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「山直太朗」になれない森山直太朗への告白。「人間の森をぬけて」公開記念・初日舞台挨拶&全国トークイベント付き上映会

共作者・御徒町凧に「人間の森とは?」とひたすらに詰められる森山直太朗。横でギターを抱えたまま体操するほかない西海孝の表情がライブツアー「人間の森」の過酷さを物語る(敬称略)。
12月15日(日)ライブツアー舞台裏ドキュメンタリー映画「人間の森をぬけて」、映画越しでも歌で涙ぼろぼろ出た。感想は目次「途中経過をありのまま伝えるのってかっこいい。」まで。あとはもはやただの長い長いプロポーズ。

直太朗さんが大事にしたいもの、御徒町さんが目指したいもの、どちらも分かったような分からないような。

作るってなんだろうね。

おかちゃんは、完成された作品を提供したい思いが強い?
なおたろさんは、その場その場で嘘のないものを作り上げて終わったときに見えたそのままの景色を完成としたい?
笑いは用意してたら作り笑いじゃないの?お膳立てされた美しさは作り物?「嘘」と「作品」は果たして紙一重か。
おかちゃんのやりたいことを理解しようと努めるうち、消費とは違うような・・・という疑問が頭をよぎった。コンサートホールでのライブは安心安全に楽しめる。美味しいものをもぐもぐできれば楽しい。それが良い。おかちゃんが目指すものは消費とは違うのでは?でも違うなら違うで完成とは何かってとこに矛盾ある気がする。おかちゃん全然違ったらごめんなさい。

どっちも間違ってない。何を良しとするかは人それぞれ。

「良いもの作ろうぜ!」の「良いもの」の概念が互いに食い違っていながらの長いツアー。

しんどかっただろうなあ。消耗しただろうなあ。改めてお疲れ様でした。
おかちゃんが悪者に描かれるギリギリのラインに見えて、私だったら嫌だなーと思った(笑)なおたろさんもよくあんなピリピリショボンな空気を大スクリーンに映そうと思ったなあ(笑)どMだもんね!(笑)どっちも真剣にいいものを届けたい。根っこは一緒。「あいつの言いたいことも分かる」とたぶん分かったふりじゃなく言っていたなおたろさん。だから大学からずっと友達続いてるんだなあ。表現者としてのプロ意識と向上心がお二人ともエベレスト級なのでは。今までのライブで、あれはこーだあそこはあーだってあっても、大きくぶれてはいないからずっと好きでいられたわけだなあとしみじみ。私はただ好きだし、ただ好きでいさせてくれるだけの直太朗さんたちの力量はきっと想像以上。

「あなたは森山直太朗ですか?」イエスでよかった。

映画冒頭から序盤は、なんとなく水曜どうでしょうっぽさを感じた。
かぎりなく素に近いなおたろにまつわるエトセトラから面白さを見出しちゃう感じ?その流れで「あなたは森山直太朗ですか?」という質問。これの意図がつかめなかった。笑うやつ?どっち?今思うとこれ、イエスでよかった。考えてみたらもう長いこと本名のその名前を背負って生きていらっしゃるわけで。「もうやだ、もう森から逃げる俺!」とは思わないで「森山直太朗」であり続ける。たぶん、森がゲシュタルト崩壊しても「山直太朗」にはならない、なれない?

本名でやってるんだーと思ったのが好きになった理由のひとつ。

私は性格上、吟味してからでないとどんな些細なものも買えない。直太朗さんにハマる際も、そのとき他に好きになりかけの歌手2名と生意気なことに比較をして、じっくり考えて誰にしようか選んだ。自然と競合他社と検討してしまうのだ。選択に後悔がないようにと、しんどい買い物をしてしまう。
森山直太朗って、本名なんだ。シンガーソングライターってことはシンガーでソングライターなんだ。楽曲提供じゃないっぽい。御徒町さんと共作って書いてあるけど2人で一つみたいなもんらしい。
気持ちはもうとっくに好きになっていたのにこの儀式を経てようやく、君に決めた・・・!と近くの本屋さんでCDとDVDをインディーズから当時の最新作「小さな恋の夕間暮れ」、「傑作撰」まで購入。私は曲の良さから入るタイプ。All music written by 森山直太朗最強かよ。

