清水次郎長の墓

ついに行ってきた!

海道一の大親分清水次郎長の生まれ故郷、静岡市清水区美濃和!
毎週ヤ○ザの墓参りに行く人みたいになってるけど、まあいいよね。

東海道をわらじ履き、てくてく歩く心持ちで東名高速をとばし、向かった先は次郎長のお墓がある幽香山梅蔭禅寺。

敷地内は次郎長はじめ乾分の墓、妻お蝶をまつった弁天様、次郎長一家ゆかりの品々をおさめた遺物館まで、まさに次郎長一色。

売り出すきっかけとなった津向文吉と和田島多右衛門の喧嘩の仲裁から、実業に転ずる直前、数々の口演でひろく知られる荒神山の戦いまで、イラストと遺品でわかりやすく解説されている。

墓所には、増川仙右衛門、大政小政、森の石松の墓石があり、お蝶は初代から三代目まで、、
次郎長は生涯に三人の妻をめとり、そのいずれもが最初の妻と同じお蝶であったとか。んなわけない、改名させたんですね。まあ、江戸時代の話だから、、
小政は30代、石松にいたっては28歳で横死。それに比して次郎長は74の大往生。
片隅にはディックミネの名唱でしられる旅姿三人男の歌碑が。

もちろん受付にはTシャツやお守り、静岡茶までグッズも充実。

二代目広沢虎造が流れる売店のオバチャンの熱っぽい語り口から、明治以降港を整備し、富士のふもとを開墾し、清水の産業の基礎を作ったともいえる次郎長が地元でいかに愛されているかが窺いしれる。
ひとしきり話をした跡、オバちゃんのすすめによって生家をたずねる前にさらにディープな情報を求め、次郎長が経営していた船宿、末広まで足を伸ばしてみることに。
いかなことになりますやら

ちょうど時間となりました〜
ちょとひと息、また口演〜~


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