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EP8 ベガとレヴ

EP8 ベガとレヴ
差し出した両手の指先が小刻みに震えている。
自分ではそれを止めることがどうしてもできない。
疑わしい聴診器をぶら下げ白衣を着たこの世には決して存在しない猫とも猿ともつかない動物の着ぐるみを着た若い男が気取った金縁眼鏡を冷たく曇らせ断定口調でこう言った。
君ねぇ何か悪いクスリでもやっているんじゃないの。
繰り返すが疑問符付きではなく断定口調だ。
そしてこう言い放つ。
このままだと死ぬよ。
なんでも白血球の数値が基準値を遥かに超えて増加しているのだそうだ。
死ぬよと言われればある種の達成感が満たされやる気がさらに増してこいつの言うところの悪いクスリの服用量をもっと増加させたくなるのが薬物依存症者の一般的な考え方であり行動様式だ。
つまり逆効果だ。
面白いのはここからだ。
自分でも驚いたがここまで言われて俺は何事もなかったように健康診断をパスした。
そしてまんまと寝心地のいいベッドと栄養たっぷりの食事と高収入を手に入れることができたってわけだ。
ただひとつ問題点があったとすれば酒も煙草も悪いクスリも楽しむ自由を一切奪われ干し草と牛糞と発火寸前のドライヤーみたいな臭いが隅々まで籠っている東京近郊の小さなクリニックに1週間以上も軟禁され自称ミュージシャンとか詩人とか頭の悪い大学生みたいな奴らと集団生活を送らなければならないってことだが疲弊しきった俺の体内からアルコールとニコチンとコデインとエフェドリンを綺麗さっぱり抜き去り浄化させる骨休み期間と考えれば一石二鳥だったってわけだ。
そういえばだ。
事前説明会で見かけた土気色の顔をして背広の肩に点々と頭垢が付着しておりいかにも売り上げ成績が悪そうな外回り専門営業マン風のおっさんは当日来なかったな。
きっと怖気付いたか内臓疾患で落とされたか自殺でもしたのだろう。
聞けば今回の仕事は脳の神経伝達物質を増加させ認知症に効果があると期待される新薬を飲むという内容だ。
要するに脳に影響を及ぼす人体実験だ。
モルモットだ。
俺的には極めて楽しくて嬉しくて仕方がない。
しかしタイと中国の製薬会社で齧歯類目科の実験動物を使って何も問題がなかったから大丈夫だと太鼓判を押されてもな。 
正式には新薬の治験モニターというらしいが仲間内ではまるで都市伝説のように死体洗いのアルバイトとセットで囁かれ耳打ちされていた。
携帯電話やソーシャルネットワークなどなくてもそうした割のいい仕事の話はちゃんと回ってくる情報網があった。
別にこちらから求めなくても大麻もハシシもLSDもちゃんと回ってきた。
レコード会社との力関係だけで記事を書いている洋楽専門誌などよりずっと先に次はこのバンドがブレイクするだろうという信頼性の高い情報が発信され受信されていた。
そして俺は太く頑丈な金網で囲われたDJブースで皿を回して中南米産ビールを飲み干し叩き割ったガラスの破片が飛び散りダンスフロアが一斉に黙り込んだ。
夜になると同性愛者の聖地になるその町の一角で名指しで付け狙われているからしばらく寄りつかない方がいいとDJ仲間の1人に忠告されたが俺は一切耳を貸さなかった。
1日に5回も6回も7回も8回も9回も採血された。
鋭く尖った金属の針先が自分の皮膚を貫く感触が好きだし自分の血が透明な管を通って抜かれてゆくのを見るのも大好きだ。
主な交通手段も衝突事故もディーゼルエンジンの耕運機が中心みたいな田舎町の駅前でどこにでもあるチェーン薬局のひとつに入って宛名書きのない封筒から真新しい札を1枚抜き取り買い求めた咳止め薬の錠剤を電話ボックスに駆け込み一気に飲み干し緑の受話器を掴んで頭に浮かんだ女のリストの中からすぐ来られるという理由だけで実家住まいで男をまったく知らない敏感な肉の白くむっちりした太腿がびくびく痙攣と共に激しく脈打ち愛液に濡れて光る10代の女子大生を呼び出した。
結構いい金が入ったからたまには奢るよ。
そう言った。
いつものように輸入レコード盤専門店で待ち合わせをした。
建設途上の都庁の暗闇に深く溶け込んで赤錆の味がするジャングルジムのてっぺんで血液ではなく2週間分の俺の白く濃い体液をどっと流し込んで溶けて濡れやすい少女の背伸びして選んだ黒く薄いレースの下着も溶けて消えて猫とも猿ともつかない動物の着ぐるみを着た若い男の医者だと思われる野郎が肉球のついた鋼鉄の毛の生えた義手で俺を小突いてプレス機で圧縮されたような金属の破片を含んだ声でこう言った。
君ねぇこのままだと死ぬよ。
君ねぇこのままだと死ぬよ。
君ねぇこのままだと死ぬよ。
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