少なくともこの当時「共作ってどこからどこまでがどうなってるの?」と思う人がいたのは確か。

最初に、ん?と気になった共作スタイル。
私が2006年頃やってた、アクセス数月にわずか10ぐらいのブログに、わざわざ「直太朗は御徒町ありきじゃん」という趣旨のコメントを残していった通りすがりさんがいた。この人どれだけ鬱憤溜まってたんだろうか。「直太朗一人でやってないのにそんなやつのこと好きなの?」と言いたかったのか。「誰が作っているか」への関心から否定的になる人がやはりいるのだと知った。自分は誰が作った歌詞に救われたのか。結局、この人が作ったものを信じてさえいればいい、と安堵して落ち着きたいのだ。誰しもてっとり早く救われたい。信じて裏切られるのが嫌だから吟味した私もそう。月1で直太朗ライブに行くほどののめり込み様に「森山直太朗崇拝してんのか?」と、からかわれたことがある。「神様だとは思わない。同じ時代を生きているのが嬉しい。」と今なら答えられる。最近とある集まりで「ブランドとは、約束と生き様だ。」との言葉を聞いて大いに共感した。シャネルでも任天堂でも、その会社のものなら安心だから買う。どういうものかが分かっていてずっとそうあり続けているのを知っているから。かっこいい生き方だと思うから。

安心した。

おかちゃんとなおたろさんが仲違いして友人ですらなくなったらさすがに心が痛い。でもそうじゃない。おかちゃんの活動が表立っているなと思っていたし、ライブ会場で詩集販売ブースができていたこと、ツイートの空気感で、なにか変わってきつつある?と感じていた。

「御徒町ありきじゃん」を一度取っ払ってみる勇気。

「そういうもの」として来たけど、その前提ってそもそも違うよね?って見つめ直す。疑って精査することは悪いことじゃないのに、まるでそれまでの自分を否定するように捉えてしまう人は多い。よりよくするためにどうしたらいいかを考えてるだけだと思う。そのことを「まだ決めたばかりで今後どう転ぶかもわからないけど」と、なおたろさん自身が上映後トークで口にして伝えてくれる誠実さ。何の問題もないと思いました。

途中経過をありのまま伝えるのってかっこいい。

かっこ悪いからもうちょっと形になってから見せたい、もうちょっと、いやあとちょっと・・・と、途中経過はなかなか見せたくないもの。見せずにいるとどんどん言えなくなり、言うタイミングを完全に失ってから「もっと早く言ってほしかった」と反応が出てしまった頃にはもう手遅れの場合がほとんど。なかなか払拭できない。不信感はそういうとこからじわじわ積もっていく。そう考えるとあんなおちゃらけていても、なおたろさんもおかちゃんも、ファンのこと考えてくれてるんだなあ(涙)
ずっと一緒にやってきた一つの枝としての活動がひと区切りついて、二つに枝分かれしたんだね。また新たな枝ができるとき、もう一度合流するかもしれないし、しないかもしれないし。

私はおかちゃんって実はよく知らなくて、朗読会とかおかちゃん系イベントは行ったことがない。嫌いではありません。嫌いなわけがないんだけど、興味があまりないのかも。大変お世話になっているので感謝の気持ち。数々の語彙と言い回しを教えていただいた。

長い長いプロポーズ

無意識にいつも直太朗さんのほうを見てしまう。
なんだかんだ言いつつ今回の映画も観ようと思ったのは、なにか真面目に言いたいことがあるんだろうなあと思ったから。「近所のあの兄ちゃん、なんかあったんだって。ちょっと聞いてやってよ。あんたもよくお世話になってるんだから。」と言われた気がして(誰に)。

13年前の直太朗さんのブログ記事の文章を覚えていた自分に引いた。

この前、くだらないながらにびっくりしたことがあった↓

Twitterでジェジュンが歌った「オーマイリルガーよかった」というツイートをたまたま目にした瞬間、オーマイリルガだと・・・?それってもしや「オーマイガッオーマイリルガ」?
え、『OH MY LITTLE GIRL』??!!!!!
元の文↓まさか曲名だと思わなくてなんのノリなのかなんのことだかずっっっと分からずモヤモヤしていた13年間。

今夜はあろうことか母親と帰りの新幹線が同じだった!名古屋でライブがあるのは知ってたけど、まさか同じ新幹線の同じ車両だなんてオーマイガッ!オーマイリルガッ!

