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【違和感の吐露】ありのままで救われたからありのままを求めてしまう。

注意書き。このノートの内容は直太朗さんべた褒めではないから、それを悪口と捉える方は読まないで。
私は森山直太朗さんだけではなくどの歌手に対してもある一定の距離を置いて批評的な目で見る。好きだからこそ尊重して1つ1つの作品に思ったことを述べている。

こんなこと言うの申し訳ないと思うよ。思うんだけど。

いつからだろう、ライブの最初から最後まで楽しめなくなったのは。

作品としては『絶対、大丈夫』のリリースか。何故なら率直にこの言葉が受け付けられない。あのね、絶対、大丈夫なことなんて無いから。少なくとも私がこれまで生きてきた上で「絶対」は悲しいほどに無かったよ。何度も何度も言われると苛立ちすら覚える。詩に拒否感。これけっこう大きい。直太朗さんの楽曲への絶対的信頼が揺らぐから。

疑問。私だけが冷めてる?楽しめてない?傍観者になってる?
こみあげる謎の罪悪感。私はいわゆる偉そうな古参ファンになってしまったのか。だとしたら古株になってごめん、すぐに過去を思い出してごめん。罪悪感とか嫌味のようだけど、本当にむわむわと湧きおこる。

トークが楽しめない。おふざけがよく分からない。

昔の、MCとも言えないノープランな、ただの「直太朗さんの話」がとても楽しかった。何も考えてない素のままの。台本のないようなライブ。

今思ったことをそのまま発する、という感じだった。だから、何も思い浮かばないときや思い当たる言葉を選んでいるときは「う~・・・・んと・・・」といった感じで直太朗さんが何を言いたいのかな、という待つ時間があった。それがとても楽しかった。

ファンと戯れる時間、歌う時間、メリハリがあった。直太朗さんがツアーで周る各地を撮影した写真を見るときなんかは、そういうコーナーとしてちゃんとしてた。

今回のツアーも長かったけれど、ずっと同じ話してて飽きない?単純な疑問。「妊婦さんが~」といった脈略のない、奇をてらう話の入りが直太朗さんたちには面白く感じるのかもしれないが、私はこういうのが始まると、「ああまたこれ一部始終付き合わないといけないんだ。」と傍観者になる。癒しを求めて来ているのにどうして時が過ぎるのを待たねばならないのか・・・もう早く歌に行ってくれ疲れる・・・。周りはたいていノッている方が多いので温度差をすごく感じる。
これで歌の質が変わったら本当に潮時かもしれない。

全部が全部区切りをちゃんとつけろと言うわけではない。今回のドラム・あさちゃんがすーーーっと演奏に入るのは良いなと思った。自然の流れにのっとっている気がして。こういう境目のなくし方には共感する。

理由もなく唐突な笑いを積極的に取りに行く高校生・大学生のようなノリに疲れてしまう。偶然を装っている体のバレバレなお笑いより、偶然生み出される直太朗さんの素の言葉で笑いたい。というか別にそこまで笑いを求めてない。

『今日の日はさようなら』をやってくれるのはそれはそれは嬉しいんだけれど、ふつうに歌ってくれるとありがたい。理由は、これは個人的な問題だけれど、私がK-POPアイドルのダンスに見慣れてしまっているから(笑)中途半端に動かれると歌に集中できなくなる。私とてプロの見る目があるわけでもないし、なにも直太朗さんに完璧なキレキレダンスを要求しているわけでもないが、仕方ない、もう自動的に観察する目つきになってしまうの(笑)そのせいでシンプルに歌に浸れなくなる。もったいない。

2018年9月27日のファンクラブツアー2018「ふれあいコンサート」が終わった次の日のぼやき↓

でもやっぱり思い直すんだよね。↓

今回の「人間の森」2018年10月27日リリアメインホールのあと↓

そう思ったのは、セットリストに『さなぎの時代』、『シルビア』、『今日の日はさようなら』が入っていたから。
2007年のツアーには、それはそれはとてつもなく思い入れがある。『シルビア』はね、泣いちゃう。あのときのモノクロのスクリーンに映った直太朗さんが今でも焼きついていて、すぐ思い浮かぶから。胸を打ったあの温度感とか、マルシアにしようと思ったけど『シルビア』にしたって度々言ってたあの頃とか。当時は私の生活も波打っていたので余計にセピア色の記憶になっているのだと思う。

ちょっと前のアンケートにも歌ってくれたら嬉しいランキングに書いておいたものだから余計に思いが届いたような気がして嬉しかった。ぼろぼろ泣いた。

一時、「昔の曲なんてもう忘れちゃったよ。」と言っていたこともあるから(古株はこんなことも覚えててごめん)、歌ってくれるだけで嬉しい。

またも懐古発言だけれども、以前どこかのFCツアーで、小さい箱にもかかわらず双眼鏡かオペラグラスで見ている人がいらしたみたいで、そのとき「目に映るものに大したものはないから。」と語りかけたことがあった。「そんな見なくても良くない?」のような直接的な言い方ではなかったから、上手いなあと思ったし、確かにそうだよなあとも納得した。

最近の直太朗さんを見るともうキャーキャー言われることが嬉しくなってきてるんじゃないかと思えるので、私の記憶の中の一場面でしかないこのシーンが本当に現実だったかと怪しい気もしてくる(笑)

照明、凝り出しちゃったね。これも私の個人的なことだけれども、目が光に弱いので強い光を出されるとサングラスで片頭痛を予防しなければいけなくなる。直太朗さんと中島みゆきさんのライブだけは唯一そんな心配いらないと安心して行けていたから・・・後半の照明は残念だった。
照明を業者さんに頼んで凝ってみたかったのは理解できたけれど、なぜ凝ったのかが分からない。必要だった?

