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アートセラピーの世界を覗いてみて一年

先週末、アートセラピーの一年のコースが終了しました。
 
「アート」や「子ども」というキーワードになんとなく惹かれていろんな場に出向いていた繋がりから、通い始めることになった月一のアートセラピーの学校。
 
セラピストを目指す意志はなく、驚きとあたたかさと楽しさに満ちた場を自身が体験したとき、その裏の理論を知りたいという好奇心が受講の動機でした。
 
あと、ひっそりと持っている思いは、日本における「アート」の捉え方がもっと幅広いものであればいいのに、ということ。
これは、モントリオールでフランス人の友人宅に滞在した時、「今晩何しようか、料理する?絵描く?絵の具あるよ、」とサラッと絵を描く提案をされた時に驚きを受けてから持ってる思いで。

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子供の頃って上手下手とか関係なく、ただただクレヨンをのびのびと走らせることをしていた人は多いと思うんです。それが、大きくなるにつれて、絵を描く行為やクレヨンや絵筆を握ることをいつの間にか自分のものではない、と距離を置くことが当たり前になり、絵を描くことは「すごいこと」になっていったな、と。

「アート」という言葉は、崇高なもの・権威的なものとして遠いものに思われたり、はたまた持て囃されて消費の対象として流れがち。
もちろん、そうしたアートの側面も好きだし、楽しいと思う。
でも、ただただ、自分のための個性豊かで身近な「アート」が世の中でもっと広まったらいいなと思っています。

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正直、仕事や他のことと並行しながらの一年のコース受講を終えても、アートセラピーを支える理論なんてものは語れるほどにも身についてません。(以前から気になって読んでいた河合隼雄先生の本の理解が少しは深まったかな。笑)

でも自らが創り出したアートを探索し、自分を豊かにする体験はたっぷりと積むことができました。

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この体験の中でかかせなかったのが、他の受講生のみなさんとのかかわり。
それぞれに創り出したアートを、一緒に見て話すということ。その回数を重ねるということ。

自分では納得のいかなかった絵が、他の人の捉え方によって肯定的に見れるようになったり。
絵を見て、回毎に新しい姿を見せてくれるね、とか、共通してこんな絵を描いてるね、とか。アートという切り口で自分の特徴を見つけてもらえる、新たなコミュニケーションツールを持った感覚(それか取り戻しただけなのかも)。

アートは言葉よりも解釈の幅が広いから、その分、相手に捉えてもらえる自分の姿にも広がりがあって、自分の世界を探索するのに一つとても有効なツールだと実感しています。
この楽しさをいろんな人と共有したいな、と思っています。

興味ある人はいつでもお声掛けください。

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