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【論考メモ】音楽にとって光、色彩とは何か

音楽が太陽や月の光の下で奏でられ、その多彩な響きを聴取するという原始のスタイル。お互いの姿形や存在を視覚では認識できないわずかな光の下でも、奏でられる響きに耳を澄ましていると、自然と目が閉じ、どこかおちつく感覚になります。光がないと姿形はおろか、何も認識できないのでしょうか。

色彩とはすなわち光。作曲家のメシアンは、総譜を読む(書く)ときには、音楽に合わせて揺れているさまざな色が見えていたようです。また、自然現象(光や波)を音楽として表現したDebussyは次の言葉を残しています。

「音楽は色彩とリズムを持つ時間からできている」

音楽にとって光、色彩とは何かというテーゼ。

たとえば漢字の世界でも、「音」の入っている「暗」や「闇」がdarkness(まさに「暗闇」)を意味していることも興味深いです。「音」を分解すると「立+日」となり、これに「日」を加えると「暗」になります。また「闇」を分解すると「門+音」となります。

「音」が聴覚に依拠するゆえに視覚を遮る意味をもったのでしょうか。

HDDを整理していたら、大学に入学して最初に書いたレポート(テーマは「音とからだ」)が出てきました。ファイルの作成日は2000年8月。15年前の自分の思考ですが、根底的な興味はこの頃から湧いていたのだと気づきました。

人は海で生まれ、そして森に育てられたとわたしは考えている。森の中に一歩足を踏み入れた瞬間。そこには様々なものがひっきりなしに飛び交っていることに気がつく。無数の音と香り、そして色彩。すべてが自分を包み込む。そして、そこには必ず「音」がある。風の音を聞いた時、人は何かが運ばれてきたと連想する。それは木々の香りかもしれないし、花の甘い香りかもしれないが、風によって何かが運ばれてくる、という認識は多くの人々の間に共通しているのではないだろうか。では、どうやってわたし達は風を認識するのかといえば、それは「音」つまり「聴覚」である。しかし、わたし達は本当の風の「音」を知らない。しかし、わたし達は風を感じることができる。 そもそも風そのものに「音」はない。風は自らによって周囲のものを共鳴させているだけなのである。つまり、わたし達は風を「音」によって認識しているのである。

波などの自然現象には「1/fの揺らぎ」が生じているという実験結果がメディアで取り上げられて久しいですが、当時は科学的な説明を読んでも理解が追いつきませんでした。自分の認識では、あらゆる自然にはある法則をもった「揺らぎ」が存在していて、たとえば自然に流れる川の水の音には小刻みに揺れる「揺らぎ」がある。その「揺らぎ」の程度が周波数(f)にほぼ反比例するものを「1/f揺らぎ」と言い、この「1/f揺らぎ」には、人間の精神をリラックスさせる効果があるという程度。

でも理屈抜きでも、心臓の鼓動だって小川のせせらぎやさざ波、そよ風などと同じ自然界に存在する揺らぎであるわけだから、慌てた時に手を胸に当てると落ち着くのも頷けますね。

人は波の音に耳を傾け、心を落ち着ける。また海にロマンティックなイメージが定着しているのも、海を眺めるとなぜか懐かしさがこみ上がってくるのも、その美しい青が心を静めてくれるのも、もともと海と人はひとつだったからなのでしょうね。さらに言えば、人は古くから、からだに不調を感じると、知らず知らずのうちに海を目指し、体調を整えていたともいわれていますから。

興味は尽きません!





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