これ覚えてる自分に引いた。あのね!!「だっだーんぼよよんぼよよん」もかなりの衝撃だったけど突然出されると分かんない!(笑)たいてい母に聞けば分かるが、これは迷宮入りしてた。2006年3月22日のブログだよ。

もうこれほどに深く深く私の中に染みわたっている。

ノリよくテンポよくふざけつつも真面目な人柄が垣間見えて考え方も伝わる文章が好き。考え方も。自分の考えをまとめようとしながらも、その発する言葉で傷つく人がいないようにと気を配るがゆえに、まどろっこしくなる話し方も。

素直さに救われた。

人生初、直太朗初のライブが横浜赤レンガ倉庫。初めてなのに握手があって動揺。なおたろさんもまだ接触系に慣れていなかったのか、一人一人長かった。おかげで翌日からハイタッチに変更(笑)芸能人に会いに行くこと自体が初めてなのに握手なんてどうしたらいいか分からなかったから、こわばった真顔で何も声をかけられず終わった。なおたろさんも真顔で無言だった。それが怖かった。何年も怖かったって感想を認められずにいたほど怖かった。すっごく見られた。私は自分の顔が好きじゃないからそんなに見られると思わなくて視線をまともに食らって、あれはどういう意味だったんだろうと深く考えないようにするほど考えちゃって。ショックではあったのに嫌な思い出にならなかったのは、私がこの14年の中で越えられたからで、いくつもの越えられた理由のうちのひとつに、そのときの真っ直ぐな視線があるから。ありのままでいくしかないという諦めのおかげで今すごく楽。それにガン見されたかいあってか、たぶん覚えてくれたっぽい。今は真顔でハイタッチはないよね(笑)覚えてもらってる人、他にもいるんだろうなあ。ちゃんと顔を見てくれてるってすごい(笑)

直太朗さん。おかちゃん。ありがとう。

当たり前のように衰えない艶やかな声には敬服します。ボイトレ風景を1年に5秒だけでも良いから見たい。ジャンボリーでやってるのかな?
近くにいる人のクセって嫌でも似るものだから、直太朗さんと御徒町さんも互いの影響は大きいはず。

直太朗さん。御徒町さん。多感な時代の私を支え、今を形成してくれてありがとうございます。

今不安じゃないのは、笑ってるか心配だった時代を乗り越えたから。

諸君!?や、寒かった日光東照宮でのライブ、2008年ぐらい。魂がどこかに行っちゃっているみたいで笑ってなかった。何事だろうと、一時期ライブでもテレビ出演でも必ず顔を見て笑って歌っているか心配して観ていた。笑って歌っている時は歌詞飛びはなく、真顔の時は歌詞飛んでる率が高かったから指標にしていた。スコーンとワンフレーズどっか行っちゃうほどの歌詞飛びと暗い感じ。その時期ちょうどなおたろ活動に注力していたから何度もそういうの見ちゃって行くたび不安だった。それからいつの間にか11年。今は笑って歌っている。楽曲制作を「糞尿」と表現することに胸をなでおろすなんてね。嫌でも出るってことでしょ。糞尿バンザイ。

消去法で歌手って表現、笑いながらよく聞いていたが、私も歌手じゃないがそういう感じになりつつある(笑)消去法で見つける生き方。私はなおたろさんのように飛び抜けた才能はないので、なおたろさんみたいな愛すべき才能を支える人になりたいなあ。はやく出世して燃えないキャンピングカーを買わなきゃ。切っても切り離せないぐらい影響を受けてきた。これからどうしようか思い悩む姿まで見せてくれる人と、これからも共に羽ばたこう。

余談。ダンス良かったんですけど。

森の箱みたいな中で身体を動かすシーン。よかったんですけど。え?なにあれ?衝撃で固まっちゃった。ダンス単体で見たらコンテンポラリーダンスに見えた。ステージ映像との比較があっても、映画用になんか創作して踊ってるのかと。それぐらいステージで見たのと全然違った。あれがいいです。歌と踊りは分けてほしい。直太朗さんのダンスがこんなに良いもんだと思わなかった。普段いろんな人のパフォーマンス見てるからか目が肥えてきちゃって、中途半端にダンスされるのが歌に集中できなくてきつかった。なんでだろう、昭和のアイドルが踊らされてる感じになるのは。同じく歌って踊ってた「森の人」とは根本的に違う。振り付けって難しいな!
この先ミッチーや氷川きよし路線に突き進む予定はあるのだろうか?どういうわけか私は顔も好きなのに「直ちゃーん♡」って方向にいかなかった。ひねくれてるんだよ。だからこれ以上そうされると居心地悪い(笑)ノリ悪い人になるじゃん(笑)(ミッチー好きだよ。いずれ一度コンサート行ってみたい。氷川きよしも最近気になる。)


うちのやわらかいモノくんもよかったら見てってね。


私は私でライブ中、くすぶっていた。↓
注意書きで始めちゃうぐらいおっかなびっくり書き残している(笑)

私にとって地雷の顔。いろいろ越えて今は楽ってことを前に書いたやつ↓


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