おちゃらけないとやっていられない?

まあ、昔からそういう一面あるよね。そう直友さんとため息交じりに笑いながら話すこともあった。年々、なにかこう、ふざけないと場を切り抜けられなくなってきた?そう捉えていいのなら、30代のときのほうが飾らずとも観客の前に立てていたように思う。

直太朗さんはもう安心しきっているのでは?

私がこんなふうにだらけきって会場に行くように(笑)自分のやることだったらみんなついてきてくれる、ついてこられる人が会場にはいる、と思ってないだろうか。

「ありのまま」の私が助けられ、好きになったから私も直太朗さんにいつまでも「ありのまま」を求めてしまう。

ファンになった当初は、インタビュー記事やラジオなどこまめにチェックしていたが、だんだんどこで言っているのが本当のことなのか分からなくなってきて、一切チェックするのをやめてしまった。(一切、というのは私が単に極端なだけ。)

思えば、私が直太朗さんに求めているものって「ありのまま」なのかもしれない。最初に目に留まったときからそうだ。朝起きて寝ぼけながらテレビを観ていたらずぶ濡れになりながら懸命に歌っている人が映っていた。「生きとし生ける物へ」のMVだった。ファンになるのは2005年なのでもう少し後だが。
良いなと思ったのは恋愛ソングを大々的に歌っていない人だから。
恋をしよう恋しちゃったばかり溢れる世の中で、どうとでもなんにでも解釈できる歌を作ってくれる人に好感を持った。そしてなにより私は曲が自分に合うかが大事なので、どれを聴いても素敵だし、それをすべて直太朗さんが作っているという安心感。そして、まるで楽器がそのまま響いているかのような美しい稀有な歌声。

好きに解釈させてくれる。そして歌詞には答えが載っていない。10代の私はそれが苦しくて辛くてどうしようもなかったけれど、苦しみながらまた聴いて、癒してもらった。

「走り出せばいつも靴紐は解けるけれど 轍に浮かぶご先祖様の呆れ顔」
靴紐は解けるけれど、けれどのあとが知りたいのに!ご先祖様ってなによ!

「なんにもないからなんでもあんだ」
私今なんにもないんですけどそれってどういうことですか。

苦しみの中にいつもいてくれた。いつしか乗り越えられたこともあって、それは紛れもなく直太朗さんのおかげでもある。自分の中で「解けたあと」を描けたし、「なんにもないからなんでもあんだ」になれた。
恋愛ソングももちろんあるけれど、別に恋愛とは違う場面を思い描くこともできるのが直太朗さんの歌。・・・まあだから『恋しくて』はあまり好きじゃない(笑)

私が、最初にありのままを受け入れてもらったんだ。だから直太朗さんもそういう人でそれができてしまう人だと思った。きっとこの人は芸能人だけれどそうなりきれないところもある不器用な人で、きっとぽつりぽつりと自分の言葉を紡ぎ出してくれるはず。

2012年~2015年までは私の中でライブに行く余裕のないときだった。2015年にまた歌を聴きに行って、その間K-POPにハマって入隊や活動休止や脱退やら見てきたせいか、変わらず活動を続けていてくれたことが嬉しかった。
詰まるところ人間対人間だから、私も変わらないし変わったし、直太朗さんも変わらないし変わった。

どうなっていきたいのか。合わなくなったら来なくなればいいのか。

ライブって、誰でも来て良いところだよね。ふらっと立ち寄っても良い場所。って直太朗さんもよく言っているよね。今はテンプレ化してるかもしれないが(皮肉)

もう1個のファンクラブってなんなんだろう。特に入りたいと思わないのでリメイツしか入ってない。2つある意味が分からない。ライブの空気感に馴染めずにいると、もう一個のFCに入ってないと分からないことあるのかな?と邪推してしまう。

本来、インタビューや最新アルバム等々なにもチェックしなくても楽しめるのがライブであるはず。

直太朗さんは、これからどういう空間にしていきたいのだろう。
どんどん内輪ネタのようなムードになっていくのか。歌が合わなくなったら潮時かも、と書いたけれど、リリアだったか、音響が若干乱れていた気がする。こういうことがあるとさすがに考えてしまう。おふざけタイムを我慢して、ようやく歌が始まったのに雑音が聴こえると我慢要素が増える。
ちょっと前、高音でつかえるときがあったように思えるので大丈夫なのか心配してたんだけれど、今回はそこまで無理はなかったように聴こえた。声に関しては、良子さんという強者が間近にいらっしゃるので直太朗さんもどうにかクオリティ維持し続けるんではと勝手に思ってしまっている。商品みたいだからあまり「クオリティ」とか書きたくないけれど、あえて。
歌声が好き。もうせめてこれ以上は内輪ネタのようなお笑いに比重を置いてほしくない。

直太朗さんで出来ている。

私は10代の頃から直太朗さんにどっぷり浸っている。歌もだし、ブログや会報誌を始めとする文章もだし、インタビュー、ライブでの話し方、考え方、全部影響を受けている。「ごめんだけど」ってよく実際言っちゃうし、「詰まるところ」とかもう全部、全部だよ。それは歌以外でも直太朗さんに共感したから自分の要素の一つ一つになったってことなんだよね。
だから嫌いにはなりたくない。でも合わなくなってきたと認めざるをえない。というか、私みたいなファンはもういらないのだろうか。
直ちゃん直ちゃん♡きゃーきゃー直ちゃん♡直ちゃんすごい!良かった!
とは、私は言ってあげられない。アイドルじゃないし。
どうしたらいい?

過去に行った直太朗さんのライブ一覧↓


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