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魔法の言葉

“忙しい“って、魔法の言葉だと思うんです。
忙しいと伝えれば、大抵の人は引き下がるし、ある程度許容されるから。
人々はそれを理解した上で、都合良く“忙しい“と口にしているのでしょう。

でも私思うんです。
本当に忙しい人は、“忙しい“と口にしないと。
本当に忙しい人にとっては、忙しいことが通常運転だから、忙しいと感じない。
何より、どんなに忙しかったとしても、大切な人の為なら何としてでも時間を確保すると。
どんなに忙しい方でも、起床して、食事を摂り、入浴をし、眠りにつきます。
要は、そのための時間は割いているということです。
つまり、“忙しい“は言い訳に過ぎない
だから、ある意味自己防衛なのかもしれません。
“これ以上、パーソナルスペースに入ってこないでね“ “もう諦めてね“ という。

私はこの事実に気づいてから、“忙しい“と言われたら、その関係は終わりに向かっていると捉え、離れる準備をするようになりました。
元々私は“忙しい“と口にしない人間なので、“忙しい“と言われることに疑問を抱くと同時に、“あ、自分ってその程度の存在なんだ“と、悲しい気持ちに襲われるようになりました。

某プロ野球選手の結婚により、“忙しい“というワードについての論争が繰り広げられ、そこでこの事実に気づかれた方も多いかと存じます。特に女性陣。
目を背けていた悲しい現実が、また1つ可視化されてしまいました。
受け入れ難い現実は、いつも自分の心を掻き乱す。
強く生きねばと、思わされるばかりです。

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