表現をわからずして批判をしてはならない。全体的にポップなメロディーになっているのも工夫を感じていいじゃないか。スタッフが新たに頑張っていこうと気合を入れていたことがよくわかる。そりゃそうだ。偉大な原作者を失ってしまったのだから。
ちなみにここからわさびドラ時代にかけて「迷走期」と表現されることが多い。うーむ。確かにのぶドラ末期は極端にギャグ寄りになった。だがそれが普通に面白かったのを覚えているので、何とも言えない。
余計なことを書くと、私は『ホットミルク』のほうが苦手だったりする。あのポエムねえ、味があるんだけどねえ。いずれ迷曲で取り上げようかしら。
【今日の名歌詞】
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