【考察】スズム事件(まふまふが受けた被害とは何か)
はじめに
スズム事件については歌い手界隈やボカロ界隈を昔から知る人達には広く知られている。
とりわけまふまふがスズムから被害を受けたといわれていることについては、まふまふの高い知名度と人気もあってかよく知られている。
本ノートでは一連のスズム事件の中でも、特に取沙汰されることが多いまふまふが受けたとされる被害についてフォーカスを当てていきたい。
ネット上に流布しているスズム事件の情報については、まふまふの件に限定してもこれまで正確に情報が整理されたものはほとんどなく、まふまふ・スズム双方のリスナーやアンチ等によって曲解され、根拠のない妄想や憶測を含んだ考察とは程遠いものや独り歩きしている話も多い。
私は当事者でもなければ関係者でもないため事件の全貌や被害の真相は分からないものの、現在出ている情報を整理した上でバイアスを極力排した考察を提示することは有意義なものであろうと考え、このノートを執筆することとした。
スズムについて
まずスズムを知らない人のために、その概要を踏まえておきたい。
スズムは2010年からニコニコ動画に投稿を始め、2012年から2015年にかけてボカロ曲を投稿していたボカロPである。
スズムが手掛けたと”される”ボカロ曲としては「世界寿命と最後の一日」や「過食性:アイドル症候群」が代表曲として広くよく知られている。前者は2024年1月27日現在でニコニコ動画でトリプルミリオンを、後者はダブルミリオンをそれぞれ記録している。
サークル活動としては2011年にスズムは歌い手のそらる、ろん、絵師のMACCO、さいねと「あすかそろまにゃーず」を結成し、2012年には「六兆年と一夜物語」「インビジブル」「地球最後の告白を」といったボカロ曲でミリオンを頻発していた当時のカリスマ的ボカロP・kemuを中心とした「KEMU VOXX」のメンバーとして活動していたこともよく知られている。またTVアニメダンガンロンパのエンディングテーマ「絶望性:ヒーロー治療薬」を手掛けたとされ、ボカロPの150Pが企画した終焉ノ栞プロジェクトに参画し、当時の歌い手シーンを牽引したりぶ、__(アンダーバー)、Geroを始め多くの歌い手に楽曲提供を行った。
このようにスズムは作詞、作曲、アレンジ、ミックス、マスタリングといった様々なジャンルを手掛けるマルチアーティストであり、2012年から2015年にかけてのボカロシーンを牽引した一人であったと言えよう。
しかしながら、2015年10月10日に突然自身のブログで活動終了を報告した。
引退に至った主要な理由については次のように説明している。
こうしてスズムは自身が作詞、作曲、アレンジ、演奏を行っていない楽曲や自身が行った内容の詳細を明かすことなく、ボカロシーンを去った。正確には去らざるを得なかったといったところだろうか。
スズムと交流のあった活動者達はあるいはエールを送り、あるいは静かに別れを告げ、あるいは沈黙して各々が様々な思いを胸にその引退を見届けた。
しかしながら、スズムによって被害を受けたと暴露する歌い手やボカロP、関係者等が多数現れ混沌とした状況となった。
あくまでまふまふにフォーカスを当てた記事であるため、ここではその詳細については省略することとする。詳しく知りたい方はニコニコ大百科の「佐村河内スズム」の記事を参照していただきたい。
まふまふとスズムの関係について
歌い手のまふまふについて今更説明は不要かもしれないが、軽く触れておくこととする。
2010年にニコニコ動画に歌ってみた動画を投稿してから今日に至るまで歌い手として活動し、シンガーソングライター、作詞作編曲やミックスエンジニアリングまで多岐に手掛けるマルチクリエイターとしても活躍し、10代~20代から高い人気を誇り、現時点でXのフォロワーは217万人を超え、YouTubeの登録者数は355万人、動画の総再生数は20億を超えている。
歌い手のそらるとのユニット「After the Rain」としても活躍する他、歌い手のライブイベントであるひきフェスの主催、Vtuber事務所・ネオポルテの運営、エージェント型クリエイター支援企業である株式会社 Guildの役員を務める等、実業家としても活躍する自称「何でも屋」である。
2020年にコロナの流行によって予定されていた自身の東京ドーム公演が中止となった中、翌年の2021年に史上初の東京ドーム無観客無料配信ライブを行い全世界で同接約40万人を記録、同年の紅白歌合戦には”歌い手”として出場し「命に嫌われている」を歌い、後日NHKがYouTubeに投稿したハイライト動画は数日で400万再生、高評価数14万を超えたこと等は記憶にあたらしい。
そのようなまふまふがスズムと交流していることが確認出来るのは、X上では2011年11月7日が最初だ。当時まふまふ20歳、スズム19歳である。
しかしながら、これが最初の交流というわけではなく、スズムへのリプから2011年11月以前から交流があったことが窺える。
