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このブログはムシラセの公演宣伝のためのものではないです。
今の気持ちを残しておきたいなと思っているだけなので、興味がない方は引き返してください。

松尾くん(以下まっちゃん)が亡くなって、顔合わせの11月1日が四十九日でした。
今回はご遺族の許可をいただいて、チラシにもクレジットにも掲載させていただいて、まっちゃんにやってもらう予定だった役は代役を立てずそのまま残して完本、稽古を進めてます。

まっちゃんが亡くなってから2週間くらいは本当に眠れなくて、近所のまっちゃんをしっている人たちととにかく夜は一緒にいてその話をする、日中は各所対応をしていて、毎日がネットフリックスのエピソードかいっていうくらい色々なことがおこって、人が自分で選択をしていなくなるのを決めたということがどれほどの影響を与えるのか、それに飲み込まれる日々でした。

わたしは周りに悩みを話すことができるタイプの人間で、すぐ弱音を吐くしすぐ泣くし、それでバランスをとっている人間なんですが、まっちゃんはいっつも笑顔で、でも笑顔の裏でわたしが2週間ごときで辛い辛いって嘆くようなを日々を彼は一人で抱えていたのかもしれなくて、それを亡くなってからわかるのは本当に卑怯で、私は彼の気持ちをなんの理解もできていなかったと後悔ばかりしています。今も。

土着の宗教というのはよくできていて、人が亡くなって7日間を7回くりかえして49日。それが済んだらあの世に言ってしまうというものなんですけど、この公演が終わるまではあんた出てるんだからまだいてくれと、向こうからしたらしちめんどくさいかもしれないですけど、本当に願っています。
(でも私が知ってるまっちゃんは『いいですね!残ります!』って言います。私の勝手な妄想かもしれないけど)

書いている時もずーっと、稽古している今もずーっと、まっちゃんに会いたいなぁ、私書いたこのセリフだとちょっと面白くないからなんかいいのあるー?っていう話をしたいなぁって思っているのに、わたしオバケみえないのでお喋りできません。

さみしいです。

で、まあこの文章になにかオチはあるわけじゃないんですが、四十九日という節目を迎えて、そう思っていますというだけです。

彼の生きた二十八年、忘れないで欲しい。誰にも。
あー、さみしい。

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