ポケットモンスターの世界にようこそ

noteを始めたので何か書くことにした。最初に書くのはポケモン以外無いだろうと考えたので、それについて書く。

ただ、既に語り尽くされた分野だと思っているので、あまり触れられない、その世界観の特殊性について自分の思っていることを書く。


特殊な世界観

ポケットモンスターは珍しいゲームだと思う。それは収集や交換というゲームシステムの話ではなく、人語を話せない“いきもの”(人外)が、人間たちと仲良くやっている世界を舞台にしているという点にあると考えている。

そう、ポケモンは喋らない。ミュウツーが「ミュー」と鳴くことはあっても、「よくぞここまできたなチャンピオン」などとは言わない。ゲーム内のテキストは「よろこんでいるみたいだ」「うれしそうだ」ばかりで、本当は何を考えているのかこちらには分からない。喋るポケモンはアニメなどのゲーム外にしか登場せず、ゲーム本編ではサンムーンのロトム図鑑まで待たなければならなかった。

なぜ自分がそんなところに目を付けたのかというと、人外を仲間にするゲームでは、大抵その人外は喋るからだ。女神転生や妖怪ウォッチがそうだ。仲魔も妖怪も普通に言語でコミュニケーションできるから、ドラマが生まれる。その選択肢を最初から切り捨てているポケモンはあまりにもストロングスタイル過ぎる。

では人語を話せない場合は?これも仲間できることはあるが、人外の存在が稀少すぎたりして、絆を結ぶのは主人公だけとかになる。未知の存在ゆえに排斥されたりするのがお約束で、それがドラマになったりする。

喋れない人外の存在が周知の場合は、狩猟対象になることが多い気がする。モンスターハンターがそうだろう。こちらは剥ぎ取った素材で武器防具を作るという手順が、一種の仲間化と言えないこともないのが面白いと思う。

これらのゲームと比べると、ポケモンは人語を話せないが仲間にでき、まだまだ未知の存在だが社会全体では受け入れられていて、別に狩られるだけというわけでもないという独特な路線を進んでいることが分かる。あまりにも世界に普及していて分からないが、「人語を話せない“いきもの(人外)が、人間たちと仲良くやっている世界」というのは、実はものすごいレアケースなのだ。

なぜポケモンがこの路線を選んだのか?それはよくわからない。初代ゲームボーイの容量が足りなくてテキストを用意できなかっただけかもしれないし、子供向けに作ったためにシリアスな世界観は採用しづらかったのかもしれない。金銀以降はアニメの影響が強かったせいかもしれない(サトシのピカチュウが喋れるようになる予定だったというのは有名な話だ)。きっと明確な理由も目的もなく、そうなったからそうなっているだけなのだと自分は考えている。

こういう記事を書くと、「こういう特殊な世界観だからポケモンは世界で売れたのだ」みたいなもっともらしい理屈と共に締めることが多い気がするけど、自分はあまり関係ないと考えているし、どっちでもいいと思う。

ただ、ポケモンというよくわからないものが、よくわからないまま受け入れられてる、そんな優しい世界が描かれているのが嬉しい。そしてそんなゲームをみんなが愛しているのが嬉しい。世界観萌えの自分としては、これからもポケモンがこの路線を進んでいってくれることを願ってやまない。


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