当時まだ駆け出し同然だったまふまふにとって、スズムはどのような存在であったかが窺えるツイートが残されている。
スズムは当時からアレンジャーとしても活動しており、その技術力をリスペクトしていたことが分かる。
X上では2人が友人のボカロP、歌い手、音楽仲間と共に交友を深めていたことが確認できる。
まふまふとスズムのX上の交流は2011年から2013年10月まで毎月リプライをしていることが確認出来ていたが、10月を最後に翌年の2014年3月まで突如やり取りが途絶えている。
以降2015年7月までのやり取りが確認出来るが、リプライが突如途絶える以前と以後とではX上の交流が少なくなっていることが窺える。
そして2015年10月10日、スズム引退に際してまふまふは次のような意味深なツイートをX上に投稿している。
その後、まふまふは2015年10月18日にスズムに関するリプで言及した後、二度とX上でスズムに関して言及することはなかった。
何故まふまふがスズムから被害を受けたと言われているのか
スズムとまふまふ、そして両者の関係について軽く紹介してきた。
それでは、本題である何故まふまふがスズムから被害を受けたと言われているのかについて本格的にみていきたい。
事件の真相に肉薄するにあたっては、まずは当事者であったまふまふやそらるの一連の発言を踏まえる必要がある。
長文の引用が続くが、御容赦いただきたい。
◆2015年12月10日 まふまふのニコ生にて(まふまふ発言)
◆2016年1月8日 まふまふのアメブロ(「晴れときどきまふまふ」)
◆2016年10月17日 まふまふのツイキャスにて(まふまふ発言)
◆2017年2月6日 まふまふのツイキャスにて(まふまふ・そらる発言)
以上が、まふまふ・そらるがスズムや自身の被害について言及している主要なものの全てである。
まず、まふまふがアメブロで詳細に記述している内容だが、「僕と一部の人間がとある人物に騙され仲違いをさせられるように仕向けられていた」というこの「とある人物」はスズムのことを指すのではないかと投稿当時から考えられている。
先述したように、まふまふとスズムは2013年の10月を最後に翌年の2014年3月まで突如やり取りが途絶え、その後もX上での交流はそれ以前と比べて少なくなっていることもあり、まふまふが「詳しく調べると僕と一部の人間がとある人物に騙され仲違いをさせられるように仕向けられていた」ことに気づいたのがこの間のことで、それによって交流が減っていたのではないかというのである。
まふまふやそらるといった当事者や関係者が公の場で「とある人物」はスズムであると明言したことはなく、スズムであることを裏付ける明確な根拠はないものの、そらる・まふまふの配信等での言動や時期から見てスズムであろうというのは暗黙の了解となっている節がある。
それでは、まふまふが2017年2月6日のツイキャスで「曲返して曲」と発言したことはどうであろうか。
スズムは自身の楽曲について、「作詞、作曲、アレンジ、演奏の中で自分が行っていないものを自分が行ったように伝えていたことがあり、それが自分の利益となっていたこと」を認めている。
これは裏を返せば、スズム自身が作詞・作曲・アレンジ・演奏を行っていないスズム名義の楽曲があるということに他ならない。
そうした経緯を経て、スズムの話をしている最中にまふまふの「曲返して曲」という発言があった。
その発言以前にもまふまふはスズムということは明言していなかったものの、自分が作った曲が自分という名前が伏せられた状態で勝手に上げられていたという話をしていたこともあって、従来よりネット上ではまふまふはスズムに楽曲を盗作されたと言われてきたのである。
その楽曲が何なのかについては、まふまふが「夢花火」を投稿(2013年8月1日)した直後から「すーぱーぬこわーるど」を投稿(2013年12月20日)するまでの間が一番辛かったと発言していることを踏まえ、この間にスズムが投稿した楽曲は「世界寿命と最後の一日」(2013年9月5日)と「嘘つきピーターパン」(2013年10月18日)の2つしかないことから、このいずれかがまふまふが被害を訴えている楽曲ではないかと考えられてきた。
ネット上ではまふまふが被害に遭った楽曲は世界寿命であると見る向きがおおむね強いようだが、嘘つきピーターパンの投稿日がまふまふの誕生日であり、説明文にも「今日は主役の居ない誕生日の話をしよう」とあることや、その他の独自の根拠に基づいて嘘つきピーターパンがそうだと主張する者も存在する。
しかしながら、嘘つきピーターパンがそうであると考える人は、まふまふが自身が被害に遭った楽曲について「ミリオン近くのボカロ曲」と発言していることを根本的に見落としている。
嘘つきピーターパンは2024年1月27日現在で22.1万再生であり、まふまふの発言に合致しないため、まふまふが被害を受けたとされる楽曲の候補とはなり得ない。
2024年1月27日現在でミリオン近くの楽曲としては「赤心性:カマトト荒療治」(92万再生)があるが、同楽曲は2016年にハーフミリオンを達成していて2019年時点で70万再生であるから、この楽曲も候補から外れることとなる。
他にミリオン近いと言える楽曲はないため、候補となるのは2024年以前にミリオンを達成した楽曲ということになろう。
2024年1月27日現在、スズム楽曲でミリオンを達成しているのは「世界寿命と最後の一日」、「過食性:アイドル症候群」、「アンデッドエネミー」の3曲である。
「アンデッドエネミー」についてはギガPとの共作であり、ミリオンを達成しているのも2018年12月23日であるため、候補からは外れる。
まふまふが「ミリオン近くのボカロ曲」と発言している2016年10月17日以前にミリオンを達成しているのは、世界寿命(2015年8月18日)と過食性(2016年2月13日)のみである。
ただし、過食性はまふまふが一番辛かったという時期とは合致しない。
したがってまふまふが被害に遭った楽曲というのは世界寿命である可能性が高い、と考えるのが妥当であろう。
その場合、まふまふが2016年10月時点で世界寿命をミリオン近くのボカロ曲と言っていることになるが、このことについてはまふまふが最後にニコニコ動画で再生数を確認した時にはミリオン近くであったと考えれば整合性は取れる。まふまふが世界寿命の再生数を最後に確認したのは、ミリオンを達成する2015年8月以前のことだったのだろう。
それでは「世界寿命と最後の一日」はスズムではなく、まふまふの作詞作編曲による完全オリジナル楽曲だったのであろうか。
ネット上ではそのように考える人をまふまふのリスナーを中心に一定数見かけるが、私は現実的ではないように思えてならず、その確信も持てない。
まふまふの発言からして世界寿命の作曲者がまふまふであることは間違いないと思われるが、個人的には世界寿命は作曲者まふまふとスズムの共作だった可能性が高いのではないかと考えている。
そのように考える理由としては、まふまふが「自分が作った曲が自分という名前が伏せられた状態で投稿されている」と発言していることである。
もし完全にまふまふオリジナル楽曲であったとすれば、「名前が伏せられた」と表現するとは考えにくく、伏せられたという表現からは伏せられていないものがあるような印象を受ける。
また、まふまふは「クレジットが変わってた」とも発言している。
先述した発言と併せて考えると、これは本来は自分が担当していた部分であるのに自分の名義が他人の名義に書き換えられている、ということだろう。
すなわち、まふまふは世界寿命でスズムと共同で制作に当たった部分では自身の名義が伏せられ、自身が担当した部分(作曲か)については名義が変えられた、ということを主張しているのではないかと思われる。
さらに、まふまふとそらるは自分たち以外にも自分達以上に苦しんでいた人達が存在していたことを明かしている。
この被害者達というのも、元々はスズムとの共作であったにも関わらず名義を変えられていた可能性が充分に考えられるように思われる。
それでは何故スズムは名義を伏せる、あるいは名義を変えることが出来たのであろうか。
まふまふとそらるはスズムをそそのかして利用し、その行いを黙認していた大人がいたことを明かしている。
想像にはなるものの、大人達もスズムをマルチクリエイターとして売り出すために、スズムを良いように利用していた部分があったのだと思われる。
またスズム自身が「作詞、作曲、アレンジ、演奏の中で自分が行っていないものを自分が行ったように伝えていた」と語っているように、権利の登録はそうした大人達が行っていたのであろう。
スズムはまふまふやそらるよりもそうした大人達と近い関係にあったものと思われ、それによって本来まふまふが受け取るべき利益がスズムの利益になっていたというのが実際のところではないだろうか。
発言から考えると、まふまふは世界寿命が投稿されたタイミングか、あるいはその2日前のそらる歌唱verを収録した「絶望性:ヒーロー治療薬/スズム feat.そらる」のクロスフェードが投稿されたタイミング(2013年9月3日、9月4日発売)のいずれかで、MV上にまふまふの名義がないことから異変に気付いたのだろう。
まふまふは「絶望性:ヒーロー治療薬」のレコーディングにスズムやそらると共に参加しているが、その時点ではこの異変に気づいていないし、そらるも「知ったのはしばらく先だけど」とコメントしていることからして、クレジットの変更はレコーディング後にまふまふやそらるが預かり知らぬところで行なわれたと見るのが妥当であろう。
結果的にまふまふが世界寿命の権利を回復することはなかった。これは他にスズムから被害を受けた人達も同様とみられる。
その理由については定かではないが、その当時では権利を回復することは難しかったか、あるいはスズム引退と共に目を瞑った、あるいは瞑らざるを得なかったというのが真相に近いように思われる。
また、当時スズムと交流のあった人気ボカロPのNeruは、スズム引退の数カ月前にスズムのことを匂わせるようなツイートを行なっている。
Neruは2023年6月8日に自身のツイキャスにおいて視聴者から問われてスズムについて言及しているが、スズム事件の詳細については当事者ではないから言えない、墓場まで持っていく話としながらも、活動している人には教訓として伝えなければならないとして交友のあるボカロPでシンガーソングライターのsyudouにはこの話を伝えたことを明かしている。
また、不利益を被る人がいる、何も悪くないのに責任を取らなきゃいけなくなる人がいる、不幸になる人がいるから詳細については言えないという趣旨のことを語り、1人だけの責任ではないのかという内容のコメントに対してはそれも言えないと語っていた。
スズム事件について当事者達やその関係者達がほとんどその詳細を語らない事情の一端がNeruの発言からもうかがえるのではないだろうか。
終わりに
スズム事件についての情報の整理並びに考察は以上の通りである。
なお、これは一連のスズム事件のほんの一端に過ぎないということだけは読者の方々に強調しておきたい。
スズムは引退後、別名義で音楽活動を行っている。
近年には若い頃には順風満帆とは言えなかったこと、高く評価を受けたこともあったが気が付けば当時の権利がほとんど残っていないこと、要因は自分にあってもきれいに大人に騙されてきた人生であったこと等を語っている。
まふまふやそらるが語っていたように、スズムが大人達に利用され、そそのかされていた部分があったことは事実だろう。
その意味ではスズムも当時の大人達の被害者という側面があることは間違いないが、スズムがやったこととして明るみになっているものや、本人が認めていることだけを見ても、彼のやったことが到底許されるべきものではないこともまた事実である。
スズムのファンの中には彼に帰ってきてほしいと望む声が今でもあり、ファンとしてそのように思う気持ちは自然なものであるとは思うが、しかしながら、今後も復帰することなく、ボカロシーンや歌い手シーンに関わらないことが彼が出来るせめてもの贖罪なのではないだろうか。
さて、まふまふは2013年の8月から12月にかけて、鬱病に追い込まれるほどの肉体的、精神的、社会的な苦痛に苛まれることとなった。
まふまふは配信において過去に鬱病だけでなく、パニック障害や人格障害を発症していたことを明かしている。その時期については明言していないが、鬱病を発症していた時期と重なるのではないかと思われる。
そうした辛い時期について、まふまふはそらる、うらたぬき、天月、luzを始めとした歌い手の仲間達に助けられながら、ひたすら活動に熱中し、肉体を消耗して寝落ちする生活を繰り返すことによって乗り越えたと語っている。
スズム事件に限らず当時の歌い手やボカロP等といった活動者達は大人達によって騙されたり、利用されたりして被害を受けた人は少なくなかった。
まふまふは芸能事務所等に所属せずに活動し続けることにこだわり、権利の大切さを訴え、悪い大人に騙されてしまった歌い手や活動者を助ける活動を行っているが、これは自身の経験や見聞を活かしてのことだろう。
まふまふのスズムへの心境はツイキャスでの発言を見ても分かるように、複雑なものがあることは間違いない。スズムを許すことが出来ない気持ちや心の蟠りがあることは事実だろう。しかし、それはスズムがやった行いを考えれば当然のことだ。
楽曲名は伏せるものの、まふまふ楽曲の中にはスズムのことを歌ったと思われるものが何曲かあるし、そうした気持ちを楽曲にすることで消化している部分があることは間違いない。
しかしながら、友として同じ音楽仲間として過ごした時間をまふまふが忘却しているわけではないこともまた事実である。
よく知られている話であるが、まふまふの公式ラインに「スズム」と送ると「またいつか遊びたいなあ」という虚しい返信が返ってくるのはその証左に他ならないのではないだろうか。
現在、2024年1月27日の20時である。
いま話題となっている昨日のまふまふの声明文を読む限り、スズム事件に勝るとも劣らない艱難辛苦を再び味わうこととなってしまっていたようである。まふまふが受けた心労、精神的苦痛は察するに余りあるものがある。
そして何より精神をボロボロにされ、憔悴していたまふまふの目を覚まさせ、再び救い出したのが相方のそらるであったという。スズム事件と今日までの二人の歩みを顧みた時、その事実は実に感慨深いものがある。
スズム事件を乗り越えてそらるとAfter the Rainを結成し、様々な楽曲を世の中へ送りだし、ソロでもユニットでも華々しい活躍を続け、歌い手として初の紅白出場を為し遂げ、歌い手を代表する存在へと成長したまふまふである。
再び艱難辛苦を乗り越えて、失ったものを数えることなく、吹っ切れた強気なまふまふがこれまで以上の活躍を遂げていく姿を期待したい。
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